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読後感想 橋迫瑞穂著『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』

妊娠・出産に関して、ここ10数年で風向きが大きく変わってきているように肌で感じていました。

実は私自身、自宅出産をしていて、いわゆる「自然なお産」派といえば、まぁそうなんですが。

「風向きが変わった」というのは、自分が自宅出産したこととかを人に話しにくくなったというか、「それどころじゃない」という雰囲気に満ち溢れていて、ちょっと触れられなくなったというか。

ただ、それをどう言語化すればいいか全然わからなくて、あまり人に話したことはありませんでした。

著者の目が「外の人」

『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』はいつもお世話になっている方から紹介されて、手に取ってみる気になりました。

だいたい妊娠とか出産の本って、最初から読む気が失せてしまう。
自分の経験としては「自然なお産」で落ち着いているので、ちょっと批判的にみるか、共感するかのどっちかでしかないので、結論が目に見えてしまうような気がして。

しかし、読んでみると想像と全く違っていました。

どこが違っていたかと言えば、まず、こんな時代に「妊娠・出産がスピリチュアルである」と感じている人たちが非常に多いところ。

「こんな時代」というのは、先述のように、なんだか風向きが変わったな、出産の話をしにくい状況になったな、と個人的に感じていた点から。
後で説明しますが、ついでに言えば、なんで私が「こんな時代」と感じてしまっていたのかも見えてきました。

もう1つは、著者自身に出産経験がないため、少し離れたところから「妊娠・出産」を眺められる立場にある、というところ。

正直、最初はそのことがちょっとそっけなく感じるくらいで、「あなたはどういう立場なの?」と思いながら読んでしまいました。

でも、途中から「確かに様々な事象を依怙贔屓なく分析しようとすれば、自分にそういった経験があったら邪魔になるな」と。こと分析する立場でそれをやっては仕事にならないでしょうから、本書はちょうどいい距離感で書かれているのだと思いました。

さらに、いつの間にか自然なお産か、医療行為の介入を受けるお産かで色分けしている自分に気づき、ハッとしました。

本書の構成

1〜5章は、妊娠・出産とスピリチュアルについての幾つかのパターンを80年代以降の書物から拾って分析しています。

6章で著者の考えのまとめ、そしてあとがきと続く。
この6章の分析が鋭かったし、斬新でした。

とくに妊娠・出産とフェミニズムとの関係性が、私にとっては目から鱗でした。

実は長年のモヤモヤだったこと


これまで、フェミニスト的な方々と、時折仕事でご一緒することもあったんですが、そんなときに自分がいつも「説明できない」とモヤモヤしてしまう部分がありました。

それは、先ほど書いた「風向きが変わって、『自宅出産しました』と話しづらくなったこと」とつながってくる部分でもあります。

「スピリチュアル系」お産では、概ね古来の日本の女性を目標としているケースが多いそうなのですが(なんとなく自分もそれは理解できます)、その流れだと、女性は家庭で子育てをするのが第一義、といった、今の時代からはちょっと古い、昭和的な、なんならもっと古い時代の女性像が見えてきます。

希薄な人間関係の延長上に

昨今では、配偶者や自身の親といった、いわゆる家庭、家族というものの繋がりが希薄になっていますよね。それに対して、昭和以前の日本では、血縁、地縁は物凄く強かったわけです。

そんな社会では、妊娠・出産で困ったことや悩みが出たら、まずは自分の母親や姉、叔母などを「身近な経験者」として頼りにしますよね。

昨今ではそういった時に助けてくれる、頼れる人が、血縁・地縁関係ではなくて、ネット上の同性であったり、スピリチュアル市場でのコンテンツであったり、という風に変化してきていると著者は指摘します。

もちろん、そこには危険性もあり、スピリチュアル系のグッズを過剰に高額で購入したり、非医学的な知識を盲信的に信じてしまったり、などのトラブルも起きています。

そこまで読んでみて違和感に感じたのは、妊娠・出産にスピリチュアリティを求める女性たちと、昭和までの血縁・地縁の強いコミュニティで出産する女性像とが、どう考えても一致しないということ。

フェミニズム的な匂いが色濃く漂っているにもかかわらず、前時代的な、封建社会の残滓に理想像を求める。

これは一体どういうことなんだろう。

似て異なるもの

本書ではそこを実にうまく説明してくれています。

スピリチュアル系の妊娠・出産を望む人は、日本古来の女性像を目指すけれど、そこには、夫や自分の母親は存在感が薄いか、全く登場しないかだ、と。

家庭」の概念が、これまでと似て異なり、家族、人間同士の繋がりというものではなく、

母の身体性を拡大したもの

だと指摘するのです。

こんな時代に


さらには、最近では、昔の「大人のおもちゃ」的なものが、子宮の健康を保ち、老化を防ぐ、自分で自分の体を整えるグッズとして、おしゃれなデザインでデパートなどで売っているとも聞きました。おしゃれな「大人のおもちゃ」で自分自身で子宮の健康を保とうとする。

(こーいうヤツです↓)

https://www.elle.com/jp/beauty/wellness/a37439426/vaginal-training-item-2109/

本来は男性との性行為の結果、満たされていたものが、自分自身の手で、ということになれば、これもスピリチュアリティを求める女性たちと同じく、身体性の拡大だと言えなくはないのではないでしょうか。

私が冒頭で「こんな時代に」と思ったのは、これだったんだ、と気付きました。

つまり、これまで他者との接触、コミュニケーションにより成立してきたのが人間社会だったはずなのに、接触の最たるものである性行為に至るまで、自分だけで完結させようとする。しかも、それはおしゃれで最先端でクールな行為である、とされている。

そういったことに、ある種の人類の終末を感じていたんだと思います。

さらに、それを正当化するかのように「健康を保つ」という能書きがついている。

そこには、例えば性行為が愛の象徴だとか、妊娠・出産が神聖だといった文脈とは程遠い、工業製品のような、無機質な乾いた感触があります。少なくとも私にはそう感じられました。

そういうわけで「こんな人間同士の繋がりの薄さが象徴されているような時代に」妊娠・出産とスピリチュアリティが結びつくことがちょっと不思議な気がしたんだ、と腑に落ちたのです。

おわりに


私や両親は昭和生まれ、祖父や祖母は明治大正生まれでした。
そんな古い社会に属してきた人間なので、今の新しい性や妊娠出産をめぐる考え方にはついていけないだけなのかもしれず、このnoteを読んで、違和感を感じる方もいらっしゃることと思っています。

ただ、少なくとも自分なりに「自然なお産」を追求した結果、自宅出産を経験し、今のところ後悔はしていません。

妊娠・出産にスピリチュアリティを求める人と同じように、私も妊娠も出産も神聖なものだと思っていますし、生命が生まれる神秘や不思議は、生き物がこの宇宙に生まれて以来、そしてこれ以降も変わらないものだと思います。

そして、自分一人では何もできないのが人間です。

「個の身体の拡大は、近代性の象徴だ」と聞いたことがあります。掃除機から車などの移動手段の乗り物、パソコンからiphoneまで、確かに身体を拡大するツールとも言えます。

一度便利になったものから離れることは難しいですが、それがかえって人間をものすごく孤独にしているとすれば、子育てを歪んだものにしているとすれば、何か手立てを考えなくてはならないと思います。

出産や妊娠について見直す場のようなものが、今まさに必要とされているんだなと改めて感じました。

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