絶対に許せないことは許せないままでいい【ポンコツなわたしで、生きていく。】
いしかわゆきさん著の『ポンコツなわたしで、生きていく。」を読んでいます。
「この言葉、覚えておきたいな」と思う文章がたくさんあって、読み終わったら読書感想文としてまとめようと思っていましたが、全て読み終わった後だと感じたこと全てを覚えてられる自信がないので、まで読んでいる途中ですが文章で残しておくことにしました。
本の中ではいろいろと私の心に触れる言葉、考え方がでてきますが、今ちょうど読んでいて「これ覚えておきたい」と思ったのがこの言葉。言葉というか、章のタイトルなんですが。
この言葉を読んで、この章を読んで、私の心がスッと軽くなりました。許さなくてもいいんだ、って。そして、これ絶対覚えておきたいって思ったんです。
というのも、最近というかここ数ヶ月ずっと心にモヤモヤを抱えていて。本ってその時自分が求めている言葉を突然ポンっと与えてくれるから不思議ですよね。
本の感想は一旦置いておいて、ちょっとここから私の話を書きます。
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私には大学生時代に仲の良い友達がいました。
芯が強く、よく言えば素直で正直、悪く言えばわがままな子でした。
あまり友達は多くないけれど、でも限られた友達に対してはとても優しくて、気遣いのできるいい子でした。
時たま彼女のわがままに驚かされたりイラっとすることはありましたが、でもお互い共通点もたくさんあって話していてとても楽しかったし、彼女の自分の目標に向かって頑張る芯の強さを尊敬していました。
でも、大学を卒業してお互い環境が変わり、彼女も結婚や出産などライフステージの変化を経て、なんとなく彼女のわがままな部分が強くなっていっているような気がしていました。
これは、彼女の性格が変わったのかもしれないし、私自身が大人なって価値観が変わったのかもしれないし、そもそも彼女はそういう性格で、付き合いが長くなるにつれてもっと素を出してくれるようになったのかもしれません。
彼女は卒業後地元を離れていたのでなかなか会うことはなく、主にLINEでやりとりをしていたのですが、定期的に連絡をとっているうちに私が「嫌だな」とか「言ってほしくないな」と思うことを言われるようになりました。
元々思っていることをあまりオブラートに包まず伝えるタイプで、とにかく正直な性格でしたが、それがより強くなっている、というか思いやりをどこかに置いてきたような言い方をすることが増えました。
私を馬鹿にするような言い方をしたり、私だけではなく私の友達や家族を馬鹿にするようなことを言ったり。「わざわざそんなこと言い方しなくても」と悲しくなったり、「なんでそんなこと言われなきゃいけないの」と腹が立ったりしました。
でも、本人は悪気はなくただ素直に自分の思っていることを伝えているだけだと分かっていたので受け流していました。言い返して喧嘩になるのも嫌でしたし、会って話している時はそんなことは言わないので、ただ文章になると伝え方が下手なだけだなと思って(というか言い聞かせて)。
でも、受け流したつもりでもそうしてかけられた言葉は私の中に積もっていき、そしてそれが彼女に対する苦手意識に変わり始めた頃、LINEで彼女とちょっとした喧嘩をしました。
喧嘩というか、価値観の違いから少しだけ言い合いになりました。今まで彼女に何を言われても受け流していましたが、その時は「私はこう思う」と反論・意思表示をしたので、彼女もびっくりしたのかもしれません。それからお互い連絡をとらなくなりました。
その時に、彼女と連絡をとらなくなって寂しいというより、ホッとした安堵の気持ちが大きく、後味の悪さを感じながらも、「これでもう連絡をとらなくていい。これでもう傷つけられなくて済む」と感じました。あんなに昔は仲が良かったのに。
でも、彼女からの連絡から解放された安堵感がありながらも、なんだかずっとモヤモヤしていました。でもそれは彼女のことが気になるとか、仲が良かった頃を思い出して悲しくなるわけではなくて、「あれを言われた時本当に嫌だったな」って彼女にかけられた言葉がふと浮かんでくるんです。
