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【童子切りー死返棘花の章ー】

(注意:流血、人死に描写があります。鬱展開が不快な方は読まれないようお願いいたします)



 「アザミの花言葉って知ってる?」
 「うーん、そういうの詳しくないからなあ」
 「あれじゃない?やっぱり真実の愛とか永遠の愛とか」
 「そんな派手な花じゃないでしょ、あれ」
 うーん、とアザミは大きく背伸びをした。休日、気の置けない友達とノープランで集まって他愛も無いお喋りをする。やはりこの時間が一番楽しい。フタバは素直で可愛い妹のようだ。シズネは大人びているようで少女漫画にかぶれている。ミツキはギャル系で気が強いが根は優しい。みんなアザミの大切な親友だ。
 「ね、久々にカラオケいかない?」
 「わー、いいね。キャラソン歌いたい」
 「あたし、ソフトクリーム食べたい」
 「そんなのどこだって食べれるでしょ」
 「違うの!カラオケ店の盛り放題がいいの!」
 きゃははは、とアザミ達は笑い合う。話題の映画見た?あのバンドの新曲どう?あのモデルの服やばくない?ゲーセン寄らない?プリ撮ろ?どこにでもいるごくありふれた少女達がはしゃぎ回るありふれた光景。アザミはその中に自分が身を置いているのが幸せで仕方なかった。だが。
 突如目の前で急停車した黒塗りのベンツが全てを台無しにする始まりだった。
 「なによ、危ないじゃん!」
 シズネが声を張り上げる。怖い物知らずのミツキが運転席に向けて怒鳴った。
 「んだよ、用あんなら下りてこいよ!」
 「アザミちゃん?アザミちゃん大丈夫?」
 フタバの問いかけにアザミは答えなかった。体が硬直しているのに膝だけが震えている。顔から血の気が引いている。まさか、まさかー
 「よくもウチらのダチをビビらせてくれたよな。謝れよ、ああ?」
 ミツキが運転席の窓を叩く。フタバは今にも倒れそうなアザミを必死に支え、シズネは「警察呼ぶよ」とスマホを取り出す。日曜日の街中だ。あっという間に野次馬が集まってくる。
 不意に運転席のドアが開いた。下りてきたのは大柄な黒ずくめの男だった。眼鏡の下の双眸は獲物を狙う猛禽のように鋭い。もうダメだ。アザミはその場にへたりこんだ。それを庇うようにミツキとシズネが前に出る。
 「てめぇ誰だ。なんの用だ、コラ」
 「今警察呼んだからね。ナンバーも撮ったんだから」
 ずい、と男が一歩前に出た。それで十分だった。威勢の良かった少女達は異様な気配に飲まれて身動きが出来なくなる。男はアザミの前に跪き、黒手袋の右手を差し出した。
 「ひい様。お戻りください」
 アザミは首を振って後退る。男は「さあ、ひい様」と手を伸ばす。その手を、フタバが払いのけた。小さな体を震わせて、半べそをかきながらアザミを抱きしめる。
 「ひ、ひとちがい、です。アザミちゃん、は、ひい様、なんて、な、なまえ、じゃ、ない」
 男はちらりとフタバを見遣ってからアザミの肩に手をかけた。
 「アザミに触んな!」
 「お巡りさん、こっち!こっちです!」
 ミツキとシズネが声を張り上げるのが酷く遠くで聞こえる。
 「ひい様。良いご友人を持たれたようですね」
 はっ、とアザミは男の顔を見上げた。鋭い眼光。駄目だ。それは駄目だ。
 「帰る…帰るから…この子たちに、手出ししないで」
 「ひい様のお心次第です」
 アザミは男に手を引かれて立ち上がった。膝の震えは治まらない。男はアザミを強引に抱えてベンツの後部座席に押し込む。
 「アザミ!」
 「アザミちゃん!」
 ミツキ達の泣き叫ぶ声が聞こえる。いや、防弾仕様のベンツの車内にそんな声が届くはずもない。でも、聞こえる。大事な親友達の声が。アザミの頬を幾筋もの涙が流れ落ちる。カラオケ、行きたかったな。アザミは声を殺して泣き続けた。

