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椿の花〜元日に思ったこと〜

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお付き合いのほどお願いいたします。

やはり新年というのは、単に一日だけ日が変わることには留まらない何かがありますね。何かが刷新されていることを、今年ほど感じた正月は初めてです。

元日の朝、階下に降りていくと、生けてあった侘助椿の花が落ちていました。

その姿を見て気付いたことを、年頭の思いとして記しておきたいと思います。

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椿の花は花ごと落ちるので、特に武士の世界では、その姿を落首と重ねて縁起が悪いとされてきた、と聞いたことがあります。

しかし、元日の朝の落花には、不吉というよりむしろ潔さを感じました。

先に生まれたものが後に生まれたものに、その最期の姿を見せて「後に続け」と言っているような。

そのままの姿で地に落ちて、朽ちていくこと自体に美しさがあると言っているような。

朽ちて次の世代にバトンタッチすれば、もう戻ることはありません。
あとは土に還っていくだけ。

しかし、もっと長い目で見れば、土に還り、養分となって次の世代の一部になって返り咲くとも言えます。

当然かもしれませんが、美しさとは自然であるか否かが大きな判断基準の一つになると思います。

そういった循環、移り変わり自体が「自然」であり、だからこそ美しいと感じる。

私たちもそんな大きな流れの中にいて、呼吸しているわけです。

新しい哲学もビジネスも、文化もコミュニティも、そういった流れの中から湧いて出てくるものであり、誰かひとりの能力や、誰かひとりの欲望ではない。

発明者がいたとしても、それはたまたまその時代に必要なことがその人の身体を借りて出てきたもの。一人の発明者の背後には時代の欲求や必然性があるし、その影には無数の人たちの同様の努力やひらめきがあるに違いない。

そういったことをベースに考えると、その出どころには単に自分個人の欲求や能力ではなく、もっと大きなモノの力が働いているのかもしれません。


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落花の椿の別の枝からは、まさに今開こうとしている蕾があります。
それを眺めながら、自分たちもこの椿のようでありたいと思いました。

落ちた椿の花を思い、新たに花ひらこうとしている蕾を大切にしながら、
今年1年を過ごしていきたいと思います。





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