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「あなたのことは誰も気にしていない」。大丈夫、だからそのまま進んで。

例えば前髪をマユゲの上すれすれで揃えたかったのに、2ミリだけ切りすぎたとか、鎖骨すれすれのキレイなミディアムにしたかったのに、何よこれボブじゃない、とか。

「アタシ」にとっては至極真面目で重要な話が、ほかの「ダレカ」にとっては、至極どうでもよくて、気付けなくて、「いいじゃないまた髪なんて伸びるよ」ということだったりする。

春がきたと思ったから、ネイルを珍しくピンクにしてみたのにとか、マグカップはイエローじゃなくてグリーンがよかったのにとか。「アタシ」の世界では結構なウエイトを占める話が、知らない「ダレカ」はまだしも、近しい世界で暮らす、毎日を交わしながら生きている「アナタ」にも、結構な割合で関係なかったりとかする。

明日世界が終わったらどうしようと思うけれど、明日世界から「アタシ」が消えても、基本的にはいろいろなことはそのまま回って、なんだ地球はもとから美しかったんじゃない、みたいなことが、世の中にはよくある。

会社も同じ。「アタシ」がいなかったらどうしようとか、「アタシ」が抜けたらこのチームはどうなるんだろうとか、「アナタ」がいなければ生きていけないとか、そうゆうのってすべからくなんとかなったりとかするもの。だったりする。

「ソウユウコト」を何度か見てきた。見たくなくて、知りたくなくて、気付かなかったふりをして、目をつむってやりすごしてきた瞬間を数え直すと、その数はまぁいい感じで降り積もっていたりするとおもう。

チリも積もれば山となる。「チリツモ」はいはい、分かったよ。

悲しくて悔しくて、あぁもういやだと、何度思ったことだろう。私を必要として。私を求めて。いやね悲劇のヒロインは。そんなこと誰も求めていないのに。

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世界は私がいなくても回っていて、それだからこそ美しいと思ったのは、たしかどこかの山の中だった気がする。水が流れていて、川があって、こんなところ誰がくるのよ、と思うくらいの、山道を抜けた奥。

誰も見ていないのに、誰もその水に今そこでは触れないのに、流れる水、流れる時、翔ぶ鳥、這う虫。

あぁそうか、と思う。私は別に、生きているんじゃなくて、たまたま今いるのか、ここに。いや生きているんだけど、生きてる。生きてる。生きてるんだけど、いるのか、ただ今。別にたぶん、今じゃなくてもよかったんだと思う。時間の感覚がわからなくなる。前と後の境目が消える。っていうのも多分ただの間違いで、ただそこにいるという感覚。

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誰かの声が怖くて、進めなくて、何かを言われたらどうしようとかって、たまに聞く。「いいんじゃない、別に」と答える。「アタシ」はじつは、ものすごく気にしているのに。

でも、思うよ。「アタシ」のことは誰も気にしてない。すごく気にしてくれて、ウンメイみたいなものを一緒に過ごす人はたぶんいるけど、ものすごく前向きな意見として、そのひとは「アナタ」のことは、「アナタ」次第だと思ってくれている。

「アナタ」がここにいようが、いまいが、基本的に「ボク」はここにいるから、君は好きにしてくればいいよと、思っている。

近くにいて。ここにいて。それは「アナタ」のためじゃなくて、「ボク」または「アタシ」のため。みんなきっとそう。「アタシ」が起点に、きっとある。

変な意味じゃなくて、と補足してみる。人は、ひとりでは生きられないと、思うから。孤独とか、ソウユウ意味ジャナクテ、ひとりでは、産まれてくることすら今のところ、できない。

だからこそ、思う。いい意味で、「アナタ」のことは誰も気にしていないから、やりたいことや叫びたいこと、まだ「アタシ」は本気出してないの、まだ死ねないのと思うことは、誰のことも気にせず、やってみて、って。

「あれが怖くて」
「それも怖くて」

って、怖いよ。だから、下調べとか、勉強って、あるんじゃないの。石橋を叩いて叩いて、いつか渡ろうと思っている間に、石橋が壊れてしまったらなんかどうしようもない。

そこに橋があって、誰かが渡っていて、まだ渡れると思うなら、川くらい超えてみてもいいじゃない。ダメだったら、また空でも飛んで、帰ってきなよ。同じ地球にいるのだから、同じ場所じゃなくても、違うところでまた会えるよ。

行ってらっしゃいと、見送りたい。誰かが遠くにいくのなら、笑ってまたねと、見送りたい。あぁそうか、今度は私が、行ってくる番なのかと、書き終えてから思ったりする。「ダレカ」に書いたつもりのものは、そうかこれも、「アタシ」のためかと、はっとしたりする。

信じた道を、長い時間をかけて積み重ねてきた人の原稿を書いたあとは、いろいろな想像と記憶が、私の頭の中に残っている。


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