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日本で出会った時と1ミリも変わらない姿で【クロアチア・ザグレブ】

「じゃあ、16:20にザグレブの中央駅前で待ち合わせね」とメッセージがきた。ホテルを出たらWi-Fiはつながらないから、世界から切り離された、ただの重りになってしまったiPhoneを握りながら、本当に会えるかなと少し不安になる。

もしかしたら、最後に会ったときよりも髪が短くなっているかもしれない。長い金髪とそれを頭の上で結んだお団子スタイルが、彼のトレードマークだった。もし見つけられなかったら、どうしようね? とすっかりスマホに毒されている私は思う。

ホテルからザグレブ中央駅までの距離は、ほんの数百メートル。500〜600メートルといったところだろうか。横浜の大通公園をなんとなーく髣髴とさせる、まっすぐ伸びた道に沿って植えられた緑たち。噴水が水しぶきをあげて、所々に「ナショナルジオグラフィック」の美しい広告が貼られており、それらがすべてクロアチアの風景だということに気が付くまでに時間がかかった。はぁ、と溜息がつきたくなるくらい、クロアチアの景色は美しかった。

通りに置かれているたくさんのベンチ。男性も、女性も、カップルも子どもも、木陰やベンチに腰を掛けて、クロアチアの初夏の夕刻の涼しさを味わっていた。

もうすぐ中央駅に着く。待ち合わせの「玄関」に行くために、青いトラムの線路を越えて、青いバスが通りすぎるのを待って、そして横断歩道を渡って近付いていく。

トラムやバス、ひとの往来の向こうに、太陽に光る長い金髪が見えた。ざっくりまとめた髪、トップで作られたお団子、今日はおまけにホームだからか、サングラスをかけていた。

白いTシャツ、ひざ上くらいの短パン。サンダルを履いて、空を見ていた。

100メートル手前からでも、「あぁテオだ」と分からせる変わらない風貌。思わず「ふふ」と声が漏れる。別に恋人と待ち合わせしているわけじゃないのに、とりあえず小走っとくか、みたいな気分になる。

***

「本当に来たね」と彼は言った。

「うん、遅くなっちゃったけど、本当に来た」と私は言う。日本を出る前と、クロアチアに着いたときにテオには連絡した。「あなたの暮らす街に少しだけ寄ろうかと思うんだけど」と言ったら、半年くらい前に島根県海士町で交わした約束を彼はきちんと覚えていてくれて、「うん、待っていたよ。いつ来るかと思っていた」と簡単に返事がきた。

テオは、私が編集長を務めているウェブメディア『灯台もと暮らし』の取材を通じて出会った男の子だった。【島根県海士町】という、日本海に浮かぶ小さな島へ、一緒にフィールドワークへ行くという仕事のそれ。武蔵野大学のゼミの授業に取材陣として参画させてもらうというときに、ふと目に止まったひとりの留学生。それが、テオだった。(ほかはすべて日本人だったので、彼はいろいろな意味で注目を集めていた、気がする)

「ここへ来るまでに、クロアチアが大好きになったよ」と言うと、彼はとても嬉しそうだった。そんなに英語ができるわけじゃないのに、一応聞いてみようと思う。「ねぇ、話す言葉はこのまま日本語でいいの? それとも、英語? えっと、『ドブロユトロ』『ドバルダン』『フワラ』に『ラクノチ』くらいのクロアチア語なら覚えたんだけれど、クロアチア語のほうがよい?」とスーパーどうでもいい言葉を足した。うざい女である。

「日本語がいいね!」と彼は即刻笑顔で言った。来週の水曜日に、次の留学のための奨学金を受けるテストがあるから、その練習がしたいのだと言っていた。また日本に来るつもりなの? と聞くと、やっぱり日本が好きだからね、と笑う。

「こんなにクロアチアは美しいのに?」と真顔で聞く。だって本当にそう思うのだ。私は、本当に、本当にクロアチアが好きになりかけていた。言葉も風景も、海も空も、夏しか知らないけれどこの夏の気持ちよさが、私の心を捉えてもう離してくれなかった。長い距離の移動を愛している私なのに、もうこのまましばらくクロアチア国内だけを旅していてもいいんじゃないか、そんな気持ちすら湧きそうになる。

