イツカ キミハ イッタep.90
山形駅前ホテルのロビーラウンジ。ここの平日限定ランチは14時までの提供だったので、新幹線を降りてから一目散にホテル目がけて走り込み、少し古めかしい金色の取手のついた重厚なガラス扉を押し開けた。
天井の高いロビーには、シャンデリアのオレンジ色の柔らかい光が、行き交うサラリーマンや待合せのご婦人達を優しく照らしている。
「あっ、はっ、はっ、あの…ランチ、まだ大丈夫ですか?」
黒いタキシード姿の背の高いボーイさんが入口にいたので、つかまえて訊いてみる。
チラッと腕時計を見ると、うやうやしく一礼して
「今、厨房に確認してまいりますので少々お待ちください」と言って目の前から消えた。
13:58
私の数字のない腕時計は、確かに14:00より2ミリほど手前を指していた。もう20年以上使っている時計だ。私はこの腕時計の針の微妙な傾きで、時間をしっかり把握できるようになっていた。、という確信があった。
「今、ランチのお席をご用意しますので、少々お待ちください」
ボーイは戻ってくるなり、ダスターと格子柄のランチョンマットを持って、柱の奥の席へと向かった。いそいそと戻ってくると、片手にお冷のグラスを載せたトレイをクルリと回すようにして、背筋をピンと伸ばして私を席まで案内した。
「どうぞ、こちらへ」「どうも、初めまして」
ボーイの声と、柱の奥から斜め前のコーナー席に腰掛けた二人連れの、男の方の声が被って、思わずボーイの後方へと視線を向けた。
すると…
「私、お会いしたかったんです♪◯◯なんて、なかなかお目にかかれない職業の方のお話しが聞けると思うと、なんだか嬉しくって」
明るいブラウンカラーのゆるりとしたパーマをかけた、妙齢の女性の笑顔が目に入った。
えっ? 肝心なとこ、聞き取れなかった。
◯◯って、職業のことだよね?
ボーイから続けてオーダーを訊かれたタイミングの悪さに、心の中で舌打ちする。
「ランチはCセットで、飲み物は食後コーヒーで」
そう幾分ぶっきらぼうに答えると、すぐさま耳だけコーナー席のアベック、いや古すぎるので訂正する。二人連れの会話に集中した。
「…モンテディオの試合は、だからよく行くんですよ」
「え〜、そうなんですかぁ?私も大好きです」
男が地元サッカーチームの話をしている。「なかなかお目にかかれない」職業だというからには、スポーツ記者か、いやコーチとか…。
ランチのメインはドリアなので、まだ運ばれてくるには時間がかかると踏んで、男の席から正面に見える化粧室へ向かった。帰り、スーツを着た男の顔が通路を向いていたので、チラリと目線をやると、真面目そうな、そしてどこか気品を漂わせた大人だった。
そう、かなり大人…若くはない。
「お酒はお好きですか?」
女が尋ねる。こういうやり取りからすると、婚活アプリで知り合った、最初の対面機会ではないかと想像できる。男は少し考えてから
「家飲みが多いですね。神職という立場柄、公の場に誘われるときには、場の雰囲気を楽しむようにしていて、量はあまり飲まないです」
出た!職業は神職。それは確かに「お目にかからない」わけだ、と一人納得する。
今度は逆に聞き返されて、女が答える。
「う〜ん、私も基本は家かなぁ。えっ?種類はワインが大好きで、いくらでも。外で飲むときは、私もワイワイとした場の雰囲気が好きなので、楽しいとそのまま朝までいることも」
つまり、かなりお好きな訳ね。この辺の会話からだんだんと雲行きが怪しくなってきた。
「お休みは、どうされてるんですか?」
女が無邪気に質問している。
「職業柄土日祝日は、基本仕事があり、休みは決まった曜日ではなく、行事とか見て取れそうな時に週一回なので、あまり計画的にどこか行くとか予約するような遊びはしないですね」
柔らかなカールに指を絡ませて聴いていた女の表情が少し強張る。そして、それまでの高い声のトーンから幾分低い声で
「それは、大変ですね」と相槌を打つだけで、会話が途切れた。
「お待たせしました。舟形マッシュルームと小エビのトマトクリームドリアになります」
ウェイターがアツアツのドリアを目の前に置いた。エビがぷりぷりで、黒いマッシュルームが味に深みをもたらしている。食べている最中は、食事に集中していたため、コーナー席の二人の会話は途切れ途切れしか聞こえなかったが、女の方の職業は高齢者介護施設職員のようだった。
「私、いろいろ仕事を替えてきて、ようやく今、やり甲斐というか、人の役に立てている仕事に誇りを持てるようになったんです」
エビを咀嚼しながら、ウンウンと私は頷く。
若そうに見えるが、案外、社会人生活が長いのかもしれない。深く推察しているうちに話題は音楽の話になっていた。
「今、好きなバンドとかはないんだけど、昔からサザンオールスターズが好きかな。あと、そうだ、オレンジレンジも好きだったなぁ」
男の言葉に「それって、もしや…」と思いあたる。私と同世代?続く女の言葉に、思わず顔を上げてスプーンを置いた。
「同じですぅ〜。私もオレンジレンジ、好きです」
ん?あなたK-POPとかじゃないの?もしや…
よくよく目を凝らすと、確かにお化粧の感じや装飾品が20代のそれとは違っていた。
二人の前に置かれているコーヒーと同じものが私の元にも運ばれてきた。立ち昇る湯気を見つめながら思う。いろいろ大変だったよね。ここまでくるのも、そしてこれからも。
神職と介護職員の結婚というのは、生活リズム含め、折り合いがうまくいかないと難しいだろうことは予測できる。それでもなお、こうしてホテルで実際に見合う形で出逢った二人の未来に、幸せが待っていて欲しいと強く思った。
二日前に降ったという雪が、道の端に溶けずに積まれてあるのを横目に、タクシーの車窓から、今にも泣き出しそうな曇天の空を見上げる。
あの後、二人はどうなるのだろうかと、思いながら…。
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