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『花をもらう日』第四章 花をもらう日⑦(最終回)

 3月はまだ、冬だ。セーターにロングジャケット、マフラー姿でわたしは通勤している。去年の冬にも着ていたものだ。
 1年前の自分は朝4時に起き、星を見ながら自転車に乗って仕事場へ通っていた。K市は星がきれいだった。コウモリもよく飛んでいた。

「コウモリ! カラスの見間違いじゃなくて?」
「うん、あれ、コウモリだったと思うんだよねえ」
「へえ……僕見たことないかもです」
「Y県は、ほうとうっていう太いうどんみたいな食べ物が有名なんだけど、ほうとうの店にはカエルやスズメ焼きっていうメニューが普通にあるんだよ」
「北村さん、食べたんですか」
「うん、最初の頃、1回だけね」
「僕は西東京から出たことないんです。でもこれから転勤があると思うけど」
   すこし嬉しそうに上田くんは言った。
「わたしは、来週引っ越しなんだ」
「じゃあ、トータルは今週いっぱいですか」
「そう。内藤さんの結婚パーティに出られないのが残念だよ」
   ほんとうにそれはとても残念だった。ひと段落着いたら写真を送ってね、と内藤さんに伝えた。
「でも、またラジオの仕事に戻れるんですもんね」
「そうだね……」
  電話を受けたときは、驚きより戸惑いのほうが先に来た。すぐに部屋探しをしてくださいと言われたからだ。その週末に横浜駅前のちいさな不動産屋───なんと、トータル、という名前だった───に飛び込み、ランドマークタワーまで車で15分ほどのところにあるアパートを借りることに決めた。20㎡。家賃は5万円。備え付けのちいさな冷蔵庫に冷凍庫はなく、ガスコンロは一口。エレベーターがものすごく狭くてびっくりしたが、あちこち探す暇はなかった。
「頑張ってくださいね。聴きますから」
「あはは。聴けたらでいいよ」
「知ってる人がラジオで喋ってるのを聴くって、どんな気持ちなんだろうなあ」
「きっと笑っちゃうよ」
 わたしたちは笑った。

「そうだ、上田くん日比谷花壇しか受けなかったんだって?」 
「はい。ほかのところには行きたくなかったんで」
「へえ。すごいねえ」
  上田くんに会うたび、すごいすごいと言っているなと思う。
「アナウンサーだってすごいですよ」
「うーん、でもブランクがあるからね……」
  そう言いながら、自分は絶対にできる、と思っていた。楽しみなのだ。楽しみで仕方ない。
  来月から喋れる。あの、海の見えるスタジオで。

「あ、そうそう」
  斜めがけのかばんの中から、彼はちいさなアレンジメントを取り出した。つやつやした丸い木の実とこまかい紫の花が、すずらんのようなつりがね状の白い花をとりまいている。
 うれしい。顔がにやついてしまう。期待していたことがばればれだ。
「これ、スノーフレイクって言うんですけど、春に咲く花なんです。よく見ると、花弁の先に緑の点々がついてて可愛いんですよ」
  僕なりの、北村さんのイメージなんだけど。

  ありがとう。
  あの、K市での最後の放送の日を思った。
 
 人生の区切りには、やっぱり花が必要だ。

(終わり)

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