 「ひい様!心配いたしておりました」
 「ひい様、よくぞお戻りくださいました」
 漆黒の大鳥居が続く山道を抜けると、懐かしくも呪わしい豪奢な日本家屋が現れた。門の前にはやはり黒服の男達が待ち受けている。
 「湯浴みとお着物の仕度を。俗世の腐った下郎共の匂いを消して差し上げねば」
 運転席から下りた男はそう言ってから後部座席のドアを開き、さあ、と恭しく手を差し伸べる。ぴしゃり、とアザミはその手を思い切り打ち払った。涙の跡は残っているが、その表情が、顔つきが変わっている。
 「無礼者」
 アザミは男に冷ややかな視線を向けた。とても恐怖に震えて立ち上がれなかった少女と同一人物とは思えない。
 「我が友を下郎と言ったか。次に言えば殺す」
 「は、はっ…申し訳ございません」
 アザミは後部座席から下りると自分の足でしっかりと立った。腕を組み、さげずむように男達を一瞥する。
 「何用か」
 「ひい様、なにとぞ心を落ち着けてお聞き下されませ」
 「これは白縫本家の一大事にござりますれば、ひい様のお力なくばー」
 「前置きはいらん」
 ははっ、と男達は一斉に頭を下げる。アザミは険しい表情と厳しい口調で言い放った。
 「破門された我が身を連れ戻したからには、相応の理由があるのだろうな?」
 男達が一斉に平伏する。ベンツを運転してきた大柄な男が顔を上げた。
 「長が…お父君が死去なされました」
 アザミはつまらなそうに「ほう」と言った。
 「用はそれだけか。葬儀に出るつもりなどない。帰る」
 「ひい様、お待ちを。違うのです」
 「何が」
 「お父君は殺害されたのです」
 ふうん。もっとつまらなそうにアザミは足元の石ころを蹴った。暗殺でもされたのか。人に恨まれることしかしてきていない、あのクソ親父にはお似合いだ。ありったけ苦しんで死んだろう。あの男が祖母をそうしたように。
 「ひい様。こうなってはもう、ひい様にお縋りするしかないのです。どうか、どうか長の後を継いで、我ら白縫一族の総領となってくだされませ」
 ははははは。アザミは腹を抱えて笑い出した。が、その目だけは笑っていない。
 「ひい様…」
 「何を隠している」
 「…それは…なにも…」
 「言え。言わねば殺す」
 男はがくりと頭を垂れた。
 「白縫から人魔が出ました」
 ピクリ、とアザミの眉が動く。男は五日前に起こった惨劇を掻い摘まんで話した。その場にいなかったのだから広間での出来事は想像の域を出ない。しかし、あの凄惨な現場を見ればおよその見当はつく。そして、人魔は警備員と門番十人を食い殺して逃走した。追っ手をかけたが悉く無残な死体で見つかった。人魔は姿を消した。
 「無様だな」
 「はっ…面目次第もございません」
 「頼光には知らせたか」
 「滅相もございません。この件は分家筋にも伏せてございます」
 男は満点の回答をしたつもりだったが、アザミはたちまち不機嫌な表情になった。
 「何故だ」
 「はっ?」
 「人魔狩りは頼光の役目だろう。何故知らせん」
 「し、しかし、白縫から人魔が出たなどと知れたら、どのような咎めを受けるか」
 「四、五人が腹を切れば良かろう。もたもたしていればその間に人魔は百人の人間を食うぞ」
 「しかし…」
 「身の程を知れ」
 アザミは男を怒鳴りつけた。
 「白縫が鬼を追ったところで何が出来る。人魔を狩れるのは頼光だけだ」
 頭は下げるが納得していない様子の男を眺めてアザミはため息をついた。長に長老、護衛に本家、分家の主だった者達が惨殺され、その犯人が人魔と化した白縫という事実をこの者達は受け止めきれていないのだ。ただでさえ戒律の厳しい頼光に事実を告げることを恐れているのだ。人魔が本当に覚醒し人を食い始めれば百や二百の被害ではすまないだろう。手打ちとして数多いる白縫の血族から四、五人の首を送れば頼光は動いてくれる。しかしこの者達は己がその四、五人になる度胸もなければ血族から選んで恨みを買うに耐える気概も持ち合わせていない。今の白縫は腑抜けの集団だ。
 「ひい様。どうか、我らをお導きください。総領となるべきは長の一人娘たるひい様しかおらぬのです」
 「はっ。そっちの都合で破門にしたり総領にしたり身勝手なものだな」
 「わ、我らは、ひい様の破門には、は、反対を進言いたしました」
 嘘だな。あの時そんなことをすれば頭に血が上ったクソ親父に八つ裂きにされているはずだ。よく母も自分も破門追放で済んだと思う。あんなクズ男でもやはり母には何かしら負い目のようなものがあったのかも知れない。
 「よかろう。我が首を頼光に届けよ」
 「な、なにを…」
 「白々しい。最初からそのつもりで我が身を連れ戻したのだろう。総領の首なら一つで済むものな」
 「そんな…誤解です。我らにそのような考えなど…総領となられるひい様をそのような目に遭わせるなど…」
 「ではお前が腹を切るか?」
 「いえ…それは…」
 アザミは目を閉じた。
 お母さん。もう一度お母さんのカレーが食べたかったよ。フタバ、シズネ、ミツキ。一緒にカラオケに行きたかったよ。
 さよなら。
 アザミは恐るべき速度で男に詰め寄ると、黒服の中に仕込んであった短刀を抜き放った。男達が慌てふためく様が可笑しい。最後まで演技の上手いことだ。アザミは短刀を自分の首に押し当てると、何の迷いもなく斬り裂いた。

