全ては自分の心の在りかた次第、禅語【一切唯心造】とは?
先日、久しぶりに京都の鈴虫寺に行ってきました。
ここは境内にあるワラジを履いたお地蔵様が、参拝者の願いを叶えてくれることで有名ですが、お坊さんの説法ももう一つのお寺名物になっております。
その法話から、感じたことをつらつら記してみました。
禅語【一切唯心造】とは?
禅語と聞くと堅苦しいイメージを持たれがちですが、鈴虫寺ではお坊さんの語り口調が大変ユーモラスで、場の雰囲気をとても和やかにしてくれます。
そのお坊さんから、今回紹介して頂いたのがこちらの言葉です。
【一切唯心造】
【一切唯心造】の一番分かりやすい例が、コロナ禍ではないかと思われます。
世界を震撼させたパンデミックウイルス。
この出来事を不自由や不幸と捉えるか、 学びや成長のチャンスとして考えるかは、正に人それぞれ。
世の中の転換期が来たのであれば、己のマインドも変える丁度良いチャンスではないかと、私は少なからず感じました。
つまり自分に降りかかる物事や出来事は、己の心の捉え方次第で、無形変化するのです。
登山から 禅語【一切唯心造】を考える
ちなみに自分が趣味で行っている登山の世界に更に具体化してみました。
Q.あなたが行っている最近の登山で、あまり良い天候条件に恵まれていません
A.雨に降られたり雲が多かったりするので、山頂の眺望がイマイチ。モチベーションが全然上がらない。最近の運気がダメなのかも…な。
B.最近の登山は天候が良くない日も多いけど、毎回晴れる保証はそもそも無いから。雨の日の歩き方も集中的に練習できると前向きに捉えよう。
以前の自分は、結果に一喜一憂するA寄りのネガティブ思考でした。
「なんで週末だけ雨が降るんだよ」とか「ガスの山頂なんて見せ場が全く無いわ」など、不平不満の垂れ流し状態…。
そもそも己の力では、天候をコントロールすることは不可能なのです。(当たり前!)
だから出来ないことを嘆くより、できる範囲でベストを尽くした方が、はるかに結果が出やすい。
このマインドに少しずつ気付き始めてきたキッカケとは?
それは雨の日や風の強い日を経験することで、晴天の有りがたさをより実感できることに気付き始めたからでした。
結局、雨や風を天からの恵みと捉えるか?
邪魔な存在と考えるか?
この違いを少しずつ認識し始めてから、不思議なことに、登山での晴天遭遇率が以前より上がった気がしています。
というか、物事を前向きに捉え始めたから、少々の天候不順があまり気にならなくなったのだと分析しています。
結局、大半のストレスは自分の心が生み出しているのだから、やっぱり普段から意識の持ち方が凄く重要だといえるでしょう。
登山は快晴無風の日が最高の条件ですが、最近は70パーセントぐらいの晴天率でOKと思ってます。
これ登山に限らず、普段の生活でも欲はできるだけ小さくしておくと、案外物事はスムーズに捗るんです(笑)
これ真理に意外と近い哲学ではと感じています。
ここまでご愛読ありがとうございました。
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