戸夏光

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戸夏光

詩文書き。Twitter(現X)>@natsutohikari 連絡先>tonatsuhikaru@gmail.com 旧・十夏光

最近の記事

【エッセイ】 寝て起きて寝ては起きてのひぐらしの

 寝て起きて寝ては起きてのひぐらしの  そんな詩句のかけらが頭を掠めたのは、昼日中のうだるような暑気の抜けない七月の夜、会社の付き合いでの飲みのあとにいささか白く火照るような視界を抱えながら、駅の階段を下ろうと、一歩、足を下ろしたそのときのことだった。  新しい環境に移ってから、はやくも二ヶ月あまりが経つ。特にこれといって書けるようなことはない。ただ日々、追われている。ただ日々、くたびれている。  いかんせん、これまでとまったく異なる業種への転職ということもあって、なかなか

    • 【感想】 鈴木康太『水/凪の踏み跡』

       ときどき、それを読んだり、見たりしたあとに、何かを言おうとして、しかしついに何の言葉も掴むこともできず、空虚になってしまう。そんな作品に出会うことがある。それはたいてい、つよい思い入れと表裏一体だ。つまりは好きだということだ。しかしこの思い入れというのも、いったいどこからやってくるのか。  たしかなのは、それはわたしというものの境界をすりぬけてやってきて、此方を内がから侵襲するということだ。言葉と「わたし」という主体とが本質的に深く絡みあっている、ということを考えれば、その

      • 【感想】 芥川心之介『サラムン』

        (第38回文学フリマ東京にて購入 『汀心 vol.1 恐怖について』収録作品)  まず、印象的なタイトルだ。思わず舌に載せて反駁したくなるような響きは、はたして何がしかの他の言語や名称から引用したものなのか、それとも作者の独創であるのかはわたしには分からない。ただこの言葉の響きの、それだけで何かしらの乾いた色や、掠れるような空気の流れを想起させるような有機性は、作品の始めから終わりまでをたしかに貫き、特徴づけている。  それはこの作品の文体の硬質さ、というよりも粘質さ、おそ

        • 【散文過去作】永遠の眼

           そこには永遠と雲とが流れていた。とうにひとは滅び去っている。遥かな高みの梢からはやわらかな葉と葉が擦れあう甘いさやぎが降りそそいで、それを雨のように浴びながらそっと目をひらくものがある。何度となく見たであろう景色を、何度でもまったくあたらしいものとして受けとめているらしい無邪気な目は、まるで晴れあがった青空のように澄み、うすらとした水の膜をまとって、大気の重みと張りあっている。どこかでは地の引力に耐えかねて、細い葉脈のうえを伝い、露が滑りおちていく気配がした。あらゆるものが

        【エッセイ】 寝て起きて寝ては起きてのひぐらしの

          【散文過去作】梅雨のまの存在

           不毛とはそれ自体がひとつの喜びでもあると何の気もなしに考えた。ちょうど平日の昼下がりの井の頭池のそばを歩いていたときのことで、空一面を覆う雲の向こうに浮かぶ太陽は、旺盛に繁る藻のために暗く色づいた水の上でも眩しく、より神経質そうに輝いていた。ほんのりと地表に立ちこめた暑気を心もとない蝉の声が伝っていき、ひと足早い夏の訪れを告げるのに、連日のぐずぐずとした雨もよいに倦みつかれた気持ちがようやく少しばかりやわらいで、けれど梅雨はまだ明けてはいなかった。明日からはいよいよ本格的な

          【散文過去作】梅雨のまの存在

          【告知】第38回文学フリマ東京出店

          5月19日(日)東京流通センターにて開催予定の文学フリマ東京に参加いたします。 何とシンプルisベストの権化、のようなお品書きでしょうか。 この日のために画像ソフト等を駆使できるようになりたい、という思いもなきしもあらずではあったのですが、思うだけで今回も終わってしまいました。 収録タイトルは『永遠の眼』『正午』『歩み』『小さな死』『おとうと』『梅雨の間の存在』『啓示』『犬になった男』『時のくびき』『大洪水の手前にて』の全十作品。  内容としては上記の通り。改めて読みかえ

          【告知】第38回文学フリマ東京出店

          【エッセイ】 羽化にはうってつけの日

           その春、わたしはみずからは何者なのか、と問いかけ、答えようとして、困るような気のする自分のいることにふと気がついた。それまで自分のうちにあった、詩人、創作家、元書店員、社会不適合者……それらの呼称の数々からいつのまにか遠のいているわたしに、わたしはふと気がついた。  すべてのきっかけは、振りかえってみれば単純である。再就職が決まったのだ。  さまざまな事情から前職を辞してしばらくが過ぎ、ようやく転職活動を始めたのは、三寒四温、というにはいささか落差の激しい気温の動きと共に、

