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私を映す綺麗な湖と街と雨【スウェーデン・ストックホルム】

ストックホルムの街に着いたとき、駅の外は雨が降っていて、私はここで少し雨宿りをするしかないな、と思う。

小雨だったらすぐにでも歩いてホテルへ向かったかもしれないけれど、もう少しで雷が鳴りそうな勢いで雨は降っていたし、ここからホテルは5分以上歩くはずだった。

待てば雨は止む。

この旅で嫌になるほど学んできたことだった。私は少しカフェにでも入って温かいコーヒーでも飲もう、と思う。北欧の夏は気持ちよかった。けれど一度雨が降れば、日本の秋のように気温はぐっと下がり、ホットコーヒーやホットワインが似合う気候に様変わりした。

コーヒーの前に、ATMへ行ってスウェーデン・クローナを下ろさなきゃ、と思い出す。私はこの旅では新生銀行の国際キャッシュカードを使っていて、両替はただの一度もしたことがなかった。財布の中には、マレーシア・リンギット、インドネシア・ルピア、インド・ルピー、イギリス・ポンドなど、10数種類の通貨がぎっしりと入っていた。どうも小銭を使い切るのが苦手なようだ。どこかでまとめて寄付でも、と思ったけれど、なんとなく思い出が詰まった重さな気がして、未だに手放せていない。こうやって人は持ち物を増やしていくのか。

どこかカフェでも、と思った時には駅の外で人の動く音がした。みんな傘をさすのを止めていた。いや、そもそも海外ではあまりみんな傘をささない。小松崎さんが昔、島根県の海士町でざーざー降りの雨に打たれた時にゴアテックスの上着をかぶって「ぼくは傘をささない主義の男です」と振り返りざまに言い放った時のことを思い出す。ねぇ小松崎さん、ここではみんな、あなたのように傘をささないよ。違うなきっと。君がこのひとたちを真似たんだね。

日が射して、鳥が鳴く。ほらね、止んだ。と誰に自慢するでもなく、カフェは後回しだ、と思ってホテルへ向かう。

ストックホルムは、私が想像していた以上に美しかった。14の島から成る水の都、中世の風情残す旧市街、ノーベル賞の晩餐会が行われるストックホルム市庁舎。街を歩けば北欧デザインが道を彩り、探さずとも公園の緑が目を潤して、ときに地面をうさぎが這い、やはり探さずともどこからでも湖が見えそうだった。

「北欧のヴェネツィア」と呼ばれるそれ。「ヴェネツィアほど美しい街はない」と思っていた私は、ストックホルムへ向かう電車の中でガイドブックの中を踊るその文字に「は〜い〜? ご冗談を」と思ったけれど、もう何日過ごしたかわからなくなるほど、ストックホルムの街を歩き回った私は、「あながち嘘ではなかったかも。そう呼びたい気持ちも分かる」と心変わりしていた。

ストックホルムは、想像を超えて美しかった。ほかの季節は知らない。私のストックホルムは夏だった。

この夏が見たくて、7月に照準を合わせて北欧へやってきたのだ。夏の1ヶ月を北欧で気ままに過ごす。それが、私の29歳の最後の夏のプランだった。

本当に、本当にここは美しかった。空が広くて、水が流れて、音楽はどこか透き通るように聞こえて、ショッピングを楽しめる程度に心地よい都会だった。

ねぇなぜ私は日本へ帰るの。なぜ「帰る」という表現を使うの。

私はここにいたいのに。お金ばかりが垂れ流されて「あなたの能力ではここにずっといることはできないのよ」と自分自身が一番分かっていたとしても止まらない想い。

このまま旅を続けるためには、足りないものがたくさんあるのだ。

そんな夢物語ばかり言っているわけにはいかない。

けれど今はまだストックホルムに酔いしれていたかった。朝起きて、昼を食べて、夜を過ごして。24時間、100日間を自由気ままに過ごせる既婚者でいる日がくるとは、わがまま姫な私もさすがに思っていなかった。

何度でも言う、ここは本当に美しい。けれど誰かに会いたくもなる。明日、日本の編集者の先輩がここストックホルムに旅行で来るらしい。

会いたいです、と彼に伝える。

会いましょう、と彼は言う。念のためきちんと断っておくけれど、彼は妻帯者で今回は奥様も一緒なので、そういう感情があるわけではない。

けれど私は思うのだ。「目が合って、笑い合えることは一つの価値だ」と。

旅をしていると、「目が合って笑い合う」という現象から遠ざかることがある。

街にはカップルが溢れていた。子どもを見つめて笑う母の顔に溢れていた。緑があって、風が吹いて、うさぎが例え地を這っても、私の目を見て笑うひとがいなければ、人生はかなり無味無臭だと私は気が付き始めていた。

自由は楽しい。自由は最高。

けれどひとりは、あまりよくない。

ストックホルムは美しかった。もっとこの地にいたかった。

けれど けれど

誰かと会えることがこんなにうれしいとは予想外だ。ちょっとくやしい。


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