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【童子切りー不知火鬼の章ー】

(注意:かなり胸くそ悪い表現と殺戮描写があります。鬱展開が不快な方は読まれませんようお願いいたします)





 人魔狩りの頭領が斃れた。頼光コウガの死は彼の一族のみならず、臣下である白縫家に属する面々にも衝撃を走らせた。コウガの父、頼光コウゾウの逝去から半年も経っていないのだ。
 「頼光の跡取りはあの小娘なのですか」
 イチナが不服を隠しもせずに言い放つ。「あれは使役魔の一匹も狩れない腰抜けです」
 「イチナ、長の御前だ。言葉を慎め」
 「ソウハ殿はあの娘を見たことがありません。あれでは『蜘蛛切り』を猿に与えるも同然。同じ女であるなら私の方があの神刀を」
 不遜であるぞ、とソウハ老が諫めるのを聞かず、イチナは更に言葉を継ごうとした。それを遮ったのは白縫カナメ、白縫本家の長その人であった。
 「イチナ。お前は使役魔を狩ったことがあるか」
 「…いいえ…白縫で人魔狩りは法度ですので…」
 「では『蜘蛛切り』を振るったことは」
 イチナはギリッと唇を噛んだ。
 「しかし、しかし剣技ならば里の誰にも負けはしません」
 「里の者であればな」
 長の言葉にイチナは俯いて握りしめた拳を震わせる。女の癖に剣術の真似事ばかりしている嫁き遅れ。禁じられている人魔狩りに執心する愚か者。分家の末席でありながら分をわきまえぬ身の程知らず。醜女、性悪、出来損ない。何故自分は同族にこうまで罵倒されさげずまれなくてはならないのか。頼光の小娘は、蝶よ花よと大切に育てられ、体術でも学問でも一族最高と称えられ、人魔殺しの神刀『蜘蛛切り』を託され、次期頭領の座まで確約されている。同じ女であるのに、この扱いの差はなんなのだ。容姿か。身分か。年齢か。
 「イチナ」
 カナメは肩を震わせ怒りを堪えているイチナに厳格な声を放った。
 「頼光リョウガに仕えよ」
 「なっ!?」
 頼光リョウガ。あの小娘。憎悪と嫉妬と屈辱の入り混じった感情で目の前が真っ暗になる。白縫が頼光に仕えるということの意味を当然イチナは知っている。長は自分がリョウガという娘に殺意さえ抱いていると知った上でその命を下したのだろうか。それではあまりに非情ではないか。白縫の一族は、否、この世はどこまで自分を虐げれば気が済むのだろう。
 「お主は先程、剣術では里に並ぶ者なしと言ったな」
 カナメの眼光は鋭く、口調は冷ややかだ。イチナはもう言葉を発する気力すら失っていた。
 「頼光リョウガに仕えよ。自慢の腕を存分に振るうが良い。そして」
 ソウハ老が、長の護衛が、憐れみの目をイチナに向ける。カナメは眉一つ動かさない。まるでそれが全く些末なことであるように。
 「死ね」
 しん、と静まり返った大広間に突然拍手が起こった。夫婦と思われる男女がイチナの両側に座して手を叩き笑っている。二人はイチナの頭を押して無理矢理平伏させた。
 「この度は、不肖の娘に大事なお役目を賜り誠に有り難う御座ります」
 「このように栄誉ある任を拝命出来るとは歓喜に耐えませぬ。娘もこのように落涙して喜びを示しております」
 酷薄そうな顔に満面の笑みを浮かべてイチナの両親は手を叩き、頭を上下させ、嬉しくて堪らないといった声音で幾度も長に礼の言葉を延べ続ける。
 イチナは頭を押さえつけられたまま、両親の言葉を呆然と聞いていた。この人達は何を喜んでいるのだろう。長は何と言った。自分に「死ね」と言い放った。それをこの人達は猿のように手を叩き歯を剥き出しにしてキイキイと喜んでいる。娘が、死の宣告をされたのに、だ。
 「本当に良かったなあ、イチナ」
 「本当に良かったねえ、イチナ」
 親と呼んでいた男と女が嬉しそうに笑う。ああそうか。そうなのだ。この男女は実子であるはずの自分が命を絶たれるのが嬉しくて堪らないのだ。頼光に仕え殉死した者の遺族には多額の報償金が与えられる。分家の更に下位の身分の男女には目も眩むような大金だ。イチナが死ねばそれが手に入る。勿論分家での地位も上がるだろう。素行の悪い厄介者が消えて金と地位が手に入る。願ってもないことだ。
 不意にイチナは可笑しくなってしまった。誰も自分を必要としていない。否、誰もが自分を必要としている。頼光に仕え絶命するという誰も望まない役目を押し付ける者として、イチナは最適だったのだ。
