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合作ほど、面白いものはない。

今から3年前のコロナ禍、2020年に長らくの友人だった西塔大海(さいとうもとみ 合作株式会社共同創業者 取締役/以下大海くん)と合作株式会社をつくりました。
会社をつくった理由は至ってシンプルで、目指すインパクトに対して、一人