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道具ってすごい。刀鍛冶のつくる鍬を使ってみた(続編)

この前、島根県安来市の天保時代から続く刀鍛冶、弘光さんの鍬を使ってみた話をさせていただきました。

前回、noteを書く時に、弘光の11代目、小藤宗相[しゅうすけ] さんから「柄を作るおじいさんが本当に素晴らしいんですよ」と聞いて、興味が湧きました。弘光さんは、日本の鉄文化の源流、中世のたたら操業からの伝統を受け継がれている鍛治工房。コラボしている道具屋さんも気合いの入り方が尋常でないに違いない、と勝手にテンションが上がってしまいました(笑)

今回はそういうわけで、鍬の柄を取り扱っている島根県米子市の神野(ジンノ)さんを紹介したいと思います。

「じんの鍛冶店」

神野さんは、御年87歳になられる現役の職人さん。

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絵描きさんでもあります。

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神野さんのお店「じんの鍛冶店」は、鳥取県の米子駅近く、米子本通り商店街にあります。現在では、主に刃物の研ぎなどを中心にご商売をなさっているそうです。

米子の商店街は典型的なシャッター街。周りはどんどんシャッターを下ろしていく中、神野さんはお店を続けているそうです。

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職人さん同士の会話

この日、宗相さんは、お父様である10代目、小藤洋也[ひろなり]さんと共に神野さんのお店に訪れました。

神野さんと洋也さんの会話を、宗相さんが送ってくださったので、一部紹介します。

*こちら、かなりディープな出雲弁と米子弁で会話されており、地元の宗相さんご自身にも難易度が高いとのこと。以下に翻訳を記載します。とはいえこのニュアンス、やはり方言でないと伝わらないと思うので、併記します。

(監修:小藤宗相さん)

洋也さん:
お金儲けはある程度はせなならんと思うですだあも

訳:お金儲けは、ある程度はしなければならないと思うですけれども。

神野さん:
ある程度のぅ。
人間ていうものはな、あまり動物をいじめたらな、なんだりせんでも動物や魚をな、獲って煮て食っとうだけんな、人間悪いことしとらぁもんな。
たまたま、もういっとそげんにいろんなものをいじめたり、人に勝ったけん、って言っても面白いことはあらへん。

訳:人間というものは、あまり動物をいじめたらーー何もしなくても、動物や魚を獲って煮て食べてるわけだけどーー人間は[素のままでは]悪いことをしているわけではない[全ての動物がそうやって生き延びている]。
でも、ちょっと行き過ぎて、色々なものをいじめたり、人に勝ったぞ、と言ったって、面白いことはない。

洋也さん:
あの世へ行くときになんぞ持って行かれませんし。

訳:あの世に行く時に何かしら持っていかれる訳ではありませんし。

神野さん:
自分がな、人間らしい暮らしをしとったらな、そげにがいに人と競争することはありません。
人と競争すると体傷むしなぁ、プロ野球でも30代でも使いもんにならん人が出てくる。高校野球でいけんやあになる人もあるだけんな。
やっぱりげんなぁ、人より上になろうなんて考えん方が年取ってから楽なけん。
年金がでぇやになってからなぁ、体が傷んどったってな、話にならんけん。

訳:自分が、人間らしい暮らしをしていたら、そんなに人と競争するということはありません。人と競争すると、体が傷つく。プロ野球でも30代でも使い物にならなくなる人が出てくる。高校野球でダメになる人もあるくらいだ。だからやっぱり、人より上になろうなんて考えない方が、年を取ってから楽だ。年金が出るくらいの年になって、体が傷んでいたら話にならない。

洋也さん:
おっしゃるようなことがね、刀の秘伝書にかいてああですだ。奥義の中にあるんです。
名誉やね、あげなもの職人が持っとったってね、何にもならんと。
地位や名誉や感謝状やら表彰やら、何もならんと書いてあるんです。

訳:おっしゃるようなことが、刀(鍛冶)の秘伝書に書いてあるんですよ。奥義の中にあるんです。名誉のようなものを職人が持っていたって、何もならない。地位や名誉や感謝状や表彰などは、何にもならないと書いてあるんです。

神野さん:
元気でな、張り合いがあって、やっとうあいだがええだけんな。
次々次々と考え方を変えきてな、昔のこと、悪いことしたことや具合が悪かったことやなんか忘れてしまう。そうせんとな、年取ってから頭がぐらぐらぐらぐらなっていけんけん、もう忘れてしまうこと。

訳:元気で、[生きる]張り合いがあって、やっている間がいいんだ。
次々と考え方を変えて、昔のことや悪いことをしたこと、具合の悪いことなどは忘れてしまう。そうしないと、年取ってから頭がグラグラしていけない。もう、忘れてしまうことだ。

今こそ職人の生き様に注目したい

いかがでしたか?

さりげない世間話ですが、長年鍛えられ、培われてきた年輪や深みを感じるような言葉が、たくさん聴こえてきたのではないかと思います。

昨今のコロナ禍、一体いつになったら「普通」に戻れるんだろうと思っていた矢先に、この映像を拝見することになりました。

私たちが「普通」と思っていたことは、実は行き過ぎたことだったのかもしれない。あまりに競争し過ぎて、自然と共生するといった本来の生き方から外れていたのかもしれない。競争が過熱し過ぎて、いつの間にか身体や社会を壊していたのかもしれないーー。

こんな時だからこそ、長老たちの言葉がより染み入るようでした。

最後に、神野さんと洋也さんのツーショットを撮影していただきました。

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いい写真です。お二人とも、とても佳いお顔。

見ているだけで免疫が上がりそうです(笑)

最後に

日本には、神野さんや小藤さんのような素晴らしい職人さんがまだまだいらっしゃると思います。創られたモノはもちろんですが、その職人気質や職人魂が、まさに今、必要とされているのではないでしょうか。

未来は後ろにある」と中世までの日本人は考えていたようです。コロナが開けたら、どんな時代にしていくのか。鍬で耕しながら、未来を考えてみたいと思います。

最後になりましたが、写真や動画をご提供くださった小藤宗相さん、本当にありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。


鍛治工房弘光







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