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【童子切りー轢り歯車の章ー】

 頼光と白縫の総領同士が盟約を結び、永き因縁を捨てて対等の立場となった。頼光コウガが逝去し、白縫カナメが殺害された後、僅か半年の出来事であった。
 二人の総領は一族の編成を徹底的に見直した。頼光は人魔狩りの手練れと白縫の忍び衆を組ませ、これまで以上に厳しい鍛錬を課した。白縫は本家分家の階級を取り払い実力重視に組み替えた。当然、古参や長老衆からは猛反発があった。それを、若き総領である頼光リョウガと白縫アザミは力でねじ伏せた。恐怖統治と言っていい。彼女達には自分を悪鬼にしてでも成し遂げるべき目的があった。

 中庭に面した六畳ほどの仏間。二人の少女は背筋をピンと伸ばし正座をして手を合わせていた。仏間と言っても仏壇があるわけでもなく、床の間に地味な水墨画の掛け軸と水仙を生けた器が置いてあるだけだ。少女達が手を合わせているのは、小さなテーブルに置かれた四つの写真立てだった。蝋燭や線香の類はないが、それぞれの写真の前に口紅や小さなぬいぐるみ、アクセサリーなどを入れたガラスケースが並べられている。
 遺影と遺品。
 愛しげに臨月の腹を撫でるマタニティウェアの妊婦。リョウガの実母リョウコ、その腹にいるのはリョウガの弟として生まれて来るはずだったコウタだ。
 金魚柄の浴衣を着て線香花火を手に笑っている少女。横に菊柄の浴衣の袖が見切れている。リョウガを親友と呼んでくれた、ただ一人の少女の名はユリコという。菊柄の浴衣の袖はリョウガのものだ。
 小学校の入学式。あどけない顔ではにかんでいるアザミの手を握って微笑んでいる上品な和装の女性。アザミの母親のリンドウだ。教授として白衣で教鞭をとっている姿の小さな写真は大学のパンフレットから切り抜いたものを貼り付けている。
 指でハートマークを作り、満面の笑顔でじゃれあっている四人の少女。
ロリータドレスのフタバ、ニットワンピースのシズネ、オーバーシャツにミニスカートのミツキ、パーカーにジーンズのアザミ。ピンクのヘアピンはお揃いだ。
 ワインカラーの口紅はリョウコが使っていたもの。コウタにあげるつもりだったテディベア。ユリコが手作りしたビーズのブレスレット。
 リンドウが使っていた七宝焼きの帯留め。フタバのお気に入りのリップバウム。シズネの大好きだった少女漫画の主人公のバッジ。ミツキがつけていたのと同じピアス。そして四人お揃いで買ったヘアピン。
 リョウガとアザミは一心に祈り、願い、詫びる。神仏にではない。自分達の所為で落命した大切な人達の魂に。大切な思い出に。もう取り戻せない時間に。

