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ともみの部屋

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伊佐知美の、世界一周の旅とエッセイ。2016年4月〜
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#写真

「ただいま日常」と想うくらいには、この街に馴染み始めて【東京・世田谷】

今までの私なら、絶対に頼まないようなメニューを頼む機会を増やした。否、増やしている。 例えば今日、いまこの時に手元にあるのは、ラテとあまーいホワイトチョコがかかったドーナツ。これまでは頼むとしたらコーヒーはブラックか豆乳ラテだったし、スナックならクラシックなスコーンだった。 別にチーズのたっぷりかかったチキンカツとか(メルボルンの名物だった)、お肉たっぷりの何かを突然選ぶようになったとか、そういう話じゃない。いつもの日常を、少しだけ「いつもと違う」で彩るようになっただけ。

その深く鮮やかな青に、「ただいま」を【オーストラリア・バイロンベイ】

いつか、もう一度戻ろうと想っていた。人生3度目のバイロンベイ。 けれど、ただ訪れるだけじゃ泣いちゃう気がしてた。きれいな思い出が詰まりすぎていて。前回の訪問は、本当に素敵な日々だったから。 だから、今回の撮影で「バイロンベイへ行くよ」と聞いた時、うれしいような切ないような、混ぜこぜになった気持ちで私は頷く。返事をする。 揺れるキャンピングカーの大きな車体、晴れ渡る空、吹きすさぶ夏の始まりの風。奇しくも前回もこの季節だった。頰撫でるこの風、なぜなの、2年も経つのにどうして

#旅と生きる美しさを 写真展、あと6日で終わっちゃうのかぁ…|Special thanks to

のっけからすごく自分勝手なことを言ってしまうのが恥ずかしいのだけれども、できたら一人でも多くのひとに見てもらえたら、嬉しい。と思っている。 私が歩いた世界の色を。美しさを、風を、その時に感じた心の揺れを。 どこかの路地や、どこかの丘の上、誰かの暮らし、追いかけられない背中、時間が経ったらきっと見失ってしまう、知らない香り。 それらを、画面で通して見る世界とは、また違った、質量を持つリアルの世界で。 私は旅をして、どこへでも行ける勇気と覚悟と、自由を手にいれた。 その

世界一周写真展「#旅と生きる美しさを 」 10/27(土)まで延長&トークイベントを実施します。

「世界中を旅しながら、仕事ができたらすごくいいな」と、おぼろげながら、20代の頃からずっと思っていました。 2016年4月から2018年9月まで、世界一周の旅や二周目の旅、あとはふらふら気が向くまま、海外の見知らぬ街を仕事をしながら歩いた2年半の軌跡を、この度東京渋谷の「BOOK LAB TOKYO」(渋谷駅から徒歩5分)という素敵なブックカフェさんで、写真展として展示させていただけることになりました。 ■詳細はこちらに書いています。【画像100点載せました】伊佐知

カラダは、旅先に心を置いて帰ってしまう。#モロッコ10days の夢の跡【カタール・ドーハ→日本・成田】

朝起きたら、一瞬ここがどこか、分からなかった。否、まだ私は、モロッコにいるのかと思った。 こういうことは、家をなくしていた時期によくあった。 旅を、続けて、つづけて。3晩と同じ屋根の下で眠ることがなかった季節。長くても、同じ宿には7晩。それ以後はずっと動いて、街を変えて、国を変えて、言語も文化も変えて。そんな時期を、約2年過ごしたことがある。2016年4月から2018年2月まで。 ごく最近のことだ。 だけどあれとは少し違う。あの頃は、最終的には「起きてすぐに、どこの国

オンラインコミュニティ #旅と写真と文章と #AUTUMNクルー の募集を開始します![9月末まで]

2017年の暮れに、こう呟いた時から始まった。参加者のことは「クルー」と呼ばせてもらっていて、そしてクルーが呼び始めてくれた、コミュニティの愛称・通称「旅しゃぶ」が、この9ヶ月でかなり浸透した気がしています。(旅・写真・文章の3つの頭文字を取って旅しゃぶです)(AUTUMNクルーで祝・1年経つのですね) クルーが作ってくれた、夏に公開となった「#旅と写真と文章と」公式サイト 何をしているんですか?と聞かれたら、何をしているんだろう?と私も思います(笑)。基本的には、「

私たちはいつも何かを「待っている」「探している」。

目的地が持てるから、都会を歩くのはやっぱり好きだな、と東京の街を見て思う。 新潟を歩いていても、私は目的地が見つけられない。 きれいな夕陽、美味しいお水、昔から知っている友だち。 「あまりにも元気すぎる投稿だから」と、「笑っているから」と。 「大丈夫?」「君はそんなに強くない、だってあの時泣いてた」と。 大切なものはここにあるけど、きっとずっとはここに居られない。分かっているから、愛しい。 この数ヶ月、いやもしかしたらもっとずっと前から、私は雑踏の中でも、静けさ

