見出し画像

普通という異常

ひっさびさに面白い本を読んで文書欲が出たので長文でおすすめします( ̄▽ ̄)

「普通という異常」

ラプラスの悪魔という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

みんな大好きwikipediaによると「ある時点において作用している全ての力学的・物質的な状態を完全に把握・解析する能力を持つが故に、未来を含む全運動までも確定的に知りうる」超越的な存在概念、とされています。
難しくて何言っているかわからないという人もいると思いますが実はそんなに大したことを述べているわけではありません。

例えば今手に持っているスマホを離します。どうなるでしょうか?きっと地面に落ちますよね、これくらいなら我々でも予想できます、だってスマホには重力と空気抵抗くらいしか働かないと知っているから。しかしその知識がない、つまり作用している全ての力学的・物質的な状態を完全に把握・解析する能力を持たなかったニュートン以前の人々にはもしかしたら予想がつかないかもしれません。

さて、では落ちたあとはどうなるでしょう、地面にぶつかった携帯は少しバウンドしてその後止まるでしょうか。ではどの位置に止まるでしょう?画面は?割れているでしょうか。きっとパソコンを使って解析をすればそのあたりまで細かく予想することができると思うのですが、少なくとも我々には不可能でしょう。

重力と、空気抵抗が働くのを知っていてもどの角度で落ちて、地面からどういう反動があって、なんて細かい力、状態を把握できないが故にふわっとした予測しか立てられません。そもそも我々は今スマホ、という一塊のもの全体に働く力を考えていますがこのスマホ、というものを分解していくと何千何万の部品からなっていてさらにミクロに見ていくと全てのものは分子やら原子やら素粒子やらそんなものでできています。それら一粒一粒に力が働いているわけでそりゃあ予測できないなと思うわけです。でももし逆にそれができれば、当然その集合体であるスマホの動きなんて簡単に予想できるでしょう。
突き詰めれば人間の動きだってそう。
「いやいや僕らは自分の意思で動いているから予想通りには動かないぞ」と思う人もいるかもしれません。しかし僕らの脳だって素粒子一個一個からできている集合体なのでそれをきちんと分解して全てを理解できればそこに流れる電流、つまりは僕らの行動を制御する電気信号ですら予想はできるでしょう。

しかし当然現時点でそんなことは不可能であり、ラプラスの悪魔はいないわけで、だからこそ人生は予想がつかず楽しいわけです。
ただ世の中の解像度は人それぞれで、どこの要素まで見えているのかというのは人によって異なります。というのも同じ景色を見てもそこからどれだけの情報を得るかは人によって違います。
たとえば運転をしていて、渋滞にイライラしたことはないでしょうか。前の車が走り出すとつられて走り出し前の車がブレーキを踏むとブレーキを踏む繰り返し。少しでも早く進みたいからベッタリとくっついていく。そんな経験はないでしょうか。しかし本来渋滞の最適解は車間距離をあけ、ブレーキを踏まずに進み続けられるくらいの速度で走り続けることです。一回進み一回止まるこれを繰り返すごとにラグが生まれ伝言ゲームのようにズレたタイミングで後続車に伝わっていきます。本来、前の車ではなく、信号が青になったら進む、ということを同時にみんなが行えば一切のラグなく進めるのに、多くの運転手は前の車しか見ていないのです。さらに言えば、このまま進むと交差点内で赤になってしまうな、スーパーの出入り口で停まってしまうな、なんてことまで考えながら進めている人がどれだけいるでしょうか。これは単にI Qが高い低いとかそういう問題でなく、世の中の、見えている景色に対する解像度の違いだと思っています。

私自身も自分がとても解像度が高いと思ってはおらず、見えていないものが多くあると思っています。私はめちゃくちゃ方向音痴なのでカーナビの言うがまま進むことが多いのですがカーナビのついてない代車などで走ると情報を得る必要に駆られます。そうして視野を広げてみると街中にはきちんとどっち方面、なんていう親切な標識があって驚くものです。

さて、前置きが長くなりましたが今回この話をわざわざ書こうと思ったのは、ある本を読み自身の解像度の低さを噛み締めたからです。

「普通という異常」
著者は兼本浩祐医師。言わずと知れた愛知医大精神神経科元教授の先生です。元教授というものの退官されたばかりで今年までは教授をなさっていました。私は愛知医大にいた3年間、ありがたいことに先生の外来につかせていただくことが多く、診察の合間にたくさんの話を聞かせていただきました。もちろん、様々な背景の人々と対話するプロでいらっしゃるので我々のようなひよっこにも非常にわかりやすく話をしてくださるのですが、そういった手心を加えていただいた会話の中でも日々の話の中で解像度の高さに恐れ慄くことが多くありました。

