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子どものころ、本屋さんが「テーマパーク」で「避難所」で「オアシス」で「実家」のような場所だった

本屋さんって、なんであんなに居心地がよいのだろう。

本屋ではだれも話しかけてこない。好きなエリアで好きなだけ本を探せる。
新しい世界に思う存分、没入できる。時間を忘れてしまう。まるで1人テーマパーク。本屋暦40年以上の私を未だにワクワクさせてくれる。

小学校4年生の時に、親の都合で私は千葉から新潟の海の近くの町に引っ越した。その小さな町には、片道2車線の大きな通りがあって、その通り沿いにレンタルショップも併設されていたブックセンターがあった。

ショッピングセンターみたいに大きな本屋さんで、自動ドアから入ると、目の前にはおしゃれな洋服を着たお姉さんが表紙の雑誌がたくさん並んでいて、その前でスカートを短くした高校生(もしかすると中学生だったかもしれない)がよく「セブンティーン」とか「Lemon」を立ち読みしていたのを覚えている。

このブックセンターは長らく私の避難所になっていた。
引っ越した先でも友だちはいたし、グループにも属していたので、放課後は毎日誰かと遊びに出かけていた。けれど、女子グループ特有の表と裏のあるゆがんだ会話や影響力の強い子が勝利する力関係に、時々妙に疲れてしまって、誘われても予定があると言っては本屋に逃げ込んだ。

当時のブックセンターではマンガの立ち読みも出来た。平日の午後から、いい大人たちが並んでマンガコーナーで立ち読みをしていた。

その間にこっそり入りこんで、「りぼん」や「なかよし」で連載されていたマンガを読んだり、偶然手にした「僕の地球を守って」を貪り読んだり、当時人気のコバルト文庫の新刊(特に氷室冴子さんの「なんて素敵にジャパネスク」が好きだった!)がでていないか探したり、とにかく暇なく楽しんだ。

高学年になると、高校生のお姉さんと並んでファッション誌「セブンティーン」を眺めてみたり、急にインテリア雑誌に興味をもったりと、本だけじゃなくていろんな分野の雑誌も楽しめるようになっていた(売上にも貢献しました。滞在時間と比較したらアウトですが💦)

一番うれしかったのは、本屋さんで好みの本を見つけることができたとき。
やさしくて美しくて情感は控えめな文章が好きで、そんな文章で書かれた本を見つけられると、小さな孤島の洞口の奥で、苦労してやっと宝物を探し当てた探検家のような気分になった。小躍りこそしないが、心の中ではアルプスの少女ハイジのごとく、大草原を転がりまわってた。

その本を寝る前に読む悦びといったら!やっと巡り合った好きな本の世界に入り込んで眠りにつく。今も、あれに勝る喜びの時間はないのではないかな?と思うほど。

小学生から大学生になるまで、本屋は私のオアシスだった。
疲れたとき、落ち込んだとき、イライラしたとき、さみしいとき、本屋はいつでも私を受け入れてくれた。何も言わないけれど、色々な世界を見せてくれて、世界は広いことを教えてくれたし、やさしく明日にむかって背中をおしてくれるそんな存在だった。

社会人になってからは、本屋に行くことは少なくなった。
本屋を楽しむには「時間」が必要だということは、社会人になってからわかったことだ。それでもビジネス書を探すという理由を付けて、本屋には定期的に通っていた。回数は減ったけれど、頑張る私を静かに応援してくれる、本屋は実家のような存在だった。

今、フリーランスになり、子供もある程度大きくなったので、また本屋に足を運ぶことが増えている。昔ほど時間が取れるわけではないが、今は「子供が好きそうな本を探す」という新しい楽しみ方も加わって、本屋さんがとても楽しい。

テーマパークであり、避難所であり、オアシスであり、実家のような本屋。
そんな存在があること。


これって、もしかしたら、とてつもなく幸せなことじゃないかな?


本屋さんで一目ぼれして買った、辻村深月さんの書籍(やさしくて美しくて情感は控えめな文章だ)を寝る前に読みながら、ふとそんなことを考えて、自分の持っている幸せを改めてかみしめてみた。

そして、なんとなく思ったのだけど、私にとっての本屋のような場所を、人はそれぞれもっているんじゃないかな?

例えば服屋さんだったり、映画館だったり、ショッピングセンターだったり、百貨店だったり、カラオケだったり、駅だったり、それぞれ違うかもしれなけれど、そこにいくと安心できて、ワクワクする思い出やあったかい想いがたくさん詰まったところ。そこには人と場所のストーリーがきっとたくさんあるのだろう。

場所は人の心をいつも励まし、許し、勇気づけ、楽しませている。そう思うと、人は本当の意味で孤独にはなれないし、世界は人にやさしい場所だと思えた。

私も、今の本を読みお会えたら、また本屋さんへ行こう。次はどんな本と出合えるかな?テーマパークに行く前の子供のような気持ちで、私は眠りについた。




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