「クロアチアは美しいけれど、小さな頃から見ていると、普通になってしまうものだよ。でも本当に美しいとは思う。ただ僕は、日本の方が好きなんです」と、テオは親しいのか、親しくないのかちょっと分からない口調で言う。

ふぅん、と私は噴水を見る。きれいね、と言ったら、「噴水」という日本語が思い出せないようで、苦悶の表情を見せる。「……FUNSUI?」と言うと、「あぁ!!!」と何度も言葉を繰り返す。代わりにクロアチア語を教えてもらって、日本語と英語、クロアチア語を交えながら、ザグレブの新市街、旧市街を進んでいく。

途中、「ナショナルジオグラフィック」の広告の通りに出る。それを見ながら、「"イストラ"には行った?」とテオが言う。「え、どこそれ?」と聞くと、クロアチアで一番美しいと言われている広い半島だと答えがくる。

もう、ドゥブロヴニク、スプリット、プリトヴィツェだけでも胸がいっぱいなのに、「それよりも美しい」ってもう地中海どういうことなんだと、今度は私が悶絶する。

いつかギリシャからクロアチアへ抜けて、イタリアへ渡ってシチリアを経由して、マルタ、南フランス、そして夏のポルトガルからモロッコへ行く旅がしたいと思う。それを実現するためには、あとはもう、お金と家族と時間との相談だ。

世界はなんて広いんだ。クロアチアだけでこんなに行きたいところがあるのに。

***

その日は、街をぐるりと案内してもらって、彼も20年ぶりくらいに中に入ったという街のシンボルである大聖堂の見学や、旧市街が一望できる丘、そして夜21:00から行われるユーロ2016のサッカーの試合をクロアチア人に混じって観た。

クロアチアのビールなら、「オジュイスコ」と「カルロバチコ」でしょ!? と自信満々に言うと、「ふふん、一番美味しいのはザグレブで作られている『トミスラブ』ですよ」と不敵な笑み。しかも黒ビールのドラフトだ。くぅう、私、黒ビール好きなんです。

トミスラブを何杯か飲みながら、日本のこと、クロアチアのこと、旅やこれからのことなんかを話していく。

クロアチア語をたくさん教えてもらった。

「ィジュヴェリ、シュヴェリ、オデュシェヴェリ」
「アイモセ シェヴァティ」
「ドブラ ヴェツェ」
※真ん中のやつは、大声で叫べるような美しい意味合いの言葉ではなかったようだ。なので訳はここではなし(笑)。

言葉の響きだけで覚えるそれは、私にはとても魅力的で、もっと知りたい、と思わせるものだった。クロアチア語を操れるようになったら、何ができるようになるんだろう? たしか、クロアチア語が分かるようになったら、モンテネグロやスロヴェニアの言葉も容易に理解できるようになると言っていた気がする。その3カ国の観光情報を2か国語で発信するウェブメディアでも立ち上げましょうか。と謎の構想を思っては、ザグレブの夜に消えていく。

延長戦に入って、試合の終わるギリギリ前に、ポルトガルがゴールを決めた。飲食店が軒を連ねる通りの坂いっぱいに、地べたに座り込んだクロアチア人たちがいた。彼らが一斉に立ち上がる。目の前が見えなくなる。最後の数分の彼らの落ち込みようと、クロアチアのボールがゴールに近付いたときの歓声と言ったら、私の語彙力では伝えきれないようなものだった。

いつか思うのだろうか。サッカーの魅力に気が付いて、なんて贅沢な経験だったのだろうと。

そのあとのザグレブの夜は、負けたサッカーの名残でいっぱいだった。昼間はラベンダーや青果市場の活気で溢れ、夜はビールとサッカーで街とひとが盛り上がったり盛り下がったりする、クロアチアの首都・ザグレブの最初の夜だった。

明日は街を少し歩いて仕事をして、その次の日は、ここからバスで2時間の隣国・スロベニアの首都リュブリャナへ、日帰りで少し遊びに行ってみようかな、と思っている。


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