 気が付くと、白い部屋にいた。壁も、天井も、カーテンも、よく見えないが床もベッドも何もかもが真っ白だ。ベッド?自分はベッドに寝かされているのか。地獄は案外待遇が良いのだな、とぼんやりした意識のなかで思う。スルスルと病室の扉のような開閉音がして、誰かが近付いてくる気配を感じた。獄卒だろうか。首が回らない。足音が近付いてくる。
 「目が覚めたか」
 「よく分からない」
 アザミは思ったままを伝えた。ふ、と目の前が塞がれた。自分を覗き込んでいる獄卒は若く美しい娘だった。
 「無茶をしたものだ。普通であれば致命傷だ。白縫の者が私を呼びにこなければ本当に死んでいたぞ」
 死んでいた。では、今は死んではいないのか。しかし、あの時確かに頸動脈を斬り裂いたはずだ。
 「頼光には三つの神具と秘術があるのを知っているな。一つは『蜘蛛切り』で人魔を屠ること。二つ目は『微睡み草』による意識への干渉。最後の一つが」
 「『死に返し珠』」
 「『黄泉がえり珠』とも言う。四百年に一度使うことが出来る反魂の術だ。これであと四百年はただの石ころだ」
 アザミは次第に意識がはっきりしてくるのを感じていた。生きている。頼光に救われたのだ。しかし、何故。
 「良い部下を持ったな」
 まさか。まさかあいつらが。本当に。本気で自分を総領とするために。
 「泣いてもいいか」
 暫しの沈黙。何か、嫌な予感がする。空気が冷たくなった気がする。
 「まだ泣くな」
 頼光の声が微かに震えている。呼吸が乱れている。何だ。何を告げようとしているのだ。
 「お前は一ヶ月寝ていた。今更落ち着けとも覚悟しろとも言わない。だがお前の体は固定させてもらっている。暴れるのは傷が完全に塞がってからだ」
 「何が…あった」
 「一週間前、白砂リンドウ教授が自宅で縊死しているのが発見された」
 縊死?縊死ってなんだ。お母さん?お母さんがどうしたって?
 「大量の向精神薬を摂取した後にお前の部屋で首を吊っていた」
 やはりこいつは獄卒だ。そんなことあるはずがない。これは精神的な拷問だ。地獄の責め苦だ。
 「それより二週間前に、女子高生三人が同時に飛び降り自殺を図った。お前のアパートの屋上から路面に落下した。八階建てだ。全員搬送先の病院で死亡が確認された。遺書はなかったが、靴は揃えて置かれていたそうだ」
 やめろ。やめてくれ。嘘だと言え。頼む。そう言ってくれ。せめて、せめてあの子達じゃないと言ってくれ。
 「名を聞くか?」
 嫌だ。嫌だ。助けて。お母さん。みんな。どうして。どうして。助けてくれ。私の命じゃなく。みんなを元に戻してくれ。
 獄卒が叫んでいる。煩い。黙れ。いや、違う。これは、私の声だ。私の。
 「うわああああああああああああああああああ!!!」
