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年金と持ち家、そしてホーム

コロナ禍はこの社会が抱えていた潜在的な問題を明にした。「家賃」はその中でも大変な問題だった。コロナ禍で収入が減った。食費は調整が効いた。おかずの数を減らし外食を控えることは出来たい。だが「家賃」はそういうはいかなかった。収入と家賃のバランスの問題はかねてから指摘されていたが、収入が減っても家賃は固定費であって調整不可能。収入に比べて家賃が高い人が多数存在している。

現在の国民年金の平均受給額は約5万6千円、満額だと6万5千。厚生年金では平均的な収入のサラリーマン夫婦の場合、月額22万1504円(2019年調べ)。単身者は約半分。いずれも家賃が相当な比重となる。国民年金のみの世帯は特にそうなる。

それにしても国民年金はなぜこんなにも低いのか。しばしば国民年金と生活保護が比べられ議論になる。地域によるが生活保護は家賃込みで11万円程度(単身)。国民年金の約二倍。「不公平」を感じる人も少なくない。

しかし両制度はそもそも土台が違う。それは「資産の有無」だ。生活保護は持っている資産を用いてもなお最低生活を維持できない人が利用できる。年金の場合、資産は問われない。実際に年金と預金を組み合わせて暮らす人は少なくない。何よりも大きな違いは「持ち家」。生活保護受給は持ち家の処分が原則となる。

実は年金の前提は「持ち家」だった。「戦争中に多くの家が焼け、終戦直後には約420万戸の住宅が不足しました。さらには戦後のベビーブームと、農村から都市への人口移動で、世界でもまれに見る大きな住宅需要が生まれました。(中略)政府は、人々の『持ち家』取得を促しました。国の財政だけではとても住宅需要に対応できず、国民の家計や民間資金を動員して家を増やしたのです」と神戸大の平山教授は指摘する(朝日新聞2021年12月)。さらにこの「持ち家政策」の意味を「『家族・中間層・持ち家』が重んじられてきました。経済が成長する時代、人々は借家から持ち家へ、という住まいの『はしご』を登りました。雇用と収入を安定させ、家族をもち、家を建てるのがゴール。持ち家へ向かう中間層が膨らむことで、社会が安定すると考えられました」(上記平山)としている。「持ち家があること」が年金の前提であった。だから「年金に家賃は含まれない」ということになる。
だがこの「前提(理屈)」が崩壊した。持ち家率は低下し終身雇用なども崩れつつあり住宅ローンを組むことが出来る若者は減った。持ち家、定住というライフスタイルは変化しつつある。

「家がないと年金だけでは生活できない」これが現実である。これは逆にいうと「住まいさえ何とかなれば年金で暮らせる」ということでもある。「住まい」を社会保障と考える時が来ている。

単身世帯が4割に達し2030年には単身高齢世帯が800万世帯となる。一方空き家は800万戸以上。これを上手く活用するしかない。

従来「住まい」には暮らしや人とのつながりが含まれていた。ハウス(建物)に終わらせずホーム(つながり)と呼べるものを創造する。自宅(ハウス)では一人ぼっちだが、そこに住むと誰かとつながることが出来る。だから孤独、孤立の中でつながり(サードプレイス)を含む新しい社会保障の仕組みを創らなければならない。

これまで一部公営住宅を除き、住宅供給は持ち家と民間賃貸住宅、つまり「市場」に任されてきた。住宅確保要配慮者の問題が指摘される一方で空き家が増え続ける。今後人口減少が加速するから、空き家は増える。だが街中では新築マンションの建設が進んでいる。不思議な思いで見ている。

住まいは前提。家(ハウス:建物)だけの問題ではない。生活、健康、福祉、経済活動、社会参加などすべてに関わる事柄だ。国土交通省住宅局のみならず、厚労省、法務省、総務省、経産省、文科省など役所の縦割りを超えた大きな視座に立った議論が必要だと思う。「社会保障としての住まい保障」。これを早急に形にする時が来ている。

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