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ともみの部屋

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伊佐知美の、世界一周の旅とエッセイ。2016年4月〜
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#コラム

「ただいま日常」と想うくらいには、この街に馴染み始めて【東京・世田谷】

今までの私なら、絶対に頼まないようなメニューを頼む機会を増やした。否、増やしている。 例えば今日、いまこの時に手元にあるのは、ラテとあまーいホワイトチョコがかかったドーナツ。これまでは頼むとしたらコーヒーはブラックか豆乳ラテだったし、スナックならクラシックなスコーンだった。 別にチーズのたっぷりかかったチキンカツとか(メルボルンの名物だった)、お肉たっぷりの何かを突然選ぶようになったとか、そういう話じゃない。いつもの日常を、少しだけ「いつもと違う」で彩るようになっただけ。

その深く鮮やかな青に、「ただいま」を【オーストラリア・バイロンベイ】

いつか、もう一度戻ろうと想っていた。人生3度目のバイロンベイ。 けれど、ただ訪れるだけじゃ泣いちゃう気がしてた。きれいな思い出が詰まりすぎていて。前回の訪問は、本当に素敵な日々だったから。 だから、今回の撮影で「バイロンベイへ行くよ」と聞いた時、うれしいような切ないような、混ぜこぜになった気持ちで私は頷く。返事をする。 揺れるキャンピングカーの大きな車体、晴れ渡る空、吹きすさぶ夏の始まりの風。奇しくも前回もこの季節だった。頰撫でるこの風、なぜなの、2年も経つのにどうして

音楽というのは、時にずるい。20歳、横浜・金沢八景、夕焼けの空。

音楽というのは、時にずるい。 風通り抜ける金沢八景駅、から徒歩10分ほどの小さなアパートの2階。ワンルームの1室。一人暮らしの部屋、私は20歳。 高校生時代に好きだったひとと、偶然だけど一緒の街に上京した。否、正確には上京とは言えない。新潟県から、神奈川県の横浜だったから。別れた後に、同じ駅の違う大学に進学することを知ったけれど、「会おうね」とはならなかった。 ただ一度を除いては。その一度、友達と数人で彼の部屋にちらりと上がったことがある。小さなワンルームの1室、金沢八

カラダは、旅先に心を置いて帰ってしまう。#モロッコ10days の夢の跡【カタール・ドーハ→日本・成田】

朝起きたら、一瞬ここがどこか、分からなかった。否、まだ私は、モロッコにいるのかと思った。 こういうことは、家をなくしていた時期によくあった。 旅を、続けて、つづけて。3晩と同じ屋根の下で眠ることがなかった季節。長くても、同じ宿には7晩。それ以後はずっと動いて、街を変えて、国を変えて、言語も文化も変えて。そんな時期を、約2年過ごしたことがある。2016年4月から2018年2月まで。 ごく最近のことだ。 だけどあれとは少し違う。あの頃は、最終的には「起きてすぐに、どこの国

私たちはいつも何かを「待っている」「探している」。

目的地が持てるから、都会を歩くのはやっぱり好きだな、と東京の街を見て思う。 新潟を歩いていても、私は目的地が見つけられない。 きれいな夕陽、美味しいお水、昔から知っている友だち。 「あまりにも元気すぎる投稿だから」と、「笑っているから」と。 「大丈夫?」「君はそんなに強くない、だってあの時泣いてた」と。 大切なものはここにあるけど、きっとずっとはここに居られない。分かっているから、愛しい。 この数ヶ月、いやもしかしたらもっとずっと前から、私は雑踏の中でも、静けさ

遅かれ早かれ降る雨ならば【日記です】

気が付けば言葉が次から次へ浮かんでくる時ってあって、それが大抵私の場合、noteの文章になっていくわけなのだけれど。 何をしても、何を見ても。どこにいても、眠りそうになっても。 そういう言葉たちを私はたまに垂れ流しそうになってしまう。けれど、「いやいやそれではいけない」とこの1ヶ月、2ヶ月、書き留めるだけ書き留めて、ただの日記のように、そっとしまっておくことが多かった。 誰かを傷つけてしまう言葉は、きっと垂れ流しにするべきでない。攻撃したい誰かが明確になってしまっている

離婚したけど、また旅に出ようと思う

あぁやっと、いろんなことにやる気がまた、出てきた。 大丈夫よ、大丈夫よと笑っても、やっぱり全然だいじょうぶじゃない。ひとりは寂しいし、どうやっても裏切りは悲しいし、決まっているはずと思っていた将来がすっぽりとすべて居なくなってしまうのは、何ともいえないやりきれなさがある。 荷物をまとめて、新潟の実家へ。新潟の実家から、少しの荷物を持って、東京へ。 今月末には、もう少し大きめの荷物を持って、オーストラリアへ、もう一度旅へ。 やっと出られそう。やっと、次へ。 7月の下旬

