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「私のトラウマ」って本当だったの???

前回「私のトラウマ~父親のこと~」というタイトルで、子ども時代の『父親の記憶』について大まかに書きました。

そこに書いたことは私の父への記憶の中でのTOP3的な、大きなウェイトを占めていたので、書いたのだと思います。(あまり自覚していなかった!)
そのTOP3を要約してみます^^

・私が5歳のころ、エレベーターを掃除するために一時停止させていた掃除のおばちゃんをののしり続けていた父に「この人でなし!」と強い軽蔑を覚えた

・夕飯のとき食器類をバッシャーンとひっくり返すことがよくあったが、父は意にも介さず立ち去り、悔しかったであろう母がその後片付けをしている景色が忘れられない

・私が小6のとき、父の暴力により外傷を受け入院したが、反省などは全くなくて、むしろもっと自分の思い通りにしたいから早く帰ってこいと言いに来たような記憶がある

はい。たしかに…
おばちゃんを怒鳴りつけていたこと、食器がよく散らばっていたこと、私の体に傷が残っていること、は出来事としては確かにありました。

ですが…
昨年はじめて知ったコーチングで、自分の内面とじっくり向き合う作業をしたあとではなんと!!
「この人でなし!笑」と50年思い続けた父に対する、ものすごいネガティブな感情が消失していました。

そのネガティブな感情とは…
「怒り・軽蔑・拒絶・否定・嫌悪」
のようなものが入り混じっている感じで。

それがなんと一気になくなってしまった!!

何が言いたいのかというと…
「コーチングってホントすごい!!」
っていうテーマでも、また別の機会には書きたいと思っています笑

ここでは、今となってはどうにもこうにも何か変だな、という感じでしかないのですが…
「私の記憶って、本当だったの???」
ということ。

もっと言うと
「私が勝手に創り上げていた【ものすごく酷い父親】という幻想だったのでは?」
ということです。

そして少しヒントになるかもしれませんが。。
私が見る世界というのは「私のフィルター」を通して観ている世界。つまりもし「私以外の人」が、同時にその「出来事」を観ていたら、おそらく「全く別の世界を観ている」ということ。

なので、コーチングによって、コーチングをする前の私とは内面が変わっていた「私」が観る【父親】が、全く別の人になってしまったのでは??ということです。

「記憶」というものは、固定されているようで、じつは固定されたものではない!
「私」の内面が変われば一気に変わるもの、なのだなと。

だから今、もし「過去の記憶」に苦しんでいる人がいるなら
「それは変えられるよ!」
「変わると、ものすっごーーく楽になるよ!」
「辛い記憶に苦しんでいる自分から、めちゃくちゃ自由な自分になれるよ!」
と言いたい感じでございます笑。

だから、希望を持ってね!
方法は必ずありますからね!!!


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