ヘラブナ釣りと孤独~理解者を求めて彷徨う私の人生~vol.1

はじめに

今日から、エッセイを書くことにした。

半世紀近い人生を振り返ってみると、喜びよりも、苦難や挫折が多かったように感じている。

私には統合失調症と軽度発達障害という障がいがあり、生まれて来たことに対して苦悩を感じることもある。

親元にいた頃は、自分の在り方について理解者がおらず、孤独や怒りを酒で紛らわしたり、母に当たったりしていた。

しかし、4年前に一人暮らしを始めてからは、自らを取り巻く環境が変わった。

40を過ぎた今も孤独や苦悩は消えないが、友だちができない理由や、人との距離感を保つことの難しさを感じている。

また、昨年自殺した従兄のこともあり、孤独の影響を身近に感じた。

今日から複数回にわたるエッセイでは、私の半世紀近い人生を振り返ってみた。初回は唯一の趣味であるヘラブナ釣りについて書いてみようと思う。

割り箸から始めたヘラブナ釣り

私が初めて釣りに行ったのは、3才の頃だと聞いたことがある。

その頃はまだヘラブナ釣りではなく、荒川などで投げ釣りをしていて、釣れたら竿を持たせてもらっていた。

5歳の頃にヘラブナの釣り堀に行き、割り箸に簡単な仕掛けとエサを付けて遊んでいたところ、これがよく釣れた。

手前には釣り人がエサの付いた手を洗ったりするため、魚が寄っていたのである。

管理人が来ると、割り箸をサッとしまってとぼけていたが、今考えてみればバレバレで、子供だから大目に見てくれたのだろう。

どこに行っても、割り箸の釣りをするようになり、「ボク、こないだ〇〇にいたでしょ」なんて言われたりした。

父の会社の人が釣り会に入っていて、その人の例会がある場所に行ったとき、「割り箸の先生」と名づけられた。

初めてへら竿を持ったのは、小学校に入学した頃だったと思う。

その頃は力がなくて、12尺の竿を両手でアワセていた。

高校生くらいから、自分の道具を使うようになったが、それまでは父の道具を使っていた。

夏休みには、毎年ジュニアの釣り大会に参加していたが、普段父が針を結んだりしていたため、いざ自分でやることになるとかなり手こずった。

結果はいつも散々だったが、気の合う仲間と釣果を競い合ったことはいい思い出である。

そんなヘラブナ釣りも、中学のときはサッカー部だったため、ほとんど行くことができなかった。

今思えば、運動音痴な私がサッカーをやるよりも、ヘラブナ釣りに熱中したほうが幸せな人生を送ることができたと思う。

小学生のころ、母に「釣りのことしか頭にないの?」と言われたこともあるが、私の人生であり、大きなお世話である。

伯父が竿掛けやウキを作っていたため、教わってやっていれば、今頃ウキ作者として活躍していたことも考えられる。

また、父と行ったときも自分ですべてやっていれば、若いうちにもっと上達していたかもしれない。

高校を卒業してからは、仕事が続かなかったため、思うように釣りに行けない日々が続いている。

ヘラブナ釣りを愛する人の中には、ウキ作りを生業にしたり、釣り道具屋を経営している人がいたりするが、私もそういった道に進むべきだったと後悔している。

仲間作りが上手くいかず、父に「釣りなんか始めたからいけないんだ」と言ったことがあるが、訪問看護のスタッフなどからは、いい趣味を持っていると言われることが多い。

今後の目標としては、まずは安定した収入を得ることである。そしていつの日か、メジャーな大会に参戦し、天国の父にその勇姿を見せたいと思う。



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