 「映画やドラマの台詞でよくあるだろう。天国から見守っていてくれ、という奴」
 「私はあれは嫌いだ」
 「私もだよ。せっかく天国に行けたというのに、わざわざ俗世の面倒を見る必要などないだろう。安らかに眠れと祈っておきながら、やっぱり見ていてくれなどとよくも言えたものだ」
 リョウガは花鉢の水を替えながらクスリと笑った。この部屋に来るとアザミは饒舌になる。滅多に感情を表に出さなくなってしまった彼女が、この仏間では些細な話で怒り、笑い、悲しむ。その様子を見て、リョウガは少し安心する。まだ立ち直れていないとしても、心が壊れてしまった訳ではないのだ。
 アザミは強い。いつだったか、リョウガに『どうしたらあんたのように強くなれるのか』と問いかけてきたことがある。リョウガは『お前の方が強い』と答えた。嘘ではない。リョウガはユリコの死から一年余りまともに戦うことが出来なくなった。刀を振るう度に、人魔ではなく人間を傷つけ殺しているような錯覚に陥り、怯え、泣き、嘔吐した。吹っ切れたのは、一通の手紙を受け取ってからだ。そこにはユリコの両親の怒りと恨みと憎しみが書き綴られていた。それを読んで、不思議と心が落ち着いていった。ユリコの両親はリョウガを責めることでユリコを失った悲しみを少しでも紛らわせようとしたのだろう。ならば、自分もそうすればいい。自責の念を完全に捨てることは出来ない。だが、自分ではない誰かを恨み、憎み、怒りをぶつけることなら簡単だ。ユリコを殺害した者を探しだし、追い詰め、嬲り殺しにする。ユリコのためではない。自分の心を癒やすために。そうやって自分が一年間もがき苦しみやっと掴み取った『己のための復讐』をアザミは一ヶ月も経たないうちに手に入れたのだ。
 「だいたい、死に別れの物語の主人公は軟弱すぎる。忘れられないことがそれほどつらいならさっさと後を追えばいい。それを他人の所為にしていつまでもうじうじぐずぐずと生きながらえるなど無様にも程がある。挙げ句の果てに『君の分も幸せになるから見守っていてくれ』などと訳の分からないことを言い出す。欲しがればいつでも母親の乳がもらえる赤子のつもりか」
 「お前の言っている映画が何か分かった気がする」
 「最悪だった。あんなものが感動作と言うのだから呆れ果てる」
 「しかし、まわりの観客は泣いていただろう?」
 「最悪だ」
 毒づきながら畳を掃くアザミを見遣ってリョウガはまた笑う。
 「こういうのならどうだ。『幸せに生き続ける俺を見ているのは癪だろうし、俺もいつまでも見られていると鬱陶しいから死んだお前はもうこっちを見るな』」
 「それを作ったらアカデミー賞でもカンヌ国際映画賞でもなんでもくれてやる」
 「さあ。アングラの自主上映ならそこそこ受けるかもな」
 ふふっ、と今度はアザミが笑った。悪態をついていた時のふくれっ面が悪童の笑みに変わっている。
 「じゃあ作ろう。全部終わったらあいつらにコスプレさせて」
 指さした先にいるのは中庭の生け垣に沿って立っている黒服の護衛達だ。彼らは主が急にこちらを指さしたので何事か、と身構え周囲を警戒する。その様を見てアザミはまた笑う。床の間を拭いていたリョウガは大袈裟に肩を竦めた。
 「任侠映画になってしまうぞ」
 「それならそれでもいいさ」
 「アザミ」
 「ん?」
 「私も見守られるのは御免だ」
 