「自分以外を世界の中心に置かない」という光と呪

一喜一憂。気持ちが浮き上がったり、沈んだり。もうそういったことに飽きてしまって、自分の世界の中心は自分であろう、と決めた瞬間があった。たしかあれは、18歳の夏。 単純に言えば男女、の話だ。 「飽きて」、と言えば優位に立てるけれど、「疲れて」とか「悲しくなって」とか、「絶望して」という言葉に置き換えてみれば、あの時私がとても深く傷付いて、また1つ大きな膜を張った殻に閉じこもってしまったのは、今振り返っても容易く分かる。 そう、もう、私、傷付きたくなかった。期待をして、裏切

逃げるのは簡単だけど、そろそろ

そのとき私はとても心が疲れていて、どうしよう、と思った末に、周りの人に「海外でも行ってくれば」と言ってもらって、「うんそうね」と思って航空券を予約した。 あまり多くの人に告げずに。最小限の人たちだけに、私は日本を少しだけ離れます、と伝えて。何をどう考えたのかはよく分からないのだけれど、一人旅だと言っているのに、ハワイのオアフ、ホノルルへ行くことを決めた、いつだったかの冬。 青い、海が見たくて。 白い、雲が見たくて。 風の気持ちよさや、木陰が時間の経過と一緒に移動する感じ。

今までに読まれた記事を10個並べてみた。「好きに生きて」

自分のことばで何かを紡ぎなさい、と常に私に向かって言ってくれた人がいて、けれど私はずっとずっと、できなかった。やっと今年に入ってそれが少しずつできるようになってきて、気付けばnoteが100記事を超えてくれていた。いや違うなぁ。100をまずは目指しましょうか、と途中からちょっと思ってた。 すごいな。世の中の毎日書き続けている人って、すごいんだな。なぜなら何かを書くことって、「毎日をきちんと生きていること」に等しいから。少なくとも私にとってはそうだった。毎日を、きちんと五感と

会いたい人がいるなら新幹線に飛び乗って

どうしても。どうしても花火が見たくなって、夕方の17時、急いで東京駅から新幹線に乗って、新潟の長岡駅を目指す。今頃きっと、花火が上がり始めた。19時過ぎの打ち上げ開始には間に合わなかったけれど、新幹線の窓から見る長岡花火も悪くなかった。30歳になって、初めて見る車窓からのひかり。 東京で暮らして11年。毎年日本のどこかしらで花火大会には出くわすけれど、何を見ても長岡花火の記憶には勝てない。それ以上に心震える景色にも音にも出会えない。チェコのプラハで偶然見上げた花火も音も、空

「本気出したら歩いて帰れる」距離感が重要。

旅において、そういえばひとつ大切だと思っているモノサシがある。 「本気出したら歩いて帰れるかどうか?」これが、私の旅のひとつの基準だ。遠いか、遠くないか、近いか、近くないか。 非常に個人的な話だが、私の家は神奈川県にある。ということは、大阪はまず近い。京都もOK。広島もOK。四国はちょっと危ういけれど、明石海峡大橋やしまなみ海道を通れば本州に通じるから、これもセーフ。同じ理由で、九州も大丈夫だ。 東北が話題に出ないのは、実家が新潟県だから(そもそも私にとって「近い」場所

通り抜ける風と夏色のオレンジ【オーストリア・ウィーン】

通りに面した風の通り抜けるテラス席で、髪を結い上げた肌の白い女性と、オレンジ色のポロシャツに、陽にあたって青く光るサングラスをかけた男性、その向かいに座る紺色のTシャツを着た男性が、3人で楽しそうに話している。女性の顔と、肩と腕が少しほかの肌の色よりも赤い。きっと、今日の気持ちの良い晴れの日を、日光の下で楽しんでいたのだろう。 男性の手にはビール、女性の手には私の知らない名前の、やっぱりオレンジ色のカクテルが握られていた。 通りを行くひとはまばらだけれども、人通りは絶えな

締切の合間に、泳げ、夏。

足を。足先から、ぽちゃん、ぽちゃんと音をさせて、静かに右、左、と水の中に沈めていく。次いで膝、腿、腰。一度カラダすべて水に浸して、最後に目をつぶって頭の先まで前身濡らす。 そう、この感覚が欲しかった、とカラダがふうっと緩んでいく。なぜ、いつからこんなにも泳ぐことが愛しくなったんだろうと考える。 フィンランドにいた頃から、なぜか泳ぎたいと感じてたまらなかった。泳ぎに行こう、と思って、映画「かもめ食堂」のロケ地である市民プールに向かおうとしたけれど、悲しいかな、夏季休業という