 アザミは狂ったように叫んでいた。本当に狂えたらどれほど楽だったかしれない。体が動かない代わりに、アザミは絶叫し続けた。涙は出なかった。叫び疲れて声が枯れるまで、頼光を名乗る獄卒は側にいてくれたようだった。アザミは荒い呼吸をしながらガラついた声で言った。
 「私の所為だ」
 「自分を責めるな。分かっているだろう。お前に近しい者に手を掛ければお前は計り知れないダメージを負う。怒りに我を失う。敵の策に乗ってはいけない」
 「でも私の所為だ。私と関わったばかりに」
 アザミは大きく息を吸い、思い切り吐いた。獄卒が静かに言う。
 「確かにそうだ」
 「!」
 「お前は失踪し変死体で発見され、イジメを苦にした自殺と判断された。お前の遺書で名指しされた加害者三人はお前の母親に責められ命を絶った。マスコミはそれをセンセーショナルに取り上げた。お前の母親は誹謗中傷を受け精神的に追い詰められ首を吊った。表向きの筋書き通りなら、お前の所為だ」
 なんだそれは。なんだそのデタラメな話は。表向き?ならば。
 「裏が、あるのか」
 「全員他殺だ。敵は警察内部にもマスコミにもいる。お前の死体と遺書も、DNA鑑定も自殺の状況証拠も全部でっち上げだ。言っただろう。敵はお前の精神にダメージを与えるためなら手段を選ばない」
 敵。敵か。人魔以外でそんなものがいるなど想像もしなかった。
 「お前が白縫の総領になっては困る連中かいる。白縫の内部か、それとも頼光の内部か。そこまではまだ分かっていない」
 アザミは目を閉じた。悪い夢なら覚めてくれ。私はただカラオケに行く途中車にはねられて怪我をしただけで、目を開けたら心配そうに覗き込むお母さんとみんながいて。しかし、夢はそちらの方なのだ。目を開けなくては。そうだ、目を逸らすな。
 「白砂。いや、白縫アザミ。私と組むか」
 「獄卒でないなら、あんたは何者なんだ」
 「頼光リョウガ。頼光一族の頭領だ」
 ふっとアザミは笑った。いいだろう。自分達は頼光と白縫を統べる者だ。刃向かう者に容赦はしない。敵対するならしてみるがいい。死んだ方がましだと思うほどの地獄を見せてやる。それが人間だろうと、人魔だろうと。
 「あんた、アザミの花言葉を知ってるか」
 「悪い。そういうのに疎くてな」
 「いいさ。私の友達もそんなことを言った」
 「白縫」
 「アザミでいい。私もあんたをリョウガと呼ぶ」
 「ああ、構わない。それとアザミの花言葉だが、今検索してみた」
 「今の私にぴったりだろう」
 
 アザミの花言葉は諸説ある。しかし、今の白縫アザミにぴったりな言葉。それは。

 「報復」
 

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