私は昨年から大学病院を離れ、そういった刺激が少し薄らいだ頃にこの本を手に取りました。本書のタイトルや帯の煽り文句を見るに、いかにも読みやすそうな、専門家以外でも手に取れそうなものになっており、これはひとえに出版社の方々の努力の賜物だと思うのですが、一見ありがちな本のようにも見えなくはない装丁になっていたと思います。しかも昨今の物価高、本の値段すらどんどん上がっている中でたった1000円で買えてしまうというのも良くない。これが3000円であれば我々もあぁ、「専門家兼本浩祐医師」の本だから気合を入れて読まねばという覚悟をして読むわけです。しかし1000円でこのパッケージでは例え専門家だと知ってはいても、兼本先生の造詣の深さを知ってはいても、どうしても油断をして読んでしまいます。しかも彼の本はいつもそうなのですが、最初の何ページかは実際に読みやすくなっている。今回に関してはわかりやすく、という点に意識を置かれたのか(はたまた編集の方の努力によるものなのか)1章に関して言えば非専門家が読んでもわかるギリギリのラインとなっています。先ほどの解像度の話ではないですが「わかる」にもそれぞれの深さがあると思うのですがここでは一般的にそう引っ掛かりなく読みすすめられる程度、という意味での「わかる」だと思っていただければ良いかと思います。

しかし章を追い読み進めるにつれ、彼に見えている世界が我々凡人とは大きく異なることに気づき絶望をし始めます。実際に各タイトルを見ていただくとディズニーランド、エヴァンゲリオンなど我々にも馴染み深い俗世の話にまつわるものが多く出てきており、読んでみようという気になるわけですが、同じ作品の話のはずなのに我々には見えていない見え方でその作品を捉えていることがよくわかります。NARUTOの無限月読、鬼滅の刃の無限列車編を誰がパットナムの「水槽の中の脳」を思い浮かべながら読んだでしょうか。私もメディアなどでよく五月病について聞かれ答えるのですが、ついついわかりやすい例や言葉を使い話してしまいます。しかし本書に至ってはどうでしょう、五月病の話でカフカの「掟の前で」がでてきてしまいます。脱帽以外の言葉が見つからなくなってしまいます。私は彼からこの門の話を別の文脈で聞いたことがありますが、その時は「人生にはくぐってはいけない門がみたいなものがあって、そこをくぐってしまうと絶望に気づく」というような話をしてのではないかと思います。その当時はピンと来なかったのですが、今回この本の話を読み、スペアを取るような形で自分の中で何か収まった気がしています。ちなみにこの著書の中にはウォーホルのキャンベルスープの話も出てきますが、誰もが見たことのある絵画であるにも関わらず、あの特殊性について昨今、日本で面白い言及の仕方しているなと私が思ったのは堀江貴文さんと兼本医師だけです。

この本を読むと私は、我々とは見た目は同じまま少し進化したニュー人類と呼べる生物がいるのではないか、彼らにはほんの少し、しかし確実に、我々より細かい粒子が見えているのではないかと思わざるを得ないのです。
4足歩行の猿人から自立したホモサピエンスに至るまでの進化の過程の図を教科書で見たことがある人もいるかもしれませんが、人類の進化の歴史を見ると見た目はそう変わらないまま多くの種が生まれてきており、我々も何百年後に振り返った時、今が分岐のタイミングなのかもしれません。そしてその進化の行先にはラプラスの悪魔が描かれているのかもしれないのです。
今回久々に他人の本を読み刺激を受け、筆を取るに至りました。
当然私如きがこの本の深淵、婉容さを拙い視点で語りきることはできないため、気になった方はぜひ覚悟をして買ってみてください。

ちなみにこの文章はTwitterに以前載せたものなのですがその後、兼本先生にお会いした時に「先生本の感想を書いてくれたんだってね」と速攻で言われました。私のような一若輩者が勝手に教授の本の感想を書くなんて恐れ多すぎるのでひっそり書いていたのですが、ゴリゴリにバレていました。。教授の器が大きくてよかったです(TT)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?