 頼光は人魔狩りの一族だ。ならば白縫は何か。頼光に仕え、その特異な体質をもって人魔をおびき寄せる餌となり、頼光の者を守るために時に人魔の贄となる。頼光の持つ人魔殺し、あるいは封印の能力を白縫は持たない。代わりにその血肉と命を捧げて人魔狩りを補助する。頼光の一族が少数精鋭なのに対して、白縫は数多の血族を有している。幾らでも命の使い捨てが出来るように。全ての始まりは数百年前。同胞として共闘していた頼光の一族を裏切った一人の白縫がいた。自分の命惜しさに頼光の者を犠牲にして生きながらえ遁走したのだ。そのただ一人の罪を贖うために、白縫は一族郎党全ての命を未来永劫頼光に捧げると誓うこととなった。逃げた元白縫は同族に追われ処刑された。その首は特殊な塩に漬けられ白縫の贖罪と従属の証として頼光に差し出され、頼光は現在もそれを有している。白縫の裏切りを決して許さぬという見せしめのためである。
 馬鹿馬鹿しい話だ、とイチナは思う。従属しても死に、裏切っても殺されるのであれば戦えば良い。ぬるま湯に浸かった今の頼光など恐れるに足りない。
 イチナは猿のような男女の手を振り払って顔を上げた。真っ直ぐに長を見詰める。凍てつくような双眸を捕らえると、にっこりと微笑んだ。醜女などではない。イチナはその場に座している誰より凜々しくこの上なく美しかった。
 「分かりました。死にましょう」
 おお、と広間にざわめきが戻る。カナメが何か言い出そうとするのを遮って、イチナは言葉を続けた。
 「ただし、私は頼光リョウガに仕えるのではなく、あの女を殺して『蜘蛛切り』を折りに参ります」
 「何を言い出すのだイチナ!」
 ソウハ老が顔面を蒼白にして大声を上げた。横にいた男女は引きつった笑顔のまま石のように固まってしまっている。カナメはすっと目を細めた。
 「頼光リョウガが死して『蜘蛛切り』が失われればどうなると思う」
 「使役魔、瘴魔、妖魔、あらゆる人魔が解き放たれこの国は蹂躙されるでしょう」
 「お主はそれを良しとするか。老若男女あらゆる者が惨殺されこの世は地獄と化すのだぞ」
 「それが何か?」
 カナメの表情が明らかに変わった。憤怒の形相となって咆哮する。
 「お主の両親もはらわたを喰い千切られ脳髄を吸われ地獄の苦しみを味わって死ぬのだぞ。生まれたばかりの赤子も愛し合う若人も」
 「だから、それが私になんの関係があるのでしょう」
 イチナは美しく微笑んだまま、憐憫の色さえ浮かべてカナメを見た。
 「『蜘蛛切り』を折れば、解き放たれた人魔共に真っ先に殺されるのは私でしょう。わたしは無様に命乞いをし、頼光と白縫の隠れ里の場所を告げます。人魔に道理は通用しない。私を喰らい、仲間を狩った者達を血祭りに上げるため里を襲撃するでしょう。老若男女等しく地獄の苦しみを味わって死ぬのでしょうね。でも私にはなんの関係もありません。先に地獄に堕ちていますから」
 ザン、と大太刀を振ってカナメが立ち上がった。足音荒く大股で歩み寄りイチナの前に仁王立ちになる。
 「痴れ者め。今すぐ死ね」
 太刀を振りかぶってカナメは叫んだ。しかし、その刃がイチナに触れることはなかった。
 ぐが、と蛙の潰れたような声を上げて、ぐらり、とカナメの巨躯が揺らいだ。そのままゆっくりと広間の床に崩れ落ちる。溢れ出していく血。
 返り血を浴びて、イチナは清しく微笑んでいた。その手に、血塗れの木刀が握られている。半分に折れたその切っ先は正確にカナメの喉に食い込んでいた。
 「言いましたよね。私は里では誰にも負けないと」
 イチナはカナメの大太刀を拾い上げると、振り向きざまにかつて親と呼んだ男女の首を刎ねた。噴水のように血が噴き出し、二つの首は鞠のように跳ねてソウハ老と護衛の元に転がる。
 「あ、あ、あ、待て、待つのだイチナ。落ち着け、落ち着くのだ」
 「私は」
 刃が一閃する。ソウハ老の首が飛ぶ。
 「落ち着いておりますのでご心配なく」
 そこから先はまさに地獄絵図だった。イチナは冷徹に、正確に、その場にいた者達を斬殺していった。溢れた血海の中でのたうち回りならが逃れようとする護衛や本家の自称手練れ連中を片端から切り捨てる。
 大広間にいた全ての人間を殺し尽くしたイチナは、返り血を浴びて真っ赤に染まった顔を拭った。罪悪感など微塵もない。人魔に引き裂かれ地獄の苦しみの中で生きながら貪られるより、一瞬の斬撃で止めを刺してやった自分はまるで神仏のように慈悲深いとさえ思う。その時。
 どくん、と大きな音を立てて心臓が脈打った。焼け付くように喉が渇いている。ぐるる、と腹が鳴った。飢えている。全力で太刀を振るい続けたせいかと思ったが、少し違う。床一面に広がった血の匂いが、イチナの嗅覚を刺激する。まだ生温かい屍は美味そうな肉塊だ。イチナは口角を上げて妖艶に舌舐めずりをした。爪と歯がキリキリと尖っていく感覚が心地良い。

 その夜、一人の白縫の女が姿を消し、一匹の人魔が野に放たれた。


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