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夏の風秋に近づくこと、お願いもう少しだけ認めさせないでいて【日本・東京→新潟】

この夏は、いつもより「夏をしていた」気がする。ただそれは、海に足をつけたり花火を見たり、浴衣を着たりしたことだけが理由ではなさそうだった。

今年の夏は、例年よりもずっと暑かった。地球全体で、そう言っていたような。

夜眠る前に冷房を消したのに、やっぱり蒸し暑くて夜中にどちらかが起きて、「ぴっ」と音をさせたこと。扇風機を回すのか、除湿にするのかで少しだけ逡巡したこと。午前中に家の近くのカフェに行くだけで、何度も「あっついね」がこぼれること。

「お昼はなにを食べようか」と迷い合うこと。「今日は冷たいお蕎麦、家で茹でようよ。私とろろをするから」みたいな取るに足りない会話。

静かなだな、と思う休日の昼下がりに、待ちわびていた本のクライマックスがやってきて、終わるのが少しもったいなくなって、閉じたあとについつい眠ってしまったこと。隣の部屋も静かで、互いに寝ていたことをあとで笑ったり。

雲がだんだん夕暮れに染まる感じ。夜、少しだけ涼しくなった風に揺られて、コンビニでアイスを買うこと。その数がひとつではなかったこと。

ありふれた夏の日。洗濯物を洗って干して乾かして、畳んで棚にしまうだけの作業も、どこか新鮮で楽しかった。柔軟剤のいい香りがするだけで、なんだか「暮らしている」感覚を得た。

掃除も断捨離もたまのお出かけも、毎日原稿を書くのも写真を整理するのも、まだ夏の尻尾を追いかけたくてこれからの予定を立てることも、それを「やっぱりやめよー」といってもう一度本を開くことも、全部ぜんぶ、美しく。

なんだかどこか、療養しているような気持ちにすらなる。穏やかで落ち着いた日々をただ十数日過ごすことが旅人の心をこんなにも癒やすなら。

もう移動なんてやめちまえばいいのでは?

答えは出ない。というのは嘘だった。

この夏は、とくに過去の私に向き合った。否向き合っている最中で。

幼い頃に転校生だったことを原体験に、私は海の向こうの生活と、文字を追いながら暮らすことを夢見続けた。

今目の前にある毎日は。私が人生をかけて掴んだ。かけらたちだ。

ほかの道もたくさん歩いて、選ばなくてもよかったはずなのに、結局ここにいるということは。

ブレないと思っていた心が揺さぶられて、想像していた以上に私は迷う。いつだって人生は、何かの最後で、何かの最初。「残すこと」を試みた瞬間、それは「終わり」に近づいていると、昔から私は想う。

だから切ないのだ。夏の風が少しだけ、秋に近づく。まだ認めない、認めたくない。もう少しだけ、お願い蒸し暑い夜を、私たちに過ごさせて。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。