もっちゃんとさっちゃんと「友だち」

世の中に一人だけ、私のことを「もっちゃん」と呼ぶ友だちがいる、と昔どこかのnoteで書いた。ともみだから、もっちゃん。安易なのか、ひねっているのか、最早分からない。 正確にいうと、私が、いや私たちがまだ新潟県長岡市で高校生をしている時に、彼女が私の幼なじみのママが経営するエステサロンにフェイスパックだか何かをしに行った時に、ママが私の高校の同級生だということに気がついて、「もっちゃんと呼んでいること」を彼女にバラした、という経緯がある。 そのママの家には"ともや"、という

「自分以外を世界の中心に置かない」という光と呪

一喜一憂。気持ちが浮き上がったり、沈んだり。もうそういったことに飽きてしまって、自分の世界の中心は自分であろう、と決めた瞬間があった。たしかあれは、18歳の夏。 単純に言えば男女、の話だ。 「飽きて」、と言えば優位に立てるけれど、「疲れて」とか「悲しくなって」とか、「絶望して」という言葉に置き換えてみれば、あの時私がとても深く傷付いて、また1つ大きな膜を張った殻に閉じこもってしまったのは、今振り返っても容易く分かる。 そう、もう、私、傷付きたくなかった。期待をして、裏切

逃げるのは簡単だけど、そろそろ

そのとき私はとても心が疲れていて、どうしよう、と思った末に、周りの人に「海外でも行ってくれば」と言ってもらって、「うんそうね」と思って航空券を予約した。 あまり多くの人に告げずに。最小限の人たちだけに、私は日本を少しだけ離れます、と伝えて。何をどう考えたのかはよく分からないのだけれど、一人旅だと言っているのに、ハワイのオアフ、ホノルルへ行くことを決めた、いつだったかの冬。 青い、海が見たくて。 白い、雲が見たくて。 風の気持ちよさや、木陰が時間の経過と一緒に移動する感じ。

今までに読まれた記事を10個並べてみた。「好きに生きて」

自分のことばで何かを紡ぎなさい、と常に私に向かって言ってくれた人がいて、けれど私はずっとずっと、できなかった。やっと今年に入ってそれが少しずつできるようになってきて、気付けばnoteが100記事を超えてくれていた。いや違うなぁ。100をまずは目指しましょうか、と途中からちょっと思ってた。 すごいな。世の中の毎日書き続けている人って、すごいんだな。なぜなら何かを書くことって、「毎日をきちんと生きていること」に等しいから。少なくとも私にとってはそうだった。毎日を、きちんと五感と

会いたい人がいるなら新幹線に飛び乗って

どうしても。どうしても花火が見たくなって、夕方の17時、急いで東京駅から新幹線に乗って、新潟の長岡駅を目指す。今頃きっと、花火が上がり始めた。19時過ぎの打ち上げ開始には間に合わなかったけれど、新幹線の窓から見る長岡花火も悪くなかった。30歳になって、初めて見る車窓からのひかり。 東京で暮らして11年。毎年日本のどこかしらで花火大会には出くわすけれど、何を見ても長岡花火の記憶には勝てない。それ以上に心震える景色にも音にも出会えない。チェコのプラハで偶然見上げた花火も音も、空

「本気出したら歩いて帰れる」距離感が重要。

旅において、そういえばひとつ大切だと思っているモノサシがある。 「本気出したら歩いて帰れるかどうか?」これが、私の旅のひとつの基準だ。遠いか、遠くないか、近いか、近くないか。 非常に個人的な話だが、私の家は神奈川県にある。ということは、大阪はまず近い。京都もOK。広島もOK。四国はちょっと危ういけれど、明石海峡大橋やしまなみ海道を通れば本州に通じるから、これもセーフ。同じ理由で、九州も大丈夫だ。 東北が話題に出ないのは、実家が新潟県だから(そもそも私にとって「近い」場所

通り抜ける風と夏色のオレンジ【オーストリア・ウィーン】

通りに面した風の通り抜けるテラス席で、髪を結い上げた肌の白い女性と、オレンジ色のポロシャツに、陽にあたって青く光るサングラスをかけた男性、その向かいに座る紺色のTシャツを着た男性が、3人で楽しそうに話している。女性の顔と、肩と腕が少しほかの肌の色よりも赤い。きっと、今日の気持ちの良い晴れの日を、日光の下で楽しんでいたのだろう。 男性の手にはビール、女性の手には私の知らない名前の、やっぱりオレンジ色のカクテルが握られていた。 通りを行くひとはまばらだけれども、人通りは絶えな