「続 十六の墓標」

連赤関連の本はかなり読んでると思うが、コレは未読だった。

先の上・下本は、著者が左翼運動に参加し、連赤の非合法活動から14名もの“同志”を殺害するに至った経緯を記したものだったが、この続本は、逮捕されてから17年間の、裁判や拘置所での生活を中心に書いたものだ。

まず、一審判決では、同志殺害について、「被告人永田の個人的資質の欠陥と、リーダー森の器量不足に大きく起因する」とし、特に、永田について、「自己顕示欲が旺盛で、感情的・攻撃的な性格と共に、強い猜疑心、嫉妬心を有し、これに女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり、その資質に幾多の問題を蔵していた」とする内容の判決が出されいる。

当然、永田はこれに反発してるが、要は、このある種、つい女性差別的な解釈を出さざるを得ないほど、裁判の場とはいえ、感情的にならざるを得ないほど、連赤の行動理論は、通常では理解し難いものだったということだと思う。

“共産主義化”や“総括”という訳のわからん、具体性のない言葉へのこだわりや、マジで一つの国家を転覆させようとした割には幼稚な単なる犯罪を超えることのない行動、そして、挙句の果てには、次々と難癖をつけての同志大量殺害。

あまりにも大きく世間と乖離し過ぎる連赤の考え(思想なんてもんじゃない)や行動も、全て人間性を無視したイデオロギーの成せる技(禍)だろう。

かといって、彼らが特別な頭のオカシイ連中というわけではない。

安岡章太郎氏も書いているが、“総括”に至る暴力もだが、リンチの受け止め方やそれを正当化する考え方が、旧日本軍のそれにソックリであるからだ。

つまり連赤の“共産主義化”は、旧日本軍の伝統を再現したものなのである。

上級兵士が下級兵士をイジメる構造、理由もなく鉄拳制裁を行う日常、そしてやられた方は「ありがとうございます!」と礼を叫ぶ。連赤が、リンチを“暴力の援助”と呼んで、メンバーは大学まで行った高学歴の若者だったことを思うと、この悪しき伝統は戦後世代の精神にも脈々と受け継がれていたといえると思う。

永田の、裁判におけるメンバー同士もしくは外の支援者とのイザコザなど、くだらんイデオロギーの則った話は読むに耐えないが、日常や、画材を手に入れて絵を描く楽しさを覚えたところは、真に彼女の人間性が垣間見えてホッとする。また描いた絵が少女趣味のようで…。

永田洋子(ヒロコ)は確定死刑囚だったが、2011年2月5日に、脳腫瘍で獄死している。享年65。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。