見出し画像

会いたい人がいるなら新幹線に飛び乗って

どうしても。どうしても花火が見たくなって、夕方の17時、急いで東京駅から新幹線に乗って、新潟の長岡駅を目指す。今頃きっと、花火が上がり始めた。19時過ぎの打ち上げ開始には間に合わなかったけれど、新幹線の窓から見る長岡花火も悪くなかった。30歳になって、初めて見る車窓からのひかり。

東京で暮らして11年。毎年日本のどこかしらで花火大会には出くわすけれど、何を見ても長岡花火の記憶には勝てない。それ以上に心震える景色にも音にも出会えない。チェコのプラハで偶然見上げた花火も音も、空も隣にいた人も今でも全部覚えてる。でも、やっぱり郷愁を誘う花火には何者ももう勝てないのだ。過去の思い出や今の気持ちや、通り過ぎてきた何もかもをもひっくるめて、あの街の花火は今年も上がる。

遠くに見える花火には、悲しいかなもう心震えない。目線を上げて、首も上げて、「バンっ」と空気震えるような、その振動が内臓まで届くような、あの夏の空の下、信濃川の向こうから吹いていくる風の中、視界に入りきらない打ち上げ花火が空を埋め尽くすひかり。

「あなたはドリカムの歌じゃなくて、平原綾香のジュピターを歌っていれば、海外でだって鼻歌から会話が弾んだのに」と母が言う。何の話かと思ったけれど、一瞬おいて、「よく読んでるなぁ」と私は思う。300秒間、ジュピターの歌に合わせて打ち上がる何千発もの花火。どうしてだろう、「花火を見て泣く」なんて今このコンクリートに囲まれた丸の内のビルの中では想像することすらできないけれど、たしかにあの場所で見る花火は、「泣ける」という気持ちを寄越すのだ。

そういえば去年、私の実家に遊びに来てくれた立花実咲も長岡花火を見て、少しだけ泣いていた。きっとあるのだ。「美しくて泣ける」という現象が、この広い世界には、きっと。


日本に戻ってきて、数日が経った。東京も神奈川も、新潟もやっぱりいい街だと思った。けれどどうして、どうしてこんなにnoteが書けなくなるんだろう。憧れて出てきた街が、私にとって過ぎさった街に変わる時。

これからもきっと、私はこの街でたくさんの時間を過ごすと思う。今日みたいにビルが作った日陰を歩いて、大手町から丸の内へ、有楽町から銀座へと街路樹の下を歩きながら、ヒールを鳴らせて街から街へと動いていったりするんだろう。だけど今は、やっぱり広い海外の空が見たい。けれど行くなら、何かから逃げ去るように向かってはいけないと思ったりする。まだ私は、今日本でやるべきことがある。せめて書籍の原稿くらいは落ち着かせて、心置きなく広い大地で叫べるように、もう少し今は静かに、夏の毎日を日本で過ごしていればいいんだと思う。

長岡花火は、私にとっては夏の真ん中の折り返し。あの時私、たしかに「私は今、長岡花火を見なければいけない」と思った。「今動けばまだ間に合う」って思ったから、お金のこととか時間のこととか、翌日の午前中に東京でアポイントがあることとか、全部一旦脇において、「私は今行かなきゃ」って思って切符を買った。

「バカだな」と私も思った。何してるんだろう、と思ったけれど、行かなけばいけないなんて思えることは、人生でそんなにないはずだから、私のその気持ちを信じて送り出してあげたかった。きっとただ、旅の延長を日本でもやりたかっただけだと思う。まだ私は自由だよって、自分に言い聞かせてあげたかっただけだと思う。でもたしかに行ってよかったと思ったのだ。お母さんに、お父さんに、私は元気で帰ってきたよと、やっぱり目を見て話したいと思ったのだ。長岡花火という理由にかこつけて、強行でも弾丸でも「会わなければいけない」と思ったから。

そんな気持ちは生きてるうちすぐに消えてなくなってしまう。あのとき私、足を東京駅に向けなければ「行かなくてよかった。だって時間なかったし」の二言だけで、「あの気持ち」をなかったことにしてしまった。

そんなの悲しいじゃない。「自分の鳥肌を信じたい」って多くの人が言うじゃない。大勢に影響がないのなら、どっちでもいいと思えるのなら、楽しいと直感が言った方へ進みたい。会いたい人がいるのなら、そして今日会えるなら、きっとあなたもその足先を彼に向けて、歩き出してみればいい。

私、しない後悔よりも、した後悔の方が、どうしても好きだと思ってしまうのよ。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。