          【エッセイ】 羽化にはうってつけの日

          旅行記2 尾道の吐息

           尾道に来たいと思った理由も、思えばよく分からない。知っていることと言えば、精々坂があり、懐かしい町並みがあり、そして海が見えるということ。尾道を有名にしたきっかけとなったらしい大林宣彦監督の映画作品すら、結局見るタイミングを逸しつづけている。  ただ旅に出るにあたり、ぼんやりとした、何でもないような時間を過ごしにゆきたいということは、つよく思っていた。さらに本音を言えば一ヵ月くらい、散歩をしては、海の見える静かな部屋でもくもくと書きものをする、たったそれだけの生活をしてみた

          旅行記2 尾道の吐息

          旅行記1 広島編

          (原爆ドームのかたわらを路面電車は当たり前に通りすぎていくこと)  物心のついた頃から平地のど真ん中、それも建物が密集し、遠くの見通しも効かぬような市街に暮らしてきた人間には、建物と建物の距離が適度に空いて、かつその隙間に当たり前のように緑の山の稜線があらわれる。たったそれだけの風景すら、珍しい。東京でさんざ目にしてきたはずの三越や、東急ハンズのロゴですら、何やら真新しいもののように思えるし、普段の生活ではまず見かけることもない、路面電車が近くを走り抜けるたびにはしゃいでし

          旅行記1 広島編

          大洪水の手前にて

           雨が降りつづいていた。一面の空は灰色に覆われ、僅かに溢れる光は押しせめぎあう雨雲の重みや高さやを誤魔化している。そのかしこから水の滴は白い糸となり、切れ目もなくぼろい屋根や、アスファルトの地べたを叩いている。風がないのが幸いだった。雨脚は強まりも弱まりもせず、あたりはかえって常よりも静かなようだ。 「ずいぶんと降りますねえ。」  道路を挟んで向かいの歩道には赤、青、黄の小さな傘がしきりとふれうごいていて、どうやら学校帰りの子どもたちがふざけているらしい。 「そうですねえ。し

          大洪水の手前にて

          遠い目

           もう夏が来ているかのような夜だった。住宅街の中をまっすぐに貫く道に人影はなくて、自分のたてる衣擦れや、靴やの鈍い音さえもがやたらに響きわたるようにも思われる。まだ五月に入ったばかりだというのに汗がじっとりと肌に張りついて、ほうぼうの庭木や、電柱の影からは耳鳴りのような蝉の声さえ聞こえている。  アパートの外付け階段に足をかけると、ぎいと金属製の踏み板が嫌な音をあげた。するとサッと黒い影が視界の隅を突っ切り、何事かと振り向けば、白い、真ん丸い二つの目がじっと此方をとらえている

          ちいさな死

           蝶々が飛んでいるなあと、ぼおっと眺めていた。春の昼下がりのことだ。狂ったように咲きむらがる躑躅の花びらを目で追いながら、意識はもっと遠くへ向かっている。  あすこの広場に、戯れている少女たちがいる。きらきらしく水を噴きあげる人工池のへりに通学鞄を預けて、ひらひらと長い髪やスカートやの影が震えている。面差しは逆光に隠れて見えない。ときおり、なにかの加減できゃらきゃらとはしゃぐような声が届く。衆目など意にも介さないで、ふたりきりの世界にいつまでもひたりきっている。  長い昼の暇

          ちいさな死

          目覚め 2

           前半> https://note.mu/tonatsu/n/na0b4d80fafae  山口は水嶋と憎みあった、堂上よりも年嵩の女である。世間の人並みとは外れた自らの気質を守るために大学院へ逃げ込んだ節のある水嶋とは似ようもなく社交好きで、学内の新聞サークルで幹事を務めている折から発揮してきた手腕を、今ではどこぞの大企業でも存分に振るっているというが、その具体的な活躍を堂上は直接に知っているわけではない。入学したての浮足立っていた時期に二月ほど顔を出していた、堂上の性格

          目覚め 2

          目覚め 1

           夜っぴいて酷い降りが続いていると耳をそばだてたまま眠っているような心地がしていたが、目覚めてみれば窓の外では屈託ない太陽の光が隣家の庭先に割いた薔薇をあかあかと切り抜いて、静まりかえっていた。雨が止んだとあればその隙に、このところのぐずりがちな天候のために黴のにおいがつきはじめた洗濯物をやり直して部屋の濁りかけた空気も換えた方が良い、と、毎年毎年梅雨の晴れ間に行きあうたび繰り返してきた一仕事のことを頭では考えながら、また実際、ここ数日中に洗い物が台所の片隅と布団の足元、それ

          目覚め 1

          火曜日の街

           その日は朝からからっからに晴れていて、先日に降った雨はあとかたもなく乾いてしまっていました。まっくろなコンクリートの上には太陽の影がちろりちろりとおどっております。その隙間から顔を出した雑草はふわりふわりとひかりながらゆれています。そのうえをいろとりどりの傘のはながとおっていくのをみながら、学生服すがたの青年はため息をはきました。ためいきはのぼっていって、あんまりにまぶしい太陽にかきけされてしまいます。そのゆううつさ、ものがなしさ。  青年の右手にはキャンパスのはいったかば

          火曜日の街