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ともみの部屋

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伊佐知美の、世界一周の旅とエッセイ。2016年4月〜
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2016年6月の記事一覧

方向音痴の先に現る、城暮らしの日々【オーストリア・ウィーン】

クロアチアからオーストリアのウィーンへ向かうバスが、ウィーンに着いた、と思ったとき、私は自信満々に近くにあるはずの「Erdberg」駅を探した。 私と近しいひとならよく分かるだろう。私は、自他共に認める方向音痴で、正直に言ってしまうと東と西を未だに一瞬考えたりするし、街を歩いていてどちらが北だとかは、考えたことがない。(言わずもがな)スマホの地図はぐるぐる、スマホごと回して使うタイプだ。 自分は方向音痴である。そのことを十分に自覚しているからこそ、私はクロアチアのザグレブ

「現実を見ろ」という言葉の意味が変わる時。

ねぇお父さん、留学に行きたいの。 ねぇ旦那さん、海外旅行に行きたいの。 あぁもう働きたくない。 もう辞めたい。 負の感情であれプラスの感情であれ、何か新しいことを望むときに、いつもどこかしらで出会ってきた「現実を見なさい」という言葉。 仕事はどうするの。お金はどうするの。家族との暮らしは、ほかの「現実的な」諸々のことは。 たしかにそうね……私はとても夢見がちなのかもしれない、と諦めてきたいくつかの「夢」。 私は週5で都内の会社で働かねばならなかったし、休暇は年に長く

サマードレスを着ながら、初夏の夕暮れを見ていた【クロアチア・ザグレブ】

19:30。部屋の中での作業に少し疲れたし、お腹が空いたから外にでも行こうかと出かける準備をする。 いつものポシェットにワンピース、お気に入りのサンダルを履いて、11インチのMacBook Airと充電器、コンセントの変換プラグなど仕事道具一式を折りたたみ式のバッグに入れる。 ザグレブでは珍しくドミトリーにいたから(ちなみに人生2回目だ)、同室の人に軽く出かけくるね、と声をかける。 昼間は少し曇っていたけど、夜は青空が見えていた。夜なのに暗くない。頭では分かっているけど

日本で出会った時と1ミリも変わらない姿で【クロアチア・ザグレブ】

「じゃあ、16:20にザグレブの中央駅前で待ち合わせね」とメッセージがきた。ホテルを出たらWi-Fiはつながらないから、世界から切り離された、ただの重りになってしまったiPhoneを握りながら、本当に会えるかなと少し不安になる。 もしかしたら、最後に会ったときよりも髪が短くなっているかもしれない。長い金髪とそれを頭の上で結んだお団子スタイルが、彼のトレードマークだった。もし見つけられなかったら、どうしようね? とすっかりスマホに毒されている私は思う。 ホテルからザグレブ中

もし、もう一度あの港町に行けたなら【クロアチア・スプリット】

「今日だけしかあなたに会えない」とか、「あと数時間はそばにいられる」とか、人生は何か制限があると、輝きだしたりするものかもしれない。とりわけ恋においては、往々にしてそういったことがあると思う。 もしかしたら、クロアチアのスプリットもそれに似た現象が起こっていたのかな、と振り返って今思う。 もっとあの町にいたかった。なぜ私は1泊でいいと思ってしまったのか。あといくつかの夜をこの町で過ごせたなら。私は毎夜旧市街に通って、町のあちらこちらで聞こえる生演奏の歌声に耳を傾けながら、

お願いもう少しだけ、29歳でいさせて【クロアチア・プリトヴィツェ】

お願いもう少しだけ、29歳のままでいさせて。 30歳の誕生日がくるまで、あとちょうど1ヶ月になった。30歳が嫌なわけじゃない。私はこの仕事に就いて、20代よりも輝いて生きている30代、40代の先輩方の背中をたくさん見ることができた。 ただ、もう少しだけ待って。20代のうちにやりたいと思っていたことが、まだあるの。もう少し世界が見たい。あともうちょっと、気が向くままに旅がしたい。 お願いまだ、30歳にならないで。 プリトヴィツェ湖群国立公園にきて、思う存分20代最後の夏

「何処へ行っても構わない」という甘い自由の享受のし過ぎは

このまま4時間、地中海を横断したらイタリアのバーリという港町に着く。 バーリに着いたら、昔から訪れてみたかった世界遺産のアルベロベッロに寄って、アマルフィに行き、チンクエテッレの街並みを思う存分楽しみたい。そこからシチリア島のパレルモに行き、夏の南イタリアの太陽を浴びてまた少し日焼けをしてから、さらに海を下って地中海に浮かぶ島国、マルタへ行く。 マルタまで行ったら、アフリカがすぐだ。船でチュニジアのチュニスへ行ってもいいし、まるで電車かのような値段のLCCをふらりととって

