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読後感想 高田宏臣著「土中環境 忘れられた共生のまなざし、蘇る古の技」

コロナ禍、せっせと庭仕事に勤しんで今に至るのですが、タイトルと表紙の根っこのデザインに強く惹かれて購入した本です。

土中環境」って初めて聞く言葉ですが、「土の環境を考える」ということがもっと広まればいいということで、著者の高田さんが造られた言葉だそうです。

そもそも「作物や木を育てるには、土だよ」というのは昔からよく聞く話ですよね。

私自身、数ヶ月前に友人が紹介してくれたアイルランドのガーデナーの実話をもとにした映画「フラワーショー!」を観て、モデルとなったメアリ・レイノルズさんの著作”Garden Awaking"を読み始めてから、ますます土の大切さを思っていたところでした。(自分の英語力のなさがもどかしく(涙)日本語版の出版が待たれます...)

災害と土壌の関係

ここ数年、毎年のように台風や大雨による土砂災害が頻繁に起こり、気候変動のせいなのかな、と勝手に思っていました。

しかしこの本を読んで、そうではなくて、森の自然の営みが、ダムや堤防などの人工的構造物により破壊された結果というところも大きいことがわかりました。

著者の高田さんはご自身でも造園業を営まれており、これまで新潟市北区の松林の復活、長年単一樹林の植林を繰り返して疲弊していた吉野山の復活、川崎大師の参道の環境整備などなど、様々な実績をお持ちです。経験に即した言葉には、いちいち説得力があります。

印象的だったのは、数字や理論には表せない、感覚や体感、経験のようなものでしか測れないものが自然界にはたくさんあり、人が心地よいと感じる場所が、草木や川、森などにとっても心地のよい場所であること。

土は水だけでなく、空気も一緒に循環している場所で、それが機能している場所は居心地がいいと感じる。例えば、山では水が湧いたり地中に潜ったりして、あたかも呼吸しているかのように、水と空気が出たり入ったりしているそうです。

そこをコンクリートで埋めて、水と空気が停滞すると、すぐにその土地は荒地になってしまうし、逆に菌糸のネットワークが復活して、呼吸ができるようになると、その復活も速いということが、様々な事例で示されています。

海や森が自らを豊かにしようとする作用

また、例えば、土石流災害が起こって、山に亀裂が入った場合でも、実はその土地や山はすでに水や空気が停滞して限界!という状態だったということが、災害後にわかるんだそうです。災害後に山に入ると、水が流れるべきところに綺麗に亀裂が入り、そのまま放置しておくと亀裂から勢いよく水が湧いてきたりするそうです。

東日本大震災後に、活躍するキーパーソンのインタビューをして「未来への教科書」という番組にしていました。その際「森は海の恋人」の畠山重篤さんが、津波でご自身も被災しているにも拘らず、「津波が来ると、海が豊かになる」とおしゃっていたことを思い出しました。

人間も自然の一部

もちろん、砂防ダムや治山ダム、防潮堤などで災害に対して即効性のあるもので防ぐというのも大事なのでしょう。でも、長い目で見たときに、そういった人工物は森や海を呼吸できない状態にし、地盤を不安定にし、後年の災害につながるという副作用があることを、高田さんは警告しています。

これは身体も同じで、調整作用として熱を出したり、痛みが出たりして、より整おうとしているところに、対処療法的に、目先の症状に効く投薬ばかりを繰り返すと、身体はいつまで経っても整うというステージに行かれません。

当たり前ですが、人間も自然の一部ですから、人間の身体でも自然界で起こることと同じようなことが起こるのだなと思います。

古の技

一方で、昔、機械などが無かった時代、人間は自然と共生し、その恩恵に預かって生きていくしかなかった訳ですが、そのためにどうしたら自然の流れを阻害せず、共存できるかということに、智慧を絞ったことが分かります。

例えば、土砂災害などで被災した地域の中でも、1000年以上経っている石積や石畳、石積の段々畑などは、ビクともしないそうです。

おわりに

コンクリートの寿命は50年だと言います。それを考えると、私たちは何をやっているんだろう...と思ってしまいますよね。

自然の前で、私たちは無力であることを今一度思い出して、謙虚に生きていきたいなと改めて思いました。

「土中環境」には様々な具体例が書いてあるので、まずは自分の庭でできることをやってみようかと思っています。








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