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「なぜ旅に出るの」ともしもあなたが尋ねたら

なぜ旅をするのかと問われたら、「旅をせずにはいられないからだ」と答えるだろう。

だって世界は見たことがない場所ばかりだし、見ても見ても、まだ行ったことがない場所に溢れていて、ラオスに行けばルアンパバーン以外にビエンチャンだって、バンビエンだって行ってみたくなったし、ミャンマーまで行ったならばネパールもスリランカも寄りたいし、2週間滞在したクロアチアはまだまだあと1ヶ月は巡れそうなほど、魅力が掘り起こされて止まらなかった。

イタリアのヴェネツィアからもう一度フィレンツェ、ローマ、ナポリやカプリ島を通ってから南イタリアに入って、アマルフィやチンクエテッレ、アルベロベッロを飽きるくらい眺めてからシチリアのパレルモに行って、マルタに寄って、そしてフランスやスペインを通って、夏のポルトガルを堪能して、モロッコに行ってからケニアやマダガスカルにだって行きたかった。

できたらそこからブラジルにだって飛びたいし、もし海の上を通るならばイースター島だって行ってもいい。もっと遠くまでと願う気持ちは止まらなくて、いっそ月に行ったってよかったのだ。

世界の交通網は発達していて、意思と時間さえ持てば、私たちはどこへでも行けた。お金もタイミングも必要だけど、けれど意思と時間が大切だった。

行きたいところはそれこそいくらでもあった。この街にいなよと引き止められたら10日、2週間は滞在するかもしれないけれど、心が「ここだ」と言わないかぎり、私はきっと沈没できない。暮らすとなったらあなたがそこにいないと難しいし、すきになったひとができたら明日にだってそのひとの街へ行っただろう。

8ヶ月ではとても足りない。2年だって、3年だって私はどこかを放浪したくてたまらなかった。そして、なぜだかはもう分からないのだけれども、きれいだと思った景色や気持ちをカメラや文章におさめておかなければ気がすまない。

ひとは多くのことをすぐに忘れてしまうから、私は自分の記憶を「きれいだ」と思えた心が通りすぎてしまう前に、形に残して掴んだような気持ちになっておきたかった。

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なぜ旅に出るのかと聞かれたら、それ以上に好きだと思えることが30年生きてきて見つからなかったからだと答えるだろう。

通ったことのない道、出会ったことのない食事、聞き慣れない異国のことばはなぜこんなに心惹くんだろう。

日本中、すべての県を旅や仕事で訪れたけれど、どうしてだろう私はまだ日本よりも広い世界が見たかった。遠く遠く、まだ見たことがない場所へ。そう思っているうちは、広い空と雲があれば、私は幸せだと思えてしまう。

けれどデンマークを旅した時に、ジュディが「ぼくはヘレナを愛していてね」と広い庭で、夜私に話した時に、私はもしかしたらやっぱり人生にはパートナーと定住が必要なのかもしれないと思った。

私の荷物は少なかった。68リットルのスーツケースと、28リットルのバックパック。財布とパスポート、カメラを入れたらいっぱいになるポシェットがいまの私の持ち物のすべてで、それ以上になにか必要なものが人生においてあるのだろうか、と地中海を見ながら思ったりした。

けれどいま、私は「もしかして旅って暇なのかな?」と思ったりする。ねぇ旅の先輩方、もし私に仕事がなかったら、私は暗い夜や歩き疲れたカンカン照りの昼間に、文字を書いたり写真を整理したり本を読んだりする以外に、なにをしていたのだと思いますか?

私にはそれが上手く想像できなくて、さみしさを感じるのを紛らわせてしまっていて、いいんだか悪いんだか、けれど助けてもらっているなと思う仕事について想いを馳せる。私は仕事が好きなのだ。好きを仕事にした者として、プライベートと仕事、今は旅と仕事の境目が完全になくなってしまったけれど、それでも日常のすべてが100%、360度好きに囲まれている日々は楽しくならないわけがない。

けれどいま思うのだ。

もしかしたら人生には旅以外に、やっぱりパートナーと定住と適度な荷物が必要なのではないだろうかと。

なぜ旅をするのかとあなたがもし尋ねたら、「なぜあなたは旅をしないの? こんなに楽しいことは世にないのに」と笑ってそれ以上何も答えないかもしれない。私の人生のプライオリティはやっぱり旅が上位で、いまのところそれを超えるなにかを私は見つけられないでいた。

けれどやっぱり、引っかかる。

人生には定住とパートナーと、思い出や未来が詰まった物質としての家具やら雑貨やらが必要なのかもしれないと。

積み重ねた日々は私の明日を作っていて、明日はまだ知らない明後日に続いてく。

それらを詰めた「家」という存在は、みんなが、いや私が思っているより、ずっとずっと、ひととしての幸せを掴み続けるために、旅の思い出を文字なんかに託すよりも大切な気がした。


私は本当に旅が好きで、一生旅をしていたいと願うのだけど。

もしかしてこの場所に、パートナーを連れてこられたら楽しいんじゃないかと昨日話した。誰かと一緒に、大切なひとと一緒に長く旅をできたとしたのなら、私はどこへ行くのだろう?

2拠点、3拠点、夏を追いかけたり四季を選んだりするように暮らせたら、私はこの先何を好きになるだろう?

なぜ旅をするのかと聞かれても、なぜ旅をせずにいられるのかと、逆にあなたに聞きたくなる。


いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。