すべては巡る、映す、還る。笑いかけてほしいなら、まずは私から笑おうか。
特に変哲のない意見だけれど、旅が教えてくれることって、結構人生の中で多いんじゃないかと私も思う。意外にひとりは寂しかったり、楽しかったり、出会いはなくとも発見があったり。お金が結構かかったり。
移動する距離に比例して、持っている荷物が軽くなる気がすることもある。飛行機や船に乗った時の、ふとした気持ち。特に私は日付変更線を超える移動が大好きで、あの「どこにも属さない時間」の中は、免罪符のような、今はなにも考えなくていいような、とにかく本だけ読みたいと、いつもみたいに忙しくない。深く、広く、とても狭く、私の中に埋もれる旅。
タイとカンボジアにひとりで行った時、たしかあれは1週間くらいの旅程だったか。初めてアジアをひとりで旅して、似ている人がたくさんいるのに、私は言葉が違うのかぁと、少し初日に寂しくなった。
誰か話しかけてくれないかなぁって、思う。
笑いかけてくれたらいいなぁって、考える。
緊張で、少し顔がこわばる。移動のせいかな、と少し疲れて眠る。
次の日。笑っておはよう、と言ってみた。おはよう、と笑ってくれる。なんだ、そうか。笑えばいいのか。
ただ、それだけでよかった。笑うことって、結構すごい。
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誰か話しかけて、って思っているうちは誰も話しかけてくれない。私に笑って、って思うだけでは、いや笑いかけてくれる人ももちろんたくさんいるのだけれど、自分から笑ったほうが、たくさん人は笑ってくれる。んじゃないかと、タイで思った。
微笑みの国。みんな、とても優しかった。楽しかった。美味しかった。それとは別の軸で、タイだろうとどこだろうと、会話だろうと笑顔だろうと、きっと世の中のことは全部そうやって回ってるのかなと、思う。
世の中みんなが敵だと思う時期が私にもあった。世界が私を嫌う前に、私が世界を嫌っておけば、ずっとずっと傷つかずに済むだろうという、ねじまがった思春期の謎。薄く脆い殻をかぶって、自分の目元だけ隠すような、カラダはむき出しのような、不完全なシェルターの闇。
誰もあなたに興味はないよと、あのときの私に言ってあげたい。よくも悪くも、世界の中心は私だった。
巡り、めぐって、すべては自分に還ってくる。
小さい頃に、母が私に言っていた。すべて自分に還ってくるから、してほしくないことはしちゃだめよ。人にしてほしいことを、しなさいねって。あなたには弟がいるでしょうと。彼にしてほしくないことは、あなたもしてはいけないよって。
楽しいこともあるでしょう、と。嫌なことも、あるでしょう。でもぜんぶ巡っているから、楽しいこともあれば、嫌なこともあるの。でもそしたら、嫌なことも、楽しいことを待つ時期だと思えるでしょうと。
そういえば、名前を笑うのも絶対にダメだって彼女は言ってた。「ちひろって男のくせに! 女みたいな名前!」ってドッジボールで当てられて言ったことがたしかあった。
※なんだろうこのエピソード。
すごくすごく、小さなとき。母は泣きそうな目で、ダメよ、絶対にダメ。と即座に私を大きく叱った。
謝って済むことじゃないことを言ってしまったと、気が付いた。以来、名前のことは絶対に笑えない。名前は名前であるかぎり、誰かが心を紡いでつけたのだ。
これは完全なる余談。でも、以後確実に私の中心の何かを貫く経験だった。
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ちょっと違うけど、でもそれも還ってくる何かのひとつだろうなと今思う。何かをバカにしたら、何かをバカにされるのかもしれない。名前を笑ったら、名前を笑われるのかもしれない。そうされても、仕方ない。
笑ったら笑ってくれるけど、怒っても怒り返されるのか。別のところで、「やり返しても仕方ない」という想いもあるから、「むしろ同じステージに降りない」というあの考え方も、私は結構採択している。
輪廻転生。違うと思うけれど、でもいろいろなことが結構、人生だと巡る。映す。還る。
はあちゅうさんが、「悪口は 受け取らないと 相手の元に戻る」という話をしていた。
■参考:「叩かれるのは怖くないですか?」って聞いてくる人への最終回答 - はあちゅう 公式ブログ
笑顔は受け取られて、還ってくる。そういうことか。
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笑って欲しければ、まず私から笑おう。やさしくしてほしければ、まず私からやさしくしよう。時間を守ってほしければ、守ってみよう。
だから愛してほしいなら、きっとまず自分に愛が必要なのじゃないかと思う。
等価交換。つまりはハガレン。そういうことか、世界よ。
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