無常

昨日、ケアマネさんとの打ち合わせの日だったのだが、ヘルパーさんの一人が“妊活”のため、来月から休職するという。

親父の時からお世話になってるヘルパーさんなのだが、ウチに来た時は、まだ新婚さんで、30代と若くて、しかも顔は眼がクリッとしてて小動物のように可愛くて、彼女が来た時は、俺もテンションが上がって、いろいろと喋りまくったものだ。

残念ではあるが、死を待つだけの老人なんかよりも、彼女の明るいと思われる未来の方を優先するのは当たり前のことだから、まだ早いけど「おめでとうございます」と祝福の言葉を贈った。

思うと恥ずいけど、彼女に、介護の意義や人の生き死にに表れる無常感など、資格もないくせに中年ジジイらしく諭すように長いこと話したりしたものだ。

このような、至って普通な日常に接すると、俺も極普通の人間であるのに、なんで大きく道を外れたような生き方をしてきたのかなぁとの小市民的な思いが湧いてくる時がある。それも、ほとんどが自分の意志というよりも周りに流され同調してのこと。

確かに、趣味趣向・嗜好、ついでに格好は変わってるかもしれないが、意外と礼節を重んじる常識人であるし、アウトサイダーは大好きだけど、アウトローは大嫌いだし。

ーーまあ、いい。今更何を言う。

こうした何気ない日常に、「物事は移ろいやすいが故に儚い。この世に存在するありとあらゆるものは儚くも虚しいもの。命も同様。でも、そこにこそ美が存在する余地がある」という無常感を感じるようになった俺はやっとオトナになれたかな。

明日、そのヘルパーさんが来るのだが、「もっと旦那さんとズッコンバッコン、やらなきゃダメよ。げへへへ」なんてチョー失礼なことを言いそうでコワイ(笑)。

さて、脳外科病院の定期検診に行って来よう。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。