 二人は縁側に出て曇天を見上げた。遠雷。もうすぐ雨になる。これなら天からだろうと見えはしないだろう。もうすぐ起こるであろう憎悪と憤怒に満ちた醜悪な血みどろの戦いを。
 リョウガは踵を返して仏間に戻る。箪笥の一番下の引き出しから長い包みを取り出す。銀糸で蜘蛛の巣を刺繍された紫紺の布を解くと黒鞘の長刀が現れる。頼光に伝わる人魔斬りの妖刀、蜘蛛切りである。アザミも茶箪笥の上段から白金の巾着を取り中身を手に取る。古めかしい形状の拳銃。そして銀の弾丸。
 「来るぞ」
 「分かってる」
 護衛達も気配を察したのだろう、それぞれ太刀を抜いて身構えている。そのうちの何人が生き残るのか。アザミは一瞬目を伏せ、そして見開いた。彼らも覚悟の上でそこにいるのだ。ならば、自分も覚悟を揺るがせてはならない。白縫の血と屍の上に立って戦うことが総領の役目であればそれを全うするまでだ。
 とん、とリョウガがアザミの肩を叩いた。気負うな、と言いたいのだろう。分かっている。分かっているとも。
 突風が吹き荒れ雷鳴が轟く。耳をつんざく轟音の中から異様な唸り声がする。稲光に照らされて、異形の姿が明らかになる。四つん這いになった毛むくじゃらの化物。巨大な牙と爪を持ち赤い眼を光らせた獣。人間を好んで喰らう血肉に飢えた怪物。
 人魔。
 「結界を突破してここまで来た奴だ。手強いぞ」
 「私が止める。斬れ」
 ふっとリョウガが笑った。アザミは強い。これ程頼もしい相棒はいないだろう。ならばその信頼に応えるまでだ。蜘蛛切りを抜き放つ。鋼色の妖刀がぎらりと輝く。
 人魔が悍ましい咆哮を上げて土を蹴り、護衛達を蹴散らして真っ直ぐにリョウガ達に襲いかかる。リョウガは蜘蛛切りを構える。一撃で決める。
アザミの拳銃が火を噴き、銀の弾丸が人魔の四肢を撃ち貫く。人魔は吼え暴れるがその手足は杭を打たれたかの如く地面から離れない。リョウガは真っ直ぐに人魔に向かって疾走し、そのまま風の如く駆け抜けた。
 蜘蛛切りを振るったその瞬間を捉えたのはアザミの瞳だけだ。
 ずるり、と人魔の首が落ちる。黒い血を噴き上げながら首の無い胴体がゆっくりと崩れ落ちる。
 「瘴気が出る前に燃やせ」
 アザミの指示を待つまでもなく、護衛の男達は人魔の死体に焼夷弾を打ち込む。リョウガは返り血の一滴も浴びることなく、蜘蛛切りの刃を一片の脂で汚すこともなく、瞬殺した人魔が燃え落ちるのを眺めてふうっと息を吐いた。いつの間にか雨が降っている。人魔の死体は燃え続けている。すっと傘を差し出された。リョウガの傍らに立って、アザミも燃える人魔を眺める。
 「大した奴じゃなかったな」
 「ああ。まずい状況だ」
 「そうだな」
 護衛の中から、リーダー格の男が駆け寄って来る。
 「おかしら様、ひい様。丑寅の結界が破壊されておりました」
 すぐに修復します、と頭を下げる男にアザミは「待て」と言った
 「壊されたのはどの部分だ」
 「石回廊の入り口付近です」
 アザミは首を傾げる。リョウガも怪訝そうに北東の方角を眺める。頼光の表屋敷に続く黒鳥居に欠損は無い。注連縄と黒鳥居で覆った本結界は破壊出来なかったので、本結界に近い山道の石碑門を囲う回廊結界を破ったのだろう。しかし。
 「あんな雑魚がどうやって黒鳥居を抜けた?転移が使えるなら回廊を壊す必要はないだろう」
 「あれは人魔じゃない。使役魔だったんだ」
 リョウガの言葉に男はぎょっとしたが、アザミは腑に落ちた顔で頷いた。
 「私が総領になる少し前に白縫から人魔が出たのを覚えているか」
 「ああ、覚えている。五十人余りを喰って姿を消した奴だな」
 「奴の仕業だ。奴は白縫と頼光どちらの山も知っている。当然脆い部分もな。そして奴は私達を憎んでいる」
 これは嫌がらせだよ。アザミはそう言って舞い落ちてきた人魔の燃えかすを踏みつけた。リョウガはすっと目を細める。昔の話だ。強く乞われて一度だけ白縫の娘と剣を交えた事があった。父の言いつけ通り、リョウガは手の内を見せず適当に二三度打ち合い引き分けてやった。今思えば随分と不遜な事をしたものだ。あの娘の憎悪と屈辱に塗れた緋色の目。あれは何という名前だったか。
 「百木イチナ」
 リョウガがつぶやくとアザミは一つ頷いた。
 「分家の末席の娘だ。歳は私達より三つ四つ上だったな。私の父親だった男を殺して喰ったそうだ」
 「では強いな。私と試合した時は普通の白縫の腕前だと思った」
 「里で誰より鍛錬したと聞いている。あの頃の白縫の女で剣を振るう者は珍しかったから年寄りはよく覚えていた。皆口を揃えて言うのさ。あれは鬼子だと」
 そう言ってアザミはくっと笑った。
 「その程度で鬼子なら私は第六天魔王だ。とにかく当時の白縫でその娘は厄介者扱いされていた。そのせいか、奴は白縫の血を引きながら人里に逃げた私と、頼光の総領で蜘蛛切りの使い手になったあんたを酷く憎んでいたようだ。まあ逆恨みも甚だしいがな」
 「なるほど。それで人魔になった今もその逆恨みを持ったまま、私達に嫌がらせをしてきたというところか」
 人魔に意志と記憶があるならな。そう付け加えておいて、リョウガは化物の死骸があった場所にしゃがみ込んだ。跡形もなく燃え尽きていた筈だったが、どうやらそうではなかった。
 「アザミ、見てみろ」
 促されるままアザミもリョウガの横にしゃがむ。焦げた地面に歪な人型の紙切れがこびりついている。使役魔を召喚する時の依代となるものだ。人間の呪術者が作った人型ならば完璧な左右対称の呪符である。これは見様見真似で素人が作った紙人形か、あるいは。
 「紙じゃないな。これは人間の皮だ」
 「そうだ。人間の皮を人魔が爪で切り抜いたんだ。歪んでいるのは不器用だったからじゃない。結界を越えるまでは人間として認識させ、結界を越えたところで使役魔として発動するようにわざと切れ込みを入れていたんだ」
 「結界でじわじわ切れ目が広がって、到着と同時にドカン、か。まるで時限爆弾だな」
 「百木イチナはただの人魔じゃない。人間の時の記憶と知識を持ったままの本物の怪物だ」
 「面白いじゃないか」
 アザミは立ち上がり、にやりと口の端を吊り上げた。やれやれと首を振りながらリョウガも立ち上がる。
 「まあ人間相手よりは容易いか。人魔は斬れば済むからな」
 「敵が多いのは困りものだ」
 「人事のように言うな」

