カウンセリング進捗報告。
昨年、彼氏のことで悩み、心身への影響まで出たことから、ちょっと自分の不安に対する感覚は尋常じゃなさそうだ、また、恋人とうまくいかないのは親との関係に問題があったり、未消化のトラウマがある可能性が高い、というようなことを知り、心当たりしかなかったので、勇気を出して2月からカウンセリングに通っている。
今日で3回目のセッションが終了した。
前回、今回と感情が溢れ、涙してしまった。
前回は自分の思考に対する気付きがあり、今回は15年以上抑え込んでいた感情を少し浄化できたような気がする。
思えば、父が亡くなった直後、母は半年くらいカウンセリングに通っていた。
当時の私は、自分がカウンセリングに通う、なんて選択肢があるとは思っていなかったため、癒えることのない傷を胸に抱えたまま、空虚な心で高校生活をやり過ごしていた。
家に1人でいるときには、ふと後悔や悲しみが込み上げ、よく泣いていた。
時間薬により、過去のことを頻繁に思い出し、泣くことは随分減ったけれど、決して記憶が抹消されたわけではなく、
考えてもしょうがないし、辛くなるだけ
と自分の奥底に潜む黒い闇を、見て見ぬフリしつづけてきただけだったのかもしれない。
今なら分かる。
あのとき、母と同じように私にもカウンセリングが必要だった。
母にも友達にも話せない辛い気持ちを吐き出す場が私にも必要だったのだ。
だけど、不登校になることも鬱になることもなく、表面的には普通に学校に通えていたから、心に大きなダメージを負っていることに自分も母も気付いていなかった。
いや、私自身は気付いていたけど、どうすることもできない問題だと思っていた。
死んだ父は戻ってこないし、悲しい気持ちをなくすこともできないし、生きるのをやめることもできない。
1人で悲しみを受け止め、誰にも見られていないところで泣き、気持ちを奮い立たせて、また日常に戻る。
当時の私にはそれしかできなかった。
父の死だけではないが、過去の出来事たちが大人になった今でも、自分の首を絞めたり、悩みの種になるなんてこと、学校では教えてくれなかった。
幸か不幸か、彼氏のことで病的に悩んだとき、心理学や生きづらさについて調べ、自分の中で気付きを得たり、仮説が浮上したから、私は行動を起こせた。
だけど、ここに辿りつかずに苦しんでいる人はたくさんいるんじゃないだろうか。
それこそ、元彼も中1のとき、父親を交通事故で亡くしていて、当時はショックから2週間学校を休んだと言っていたが、果たしてそれだけで彼の傷は癒えたのだろうか?
真面目で繊細な彼のことだから、消化しきれていない思いが未だにあるのではないか。
私は父を失ってから、大切な人を失う、ということにとても敏感になった気がする。
人生の早い段階で、失う経験をしたことで、その恐さや辛さを先取りしてしまったのだ。
心理学をかじり出してから「見捨てられ不安」という言葉を目にするようになったが、私にもこの感覚はある。
父の死をきっかけにこの感覚は生まれたような気がする。
だから、彼氏と別れるとなると、なんとなく父の死の経験を重ねてしまって、
もう一生会えなくなるなんて嫌だ。悲しい。寂しい。私を1人にしないで、置いていかないで。
という感情がわいてくる。
金輪際、会うことがないとなると、それはある意味、死だ。
そんなの辛すぎる。耐えられない。
だから、別れても友達でいたいと思ってしまう。友達という関係で繋がっていられれば、死を意識せずに済むから。
失恋は誰だって傷つくし、恋人との別れは誰だって悲しい。でも、それに対する捉え方や感じ方が私と友達ではなんとなく違うんだろうな、という気がする。
男なんてたくさんいるし、次いこ!とか、時間が解決してくれるよ!とか、美味しい物食べて気持ち切り替えよ!とか、今回はたまたま相性が悪かっただけだよ!みたいな声かけは普通の人が恋人と別れた場合は有効だと思うけど、私のように、最愛の人を亡くした感覚を持つ人には落ち込みの次元が違いすぎて、効かない。
カウンセリングを体験してみて、気持ちを吐き出して、泣いて、浄化するのが1番手っ取り早く復活できる方法かも、と思っているけど、友達にその役回りをお願いするのはあまりにも負担がデカすぎる。
だからこそのカウンセラー。
身近な人だから、相談できないことってあるし、仮に話せたとしても聞く側にとって抱えきれない内容の可能性もある。
そんなときはうまくプロの手を借りたらいい。
カウンセリングって精神的に病んでいる人が通うイメージが昔はあったのだけど、あるときアメリカのカウンセラーが書いた本を読んでから、アメリカではカウンセリングってカジュアルな存在なんだな、と知った。
その本からは、日々のちょっとした悩みや愚痴を聞いてもらう、みたいな利用のされ方が読み取れて、カウンセリングへのイメージがだいぶ変わったんだよね。
私はまぁそれなりの問題を抱えているパターンだけど、おもいきって通ってみて良かったと今のところは思っている。
少しずつ悲しみを手放し、自己理解を深めることで、まだまだ私は成長できる。
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