もう彼女との関係は絶ったんだしそんなのわざわざ気にする必要ないし、それを言われて嫌な気持ちになったのは事実だけどもう過去のこと。その時に言い返さなかった自分が悪いし、そんなこと考えても仕方ないと分かっていても、ふと思い出して腹が立つんです。
そうやって過去のことをいつまでも根に持っている自分が嫌でしたし、「誰かに対してネガティブな感情を持つことは良くない」と思って、そう考えてしまう自分が悪いんだと思っていました。
でも、本の中でゆぴさんはこう言っているんです。ハッキリと。
これを読んで、私の頭に雷が落ちたような衝撃が走りました。許さなくていいし、許さないってこんな堂々と言っていいんだって。
すごい極端な話ですが、誰かにいじめられたり、大切な人を殺されたり、「社会的に到底許されないこと」なら、私だって許さなくていいと思うし、ずっと恨みながら生きていったっていいと思うんです。
でも、そんな命の危機に関わるようなことではない「ささいなこと」、私が友達に言われて嫌だった悪気のない一言たちなどは、許すべきであるし許せない方が悪いような気になっていて。
でもゆぴさんは、「幼稚園でハロウィンの仮装の帽子を引っ張られたことも」「放課後の約束を連絡なしでドタキャンされたことも」「謎の嫌がらせをされたことも」自分の意思とは関係なく全部心の奥に残っているといいます。
別に「すごい腹が立ったから絶対に忘れない!」と思っているわけではなくて、自分の意志とは関係なく心に残ってしまう。その気持ちがとてもよく分かって、自分だけじゃないんだと嬉しくなりました。
「怒ったって仕方ないんだから、そんなことは忘れて自分のことに時間とエネルギーを使おう」なんてよく言われますし、「嫌な人のいいところ見つけてうんたらかんたら」とか、誰かに対してネガティブな感情を持つってすごく悪いことみたいに言われるじゃないですか。
でも、そうしたいのは山々なんですが、でもできない時だってあります。そうはしたいけど、でも頭で理解していることと感情は違う。だからそんな風にできない自分が嫌になってしまう。
でも、本にはこう書いてるんです。
だからこれから彼女のことを思い出して腹が立っても、本当にあれ腹立ったなぁって思うことにします。「またこんなこと考えちゃった…なんて自分は小さい人間なんだろう」なんて思うよりも、許せないことは許せないままにしておけばいい。そうしてたら、いつかケロっと忘れるかもしれないですしね。
「こう生きるべき」みたいなのがこの世には溢れていて、「どういう行いが良いのか」っていう模範解答があるせいで、無駄に自分を責めている人って多いんじゃないかと思います。
「小さなことに腹を立ててはいけない」「誰かの間違いは許すべきだ」「人には常に優しくあるべきだ」とか。
それができるに越したことはないですし、そんな生き方ができたら素晴らしいと思います。でも同時に、やっぱりそれができないのが人間なんだとも思います。
周りの人を大切にしながらより良く生きるためにそうしたことを心がけることは大切だけど、でも結局そういうのって「自分さえ我慢すれば」に落ち着いて、心のどこかに溜まっていったりしますよね。
ゆぴさんの文章は、そんな「良い人」を目指して頑張りすぎる私たちの肩の荷をスッと軽くしてくれるような価値観が綴られていて、読んでいて心がとっても穏やかになりました。
理想は理想、自分は自分。
無理して自分を変えるのではなくて、そんな自分を受け入れたっていい。別に誰かに迷惑かけているわけじゃないし。「良い人」になれなくたって、自分の周りの人を大切にしながら日々心穏やかに過ごせればそれが1番。だから、許せない人がいたって仕方ない。別にその人に対して何かしているわけじゃないし、そんな風に私が許してないことだって彼女は知らないし。
後半も読むのが楽しみです。
ちなみにゆぴさんのnoteはこちら。
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