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【本ゼミ】「書けないな」と思うときに、私がやっていること(2)

こちらの記事の続編です。

この記事では、届けたい相手を決める、ということが「書けない」を突破する力になると書きました(ざっくり)。

では、私は実際どのようにそれをやっとるのか、この本を出した時の話をしますね。一個の例として、参考になれば嬉しいです。

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本を書こう!と決めたとき、やる気もものすごくあったのですが、毎秒「いやあかんやろ」というモヤモヤに覆われました。

「中国本なんてそもそも人気ないし、もうほとんどが語られてるしなあ」というメンタル面の課題がすごく大きかったです(前回の記事4の「すでに多くの人が同じようなことを述べており、自分が書く意義が見つからない」)。

だけど、それでも出したい気持ちが強かった。出したい、というより、「伝えたい」気持ちがすごくありました。

そこで、「誰に伝えたいのか」を改めて書き出してみたんです。
出てきたのは、ざっとこんなイメージ。

・中国のことに興味がないので、メディアの情報をまるのみして「こうなんでしょ〜?」と言ってくる人。

・中国で仕事をしているが、「時間が来たら1秒でも早く帰ろうとするんだよ」と中国人とのコミュニケーションに疲弊してるビジネスパーソンたち。

・家族同帯で来華していて、中国暮らしの不便さやしんどさを日本人同士の集まりごとに愚痴る妻たち(私です)。

想像つくと思いますが、これは実際に私の周辺にいた人や、さらにその周辺から見聞きしたこと、私自身の体験がベースです。

要するに、私はなんだか当時、すごく悔しかったんですね。

私は中途半端ながら、中国の良さも悪さも、よく見える立場にある。自分でも、どっちもどっち、みたいなところにいるのがもどかしかった。

また当時(2013とか14とかだったかな)、反日運動が本土で結構盛り上がってしまったこともエネルギーになりました。

そして、この立ち位置から見えること、伝えられることって、もしかしたら上記の人たちの役に立つ視点だったりするんじゃないだろうか? と思ってしまったわけです←悔しさの裏返し。

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