 雨脚が強くなってくる。護衛達は総領二人に屋内に入るよう促し、タオルと着替えを運んで来る。仏間の畳を汚す訳にはいかない。二人は濡れた衣服を脱ぎ用意された着物に着替える。特に肌を隠す事もせず護衛の男達の前で恥じらう素振りも無い。護衛達も慣れたもので淡々と主達の濡れた衣服を預かって奥に下がる。彼等にとって主は男や女といった俗世の括りに捕われない、人間よりも高位の存在なのだ。
 護衛達が居なくなると、仏間はまた二人だけの祈りの空間になる。
 「リョウガ、私は強くなりたい。敵であれば人魔だろうが人間だろうが、眉一つ動かさずに撃てるように」
 「お前は強いよ。これからもっと強くなる。私が保証する」
 「あんたは相変わらず人を乗せるのが上手いな」
 「褒めて伸ばす主義だからな」
 言ってろ、とアザミは笑う。一緒に笑っていたリョウガが、不意に真顔になる。
 「私も強くなるぞ、アザミ。蜘蛛切りが鈍刀だったとしても私は敵を両断してみせる。いや、例え得物が無くても素手で叩き潰せる程に」
 「ああ、そうだ。私達はそうならなければいけない」
 愛した人達。愛してくれた人達。もう手の届かない人達。あなたたちのことを私達は絶対に忘れない。苦痛も恐怖も無念も絶望も全て私達が引き受ける。
 見守らないでくれ。悲しまないでくれ。何もかも忘れてどこか清らかなところでずっと安らいでいてくれ。穢れた俗世など顧みないでくれ。
 「強くなろう。この手が黒い血で染まろうが赤い血で汚れようが知ったことじゃない。敵なら殺す。それが誰であっても、哀れに命乞いをしたとしても、私達は虫けらを潰すように殺す。私達が望む強さはそれだけだ」
 それが叶うなら自分達は喜んで悪鬼にでもなるだろう。目的はただ一つ。

 『己のための復讐』

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