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ともみの部屋

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伊佐知美の、世界一周の旅とエッセイ。2016年4月〜
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#ポエム

私たちはいつも何かを「待っている」「探している」。

目的地が持てるから、都会を歩くのはやっぱり好きだな、と東京の街を見て思う。 新潟を歩いていても、私は目的地が見つけられない。 きれいな夕陽、美味しいお水、昔から知っている友だち。 「あまりにも元気すぎる投稿だから」と、「笑っているから」と。 「大丈夫?」「君はそんなに強くない、だってあの時泣いてた」と。 大切なものはここにあるけど、きっとずっとはここに居られない。分かっているから、愛しい。 この数ヶ月、いやもしかしたらもっとずっと前から、私は雑踏の中でも、静けさ

遅かれ早かれ降る雨ならば【日記です】

気が付けば言葉が次から次へ浮かんでくる時ってあって、それが大抵私の場合、noteの文章になっていくわけなのだけれど。 何をしても、何を見ても。どこにいても、眠りそうになっても。 そういう言葉たちを私はたまに垂れ流しそうになってしまう。けれど、「いやいやそれではいけない」とこの1ヶ月、2ヶ月、書き留めるだけ書き留めて、ただの日記のように、そっとしまっておくことが多かった。 誰かを傷つけてしまう言葉は、きっと垂れ流しにするべきでない。攻撃したい誰かが明確になってしまっている

離婚したけど、また旅に出ようと思う

あぁやっと、いろんなことにやる気がまた、出てきた。 大丈夫よ、大丈夫よと笑っても、やっぱり全然だいじょうぶじゃない。ひとりは寂しいし、どうやっても裏切りは悲しいし、決まっているはずと思っていた将来がすっぽりとすべて居なくなってしまうのは、何ともいえないやりきれなさがある。 荷物をまとめて、新潟の実家へ。新潟の実家から、少しの荷物を持って、東京へ。 今月末には、もう少し大きめの荷物を持って、オーストラリアへ、もう一度旅へ。 やっと出られそう。やっと、次へ。 7月の下旬

もっちゃんとさっちゃんと「友だち」

世の中に一人だけ、私のことを「もっちゃん」と呼ぶ友だちがいる、と昔どこかのnoteで書いた。ともみだから、もっちゃん。安易なのか、ひねっているのか、最早分からない。 正確にいうと、私が、いや私たちがまだ新潟県長岡市で高校生をしている時に、彼女が私の幼なじみのママが経営するエステサロンにフェイスパックだか何かをしに行った時に、ママが私の高校の同級生だということに気がついて、「もっちゃんと呼んでいること」を彼女にバラした、という経緯がある。 そのママの家には"ともや"、という

「自分以外を世界の中心に置かない」という光と呪

一喜一憂。気持ちが浮き上がったり、沈んだり。もうそういったことに飽きてしまって、自分の世界の中心は自分であろう、と決めた瞬間があった。たしかあれは、18歳の夏。 単純に言えば男女、の話だ。 「飽きて」、と言えば優位に立てるけれど、「疲れて」とか「悲しくなって」とか、「絶望して」という言葉に置き換えてみれば、あの時私がとても深く傷付いて、また1つ大きな膜を張った殻に閉じこもってしまったのは、今振り返っても容易く分かる。 そう、もう、私、傷付きたくなかった。期待をして、裏切

逃げるのは簡単だけど、そろそろ

そのとき私はとても心が疲れていて、どうしよう、と思った末に、周りの人に「海外でも行ってくれば」と言ってもらって、「うんそうね」と思って航空券を予約した。 あまり多くの人に告げずに。最小限の人たちだけに、私は日本を少しだけ離れます、と伝えて。何をどう考えたのかはよく分からないのだけれど、一人旅だと言っているのに、ハワイのオアフ、ホノルルへ行くことを決めた、いつだったかの冬。 青い、海が見たくて。 白い、雲が見たくて。 風の気持ちよさや、木陰が時間の経過と一緒に移動する感じ。

今までに読まれた記事を10個並べてみた。「好きに生きて」

自分のことばで何かを紡ぎなさい、と常に私に向かって言ってくれた人がいて、けれど私はずっとずっと、できなかった。やっと今年に入ってそれが少しずつできるようになってきて、気付けばnoteが100記事を超えてくれていた。いや違うなぁ。100をまずは目指しましょうか、と途中からちょっと思ってた。 すごいな。世の中の毎日書き続けている人って、すごいんだな。なぜなら何かを書くことって、「毎日をきちんと生きていること」に等しいから。少なくとも私にとってはそうだった。毎日を、きちんと五感と

