夢のさなかに居続けること。
この2年と少しの期間に私がやってきたことと言えば、ただひとつだけだったと思う。
夢のさなかに居続けること。または、そのための努力を続けること。
「夢を叶える」なんてことばは苦手だ。(私は昭和感溢れるから、佐野さんはこのことばが好きだろね!!!と思うひとがいるかもしれないけれど)夢は夢であって、夢見てたけりゃ、ずっと見てりゃいい。
でも、手に入れたいものがあるなら、私はそれに向かって走らなければいけない、と思ってしまう。寅年だから。獅子座だから。動物占いが全力疾走するチーターだから。いやそういうことは関係なくて、私は止まっていることが苦手なのだ。ただただ、暇に慣れたくない。慣れるのが怖い。
夢を叶えたあと、どうやって次の夢を見つけましたか
と大好きなひとに尋ねたことがあった。
夢は自然に出てくる、続く、なんでだろうね、というようなことをそのひとは言った。
そうか続くのか。よかった。じゃあ安心して、目の前にあることをやろう。
夢を叶えるためには、つねに夢のさなかに居続けることが重要だと思う。
「夢が叶った」と思う瞬間って意外に少なくて、振り向けば「あれ? これって私が昔目指していたことなのでは?」と思うことが、この3年間のうちに何度もあった。
ライターという肩書
編集という仕事
雑誌に出る、ラジオに出る、テレビに出る、雑誌の原稿を、書籍の原稿を、連載を、単著を
「これを絶対にやってやるう〜!」みたいな気持ちではなく、どちらかというと鳥井さんに文句を言いながら「ちくしょうまじ無理っす今日も!」みたいな全力疾走を数十ヶ月続けていた。
振り返ると体力不足で困ったときもあったけれど、ひとつ夢らしきものの破片をつかんだときに満足せずに、夢のさなかに居続けるために次の夢に向かって走ることをやめないでここまできてよかったなと今日思う。
走り続けると疲れてしまうから、たまにはすこしぼーっとしてみよう。関係のないところへ行こう。関係のない話を、関係のないひとを、関係のない本を。
何の気なしに触れたものが、不意に過去の夢を思い起こさせてくれることが度々ある。
あぁそうだった、私はあれがやりたいんだった、これが好きだった、昔この職業に憧れを持ったことがある
関係のないことが点と点でつながって、線になって意識になる。
そうだ、今度はこれをやろう
と今の延長線上にまた新しい光が灯る。
私はそうやって、たぶんしばらく進んできたはず。
旅は私にとって最大の消費である と思って少しずーん、となっていたけれど、(散財するから)
私にとって最大のインプットである、と考えたら、なんだか悪く無い気がした。インプットをしながら、アウトプットを続ける。いいじゃないか。夢だったことをベースにして、今度はその上に新しい夢を重ねよう。
夢のさなかに居続ける努力をすることが、私にとっては「楽しいこと」なのだろう。だって私はこの2年、つらかったけど、随分笑ったもの。
いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。