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ともみの部屋

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伊佐知美の、世界一周の旅とエッセイ。2016年4月〜
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2016年7月の記事一覧

誰も私のことを知らない、話しかけてきやしない【スウェーデン・ストックホルム】

昨日の夜は2時まで起きてしまったから、朝7時過ぎの目覚ましの音がいつもより辛く聞こえる。目覚ましが「ピピピ」と鳴り出す瞬間に手を伸ばして止める。実際はiPad miniの音だ。そして私は辛いと言いながらも、いつも通り取材の日の緊張で6時半前には目が覚めていた。 目が覚めたのに、もう少し、もう少しと自分に言い訳をして、窓がこの部屋は少し遠いのよ、と体が動かないのを日が当たらないベッドのせいにして、ずるずると30分過ごしていた。 今日は朝起きて、スウェーデンの首都・ストックホ

二子玉川の夏の夜と、スーパーの袋の重み

日が落ちてきたから、今日は二子玉川から家まで歩いて帰ろう、と決める。久しぶりに履いたミネトンカのサンダルはヒールが7センチあって、でも履き心地が気に入って買っただけあって、土手沿いを30分歩いたところで足が痛くなることはなかった。 そう、二子玉川の駅から私の自宅までは、県境を越えて徒歩で30分ほどかかった。暑い夏の昼はさすがに勘弁、な距離だったけれど、今日みたいに夜になって風が気持ちよく感じられる日は、歩いてもいいかな、と思える距離だった。 私は土手沿いで暮らすのが初めて

「自己肯定感が強い」という謎解きの途中

「それは、佐野さんの自己肯定感が強いからですよ」と言われたことがあった。 編集部の後輩と、普段お世話になっているんだか、ただ好きなんだか、とにかく仕事を一緒にさせてもらったことのあるひとたちと一緒に横浜の野毛で飲んでいて、2軒目だか、3軒目だか、たしか2軒目の中華料理屋だったんだけれど、ふわりと放たれた冷たくて温かいそれ。 何気ない一言だったんだと思う。特にそのあと、「自己肯定感が強い」ことの話題が広がって大きくなることはなかったし、たしかそのときの主題は「なぜ自己肯定感

旅と日常のはざまと、ふわふわした違和感

飛行機を降りてタラップを渡ると、そこはもう成田空港だった。降り口のすぐそばには「さぁ未来へ」みたいな言葉が踊る銀行の広告が貼ってあって、日本語じゃん、って思って私は一人で笑ってしまった。 機上から見る日本の景色はなんだか思っていたよりも緑が多くて美しくて、なんだ東京も悪くない……、って思いそうになったけれど、よくよく考えてみたら成田って「Tokyo」って行き先になってるけれど、実際はご存じの通り千葉県だ。 千葉県の端っこ。それが、私が3ヶ月ぶりに見た日本の景色だった。

地平線と「ひとりな理由は聞かないで」【フィンランド・ハメーンリンナ】

デンマークのコペンハーゲンから成田へ向かう約10時間のフライトの中で、一本映画を観ようと思った。たくさんのラインナップがある中で、私が選んだのはやっぱり「ひとりな理由はきかないで(How to Be Single)」だった。 私は「プラダを着た悪魔」や「マイ・インターン」などのベタなアメリカンドリーム(?)な映画が好きなのだ。特にBGM。オープニング。「何かが始まる」と予感させるあの最初の1秒から180秒くらいまでの高揚感は、私の旅の間のドキドキに似ていた。 じつは最初は

泣けるほど幸せな3ヶ月間。私この為に生きてきたって胸張って言える。

楽しかった。幸せだった。毎日泣きそうに美しかった。頭の中で30年間、いやそれは言いすぎかもしれない、けれどずっとずっと描いていた世界の夢に、私は一歩も二歩も近付いて、毎日まいにち、今日もありがとうって思いながら過ごしてた。 海の向こうにどんな景色があるか知りたかった。夏のクロアチアの海は、夏の北欧は、曇った日のロンドンは、原チャリで駆け抜けるミャンマーの遺跡と土の色は。 旅をするために生きてきた。と本当に思っていた。働きながら旅をする。そんなことができるのか、やれるのか、

時空が歪む旅

窓の外、昼の13時。明るい空、机に向かう土曜日の午後。 何度こんな日を海外で過ごしただろう。イギリスで、クロアチアで、チェコで、フィンランドで。 どこにいても私がやることは変わらなくて、11インチのMacBook Airの画面は、上野にいても、表参道にいても、インドにいても、タイにいても、同じだった。私は日本語を打っていたし、画像処理をして記事を書いていた。 アジアにいた頃、マレーシアと日本の時差は1時間だった。 インドネシアの時差は2時間、タイ、ラオス、ミャンマーも

ヘブンが隠されている街なのかも。でも私は【デンマーク・コペンハーゲン】

その日、私はデンマークのコペンハーゲンにいた。そして、夜も更けた22時半頃になって、「下に降りてきて、一緒に話さないか」とジュディに言われた。正確には、ジュディの電話を受けて、隣の部屋から私を代理で呼びに来た14歳の彼の娘が、「パパがあなたを呼んでいるんだけど、もし嫌でなかったら」と思春期特有のちょっと気だるそうな顔で、けれど精一杯の笑みを作って私を呼んだ。 ※写真は別の日に撮った昼間のものだ。けれどとにかくジュディの家の庭はとてつもなく広かった。今見ると森に見えるな…

女の賞味期限はクリスマス? 29歳のお姉さんに「見えません」なんて言わないで

22歳で就職したとき、会う人会う人に「若いね〜」と言われて、「佐野ちゃん(当時は旧姓)」と呼ばれて可愛がってもらってた。 20代前半という誰もが通り過ぎる「花形」の日々を経て、人はどんどん大人になっていく。 25歳で最初の会社を辞めたとき、私はもう「中堅」の域に入りかけてた。けど、半年間の主婦を経て25歳で出版社のアシスタント職に再就職したとき、私はまた「若いね〜」の称号を手にする。最初の会社では中堅でも、2番目の会社では、局でも部署でも、一番年が若いのが私だった。以後、

気持ち良すぎてなにも言えない【フィンランド・ヘルシンキ】

一歩お店に入った瞬間、ふわりと漂うシナモンの香り。「モイ!」と金髪の女の子がカウンター越しに私を見て挨拶して、次いでコーヒーの豊かな香りが私を誘う。 「カフェ・スッケス」は、ヘルシンキの街中から徒歩10分くらいでたどり着く、素朴な内装が魅力の地元のひとに愛されているカフェだった。ヘルシンキは、ストックホルムやコペンハーゲンと比べると少したしかにサイズが小さいようだった。 たしかに、というのは、ストックホルムで取材したときに、取材対象者さんがそんなことを私に言っていたからだ

いつもより素敵に見えた、14カ国目の空【フィンランド・ヘルシンキ】

いろんな世界の空を見て思うのだけれど、1日中晴れ渡っていた日の夕暮れよりも、少し雨が降って止んだくらいの日の方が、オレンジ色がきれいに見えるのはなぜだろう? 空には雲が残って、少し濡れたような青の色をしていて、傾いた陽の光がオレンジやピンクのグラデーションを作って、なんだかどこかダイナミックな色の変化をする気がする。今まで見た中で一番美しかった夕暮れは、そういえば雨季のサイパンで見たそれだった。 あの日もたしか日中は雨が降っていて、さぁこれから日が暮れる、と思った頃に急に

私を映す綺麗な湖と街と雨【スウェーデン・ストックホルム】

ストックホルムの街に着いたとき、駅の外は雨が降っていて、私はここで少し雨宿りをするしかないな、と思う。 小雨だったらすぐにでも歩いてホテルへ向かったかもしれないけれど、もう少しで雷が鳴りそうな勢いで雨は降っていたし、ここからホテルは5分以上歩くはずだった。 待てば雨は止む。 この旅で嫌になるほど学んできたことだった。私は少しカフェにでも入って温かいコーヒーでも飲もう、と思う。北欧の夏は気持ちよかった。けれど一度雨が降れば、日本の秋のように気温はぐっと下がり、ホットコーヒ

何者かになりたい

ずっと思っていたことがあって、「何者かになりたい」。 ライターになりたい、編集の仕事がしたい、出版社に入りたい。肩書は追えども追えども手に入らなくて、ライターという肩書を手に入れたときは浮かれたけれど、それだけでは私は何も変わっていないことに気がつく瞬間。 私が変わるためにはやっぱり私を変えなくちゃいけなくて、名刺を変えただけでは特に何が変化するわけでもなかった。 けれど私が変わるためにはまずは環境を変えることが必要で、それをひとは「一歩踏み出す」とか「何かを始める」と

「なぜ旅に出るの」ともしもあなたが尋ねたら

なぜ旅をするのかと問われたら、「旅をせずにはいられないからだ」と答えるだろう。 だって世界は見たことがない場所ばかりだし、見ても見ても、まだ行ったことがない場所に溢れていて、ラオスに行けばルアンパバーン以外にビエンチャンだって、バンビエンだって行ってみたくなったし、ミャンマーまで行ったならばネパールもスリランカも寄りたいし、2週間滞在したクロアチアはまだまだあと1ヶ月は巡れそうなほど、魅力が掘り起こされて止まらなかった。 イタリアのヴェネツィアからもう一度フィレンツェ