会いたい人がいるなら新幹線に飛び乗って

どうしても。どうしても花火が見たくなって、夕方の17時、急いで東京駅から新幹線に乗って、新潟の長岡駅を目指す。今頃きっと、花火が上がり始めた。19時過ぎの打ち上げ開始には間に合わなかったけれど、新幹線の窓から見る長岡花火も悪くなかった。30歳になって、初めて見る車窓からのひかり。 東京で暮らして11年。毎年日本のどこかしらで花火大会には出くわすけれど、何を見ても長岡花火の記憶には勝てない。それ以上に心震える景色にも音にも出会えない。チェコのプラハで偶然見上げた花火も音も、空

「本気出したら歩いて帰れる」距離感が重要。

旅において、そういえばひとつ大切だと思っているモノサシがある。 「本気出したら歩いて帰れるかどうか?」これが、私の旅のひとつの基準だ。遠いか、遠くないか、近いか、近くないか。 非常に個人的な話だが、私の家は神奈川県にある。ということは、大阪はまず近い。京都もOK。広島もOK。四国はちょっと危ういけれど、明石海峡大橋やしまなみ海道を通れば本州に通じるから、これもセーフ。同じ理由で、九州も大丈夫だ。 東北が話題に出ないのは、実家が新潟県だから(そもそも私にとって「近い」場所

通り抜ける風と夏色のオレンジ【オーストリア・ウィーン】

通りに面した風の通り抜けるテラス席で、髪を結い上げた肌の白い女性と、オレンジ色のポロシャツに、陽にあたって青く光るサングラスをかけた男性、その向かいに座る紺色のTシャツを着た男性が、3人で楽しそうに話している。女性の顔と、肩と腕が少しほかの肌の色よりも赤い。きっと、今日の気持ちの良い晴れの日を、日光の下で楽しんでいたのだろう。 男性の手にはビール、女性の手には私の知らない名前の、やっぱりオレンジ色のカクテルが握られていた。 通りを行くひとはまばらだけれども、人通りは絶えな

締切の合間に、泳げ、夏。

足を。足先から、ぽちゃん、ぽちゃんと音をさせて、静かに右、左、と水の中に沈めていく。次いで膝、腿、腰。一度カラダすべて水に浸して、最後に目をつぶって頭の先まで前身濡らす。 そう、この感覚が欲しかった、とカラダがふうっと緩んでいく。なぜ、いつからこんなにも泳ぐことが愛しくなったんだろうと考える。 フィンランドにいた頃から、なぜか泳ぎたいと感じてたまらなかった。泳ぎに行こう、と思って、映画「かもめ食堂」のロケ地である市民プールに向かおうとしたけれど、悲しいかな、夏季休業という

誰も私のことを知らない、話しかけてきやしない【スウェーデン・ストックホルム】

昨日の夜は2時まで起きてしまったから、朝7時過ぎの目覚ましの音がいつもより辛く聞こえる。目覚ましが「ピピピ」と鳴り出す瞬間に手を伸ばして止める。実際はiPad miniの音だ。そして私は辛いと言いながらも、いつも通り取材の日の緊張で6時半前には目が覚めていた。 目が覚めたのに、もう少し、もう少しと自分に言い訳をして、窓がこの部屋は少し遠いのよ、と体が動かないのを日が当たらないベッドのせいにして、ずるずると30分過ごしていた。 今日は朝起きて、スウェーデンの首都・ストックホ

二子玉川の夏の夜と、スーパーの袋の重み

日が落ちてきたから、今日は二子玉川から家まで歩いて帰ろう、と決める。久しぶりに履いたミネトンカのサンダルはヒールが7センチあって、でも履き心地が気に入って買っただけあって、土手沿いを30分歩いたところで足が痛くなることはなかった。 そう、二子玉川の駅から私の自宅までは、県境を越えて徒歩で30分ほどかかった。暑い夏の昼はさすがに勘弁、な距離だったけれど、今日みたいに夜になって風が気持ちよく感じられる日は、歩いてもいいかな、と思える距離だった。 私は土手沿いで暮らすのが初めて

「自己肯定感が強い」という謎解きの途中

「それは、佐野さんの自己肯定感が強いからですよ」と言われたことがあった。 編集部の後輩と、普段お世話になっているんだか、ただ好きなんだか、とにかく仕事を一緒にさせてもらったことのあるひとたちと一緒に横浜の野毛で飲んでいて、2軒目だか、3軒目だか、たしか2軒目の中華料理屋だったんだけれど、ふわりと放たれた冷たくて温かいそれ。 何気ない一言だったんだと思う。特にそのあと、「自己肯定感が強い」ことの話題が広がって大きくなることはなかったし、たしかそのときの主題は「なぜ自己肯定感