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『花をもらう日』第四章 花をもらう日③

 年が明け、職場は1年でいちばん忙しい時期を迎えようとしていた。私立校の受験シーズンがまもなく始まるからだ。わたしを含めセンターの職員は皆、会員の受験生の家庭に電話をかけ、準備の進み具合と志望校を聞く作業に追われていた。
 そんなあわただしさの中、わたしは内藤さんから、
「結婚するんだ」
 と打ち明けられた。
「誰と?」
「国分さん」
 ……ちょっと! やだもう! そうだったんだ! いつから付き合ってたの? おめでとう! わたしの性急な言葉に内藤さんは「1年くらい前かなー」とゆったりと笑った。照れたりもったいぶったりせず、すこしだけ感情をにじませて報告してくれるそのたたずまいが内藤さんらしかった。あらためて彼女のことがとても好きだと思った。
 人を自分の機嫌に巻き込まない。トラブルが起きたときは、困った顔をしたあと、すぐに解決への最短距離を見つけることに専心する。なにより彼女は、押しつけがましくない親切を誰にでも施せる人だった。尊敬できる仕事仲間といい友達を同時に得られたのはものすごい幸運だと、この会社で働くようになってからずっと思っていた。
 国分さんの姿を思い浮かべ、目の前にいる内藤さんと並べてみる。「んー、いい!」と声が出てしまう。「何が?」「ああもう、なんで気付かなかったんだろう。2人、すごくお似合いだよ」「そう?」「うん。いやほんと」。興奮せずにはいられない。
「でさ、キタキタ、披露宴の司会やるって言ってたよね。余興とか、出し物のこととか、いろいろ教えて欲しいんだけど」
 赤坂プリンスホテルのブライダルフェアで、わたしは事務所に言われた通り経験豊富であるとアピールし、2件の仕事をもらうことができた。司会のマニュアル本を買い、シナリオを作り、今月末の本番に備えていたので「なんでも聞いてよ」と自信満々に答える。内藤さんの、そして国分さんの役に立てるなら、こんなに嬉しいことはない。
「式、どこで挙げるの?」
「大國魂神社。披露宴も」
「内藤さん、白無垢絶対似合うよ。色打掛も着るんでしょ」
「うん、ドレスはどうしようかと思ってる」
「二次会するんだったら、二次会で着てもいいんじゃない?」
「そうだねえ」
「あ、もしかして歌うの? NOAの『今を抱きしめて』」
「歌おうかなあ。でも、カラオケ大会になっちゃうかも」
 国分さんの送別会のとき、2人のデュエットを聴いた。あのとき何も気づかなかったなんて、石川くんや青木くんに笑われてしまうだろう。……ん? もう彼らは知ってるんだろうか。わたしより先に?
「少し前に国分さんが言ったみたい」
「あー、そうか」
 国分さんと石川くんは飲み友達でもあった。石川くんを誘うと青木くんももれなく付いてくる。もしかしたら、だいぶ前から知っていたのかもしれない。ちょっと嫉妬。
「それとね、もうひとつ、あるんだけど」
「うん、何?」
「キタキタ、ここの社員にならない?」
 
 ───私、結婚したら、会社、辞めるつもりなんだ。キタキタがトータルにいてくれたら安心だから、聞いてみようかと思って。もし社員になってもいいと思ってくれるんだったら、私が社長に推薦するよ。
 辞める。社員。混乱と淋しさがいきなり混ざって、高揚していた気分の色が変わる。
「……内藤さん、辞めちゃうの?」
「うん。ずっと前から、仕事は結婚するまでって決めてた」
「式、いつ?」
「3月27日。会社にはゴールデンウィーク前までくらいはいるつもりだよ」
「そうなんだ」
 声のトーンが落ちてしまう。嬉しい報告をしてもらったはずなのに。
「もしキタキタが、バイトの立場のほうが居心地がいいと思ってたら、全然気にしないで」
 内藤さんはやさしい。社員になってもいいと思ってくれるんだったら、という言い方をしてくれた。
「ありがとう」
 それ以外の言葉を口にすることができなかった。

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