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拝啓、今日と明日と毎日の私へ

~食べるために働くということについて~

◆仕方がないこと・・ほんとに?

「食べるために働くのだから」「食べられたらそれで・・・」そして、大抵、このあとに続く(仕方がないですよね)をぐっと飲みこんでいる表情。
これまで何度となくキャリアコンサルの現場で聞いてきた言葉です。
コロナ禍以降、より多く聞くようになったような、以前からよく聞いていたような。

その意味するひとつは謙遜。
(そんなに高望みなんてしていないし、常識は知っているし、社会人としてのわきまえだってある!本当はそうは思っていない、自分もいるけどね・・・)という心の中の本音。
もうひとつは、希望や夢なんて持っても仕方がないと、何か区切りをつけた後の本音、自分への言い聞かせ、であることを感じます。
そこに至るまでには、それぞれの事情や葛藤、自分だけではどうにもならない事柄と対峙したはずだから、その過程を受けとめたいと思いながら聞いています。

◆食べること、生きること
逆に、「カッコよくいうと食べるために働いているわけじゃないの」なんていうのも耳にします。
このあとに続くのは「だから、妥協したくないんです。」

食べるために働くことは、なんだかとってもネガティブで、マイナスで、妥協の産物?どん底感があるけれど、食べることで生きている、生きるためには食べることが必要なんですよね。そして、それを支えるひとつが仕事。

「生きる」を支える材料は、いくつもあって、仕事はそのひとつでしかないけれど、食べることに直結するのが仕事(収入源)
食べるために働けるっていうのは、いわば「生きる技」のひとつをもっているということに他ならないわけです。

◆価値は作るもの
日々、「食べるための仕事」を通じて生きる技を身につけているということ。
収入という価値ともうひとつ別の価値の存在。
価値は自分で作ることができるもの。

創造力≪思いをカタチにする力≫が味方してくれます。創造力なんてない!なんて言わず。
(こうなればいいのに!)(こうしたら、もっと楽しいんじゃないの?)(私ならこうするね!)と、心に思うこと≪想像力≫から始めてみるといいように思います。

想像力の先には、創造力が待っていて、きっと自分だけの価値を見つける手助けをしてくれます。


◆今日の一皿

冷麺 麺は拙宅の細目のうどん 也


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