きっといつか、「なんて美しい時間だったんだろう」と思い出す日が来る。

いつか私は、ワンピースを着てサンダルを履いて、遠い海の南の島から、日本に原稿を送る暮らしをするのだ。と思っていた。 その原稿の送り方は、茶色い封筒に分厚い原稿用紙をトントン、と揃えてきれいに入れる、みたいなイメージだったから、私はかなり前からこのスタイルを頭の中で描いてきたのだと思う。 夢だろうな、と思っていた。でも夢で終わらせたくなかった。一週間海沿いのアパルトマンで過ごしてみて、そういえばハンモックがなかっただけで、ここでの暮らしはまさに私が描いていたイメージ通りのも

この空と海さえあれば。ねぇほら地球って、丸いんだよ【クロアチア・ドゥブロヴニク】

これ以上の天気はない、と旅先で思えることができたなら、もうそれはあなたの勝ちと思っていい。 勝ち負け? 何にかは分からない。けれど思っていいと思う。今日は私の圧勝だった。 クロアチアのドゥブロヴニクにおいて、これ以上の天気と季節はない。 もう満足だ。もう次へ。 私は気に入った景色や場所があると、できれば2度訪れたいと思ってしまう性癖があるらしく(たとえばミャンマーのバガン遺跡や、インドのタージマハル)、今回のようにゆっくりと滞在できるスタイルの旅は歓迎だっ

海と月と風とパスタと。【クロアチア・ドゥブロヴニク】

Wi-Fiがつながったら、パソコンを開いていくらかの通信をする。 LINE、Viber、WhatsApp、Facebook、チャットワーク、チャットキャスト、slack、Evernote。あたりが私が最近使っているツールだろうか。 目の前を見ると、アドリア海。最初は3階の部屋をとっていたんだけれど、あまりにも原稿を書くのに居心地がよくて、3泊のところを延泊して、もう3泊。合計6回の夜をここで過ごすことにした。 1階にはここを自宅にするクロアチア人のご家族が住んでいる。私

世界遺産の街並みに響く、サッカーの声【クロアチア・ドゥブロヴニク】

サッカー。という言葉が自分から出てくることが、少しなんだかこそばゆい。 それくらい、私にとってサッカーは馴染みのないものだった。昔好きだったひとがサッカーをしていた。夫が、サッカーを愛している。 時折夜に飲むお店でサッカーを観て盛り上がったり、学生時代は「サッカーを観る」というイベント自体に浮足立って、笑ったり手を叩いたりしていたくらいで。 サッカー、というカタカナ自体が私にとっては少しゲシュタルト崩壊だ。Soccer、だとどうだろう? Sock(靴下)? 「ヨーロッ

吸い込まれそうな夜の黒に、目が慣れなくて【クロアチア・ドゥブロヴニク】

吸い込まれそうな、夜の黒だった。空と海の境が見えなくて、雲なのか、波なのか、風なのか、もう私には分からない。 遠くから、強い風が吹いている。対岸は見えない。ずっとずっと、海が黒く続くだけ。左側に、ぽつりぽつりと家の灯り。右側に、交通量の少ない道路。まっすぐ前に、やっぱりずっと、続く海。遠くに浮かぶ、おそらくとてつもなく大きいと思われる、豪華客船の灯り。 ここは、ロンドンでもなく、インドでもなく、今度は地中海、アドリア海に面する街・クロアチアのドゥブロヴニクだった。 この

クロアチアへ行きます。地中海を見ながら原稿を書くために。

空を見上げると雲は遠くて、太陽はどれだけ遠回りをして1日を巡るんだろう、と思うほどにまだ日が暮れる気配はしなかった。 午後5時半。仕事を終えたロンドンっ子たちが、地下鉄に駆け込んでどこかへ急ぎ始めた。恋人のいるところへ行くのだろうか。飲み屋だろうか。それともまっすぐ、家路につくのか。 通り過ぎるすべてのひとと言葉も交わさず、目も合わさず、たまににこりと微笑み返すだけで、私の人生はロンドンで無色になりそうになる。 空はまだ高くて、夜景が見たくてもなかなか見られないほどに、

過去に囚われるのはやめて、恋をするように生きたいと思った。

ロンドンの街は美しくて、空が青いだけで、歩いているだけで気持ちがよかった。 透き通る空、通る抜ける風、流れる雲。今滞在している場所はなぜか子どもが多く暮らす街のようで、乳児から幼稚園児、小学生から大学生くらいの大人に至るまで、ありとあらゆる「こども」たちが、家の周辺でいつでも遊び声を聞かせてくれた。 そんな場所を歩いていると、ふと気が付くことがあった。本当に、ふと。 「そういえば私、過去にこだわるのをやめたな」って。 いつからだろう? 気が付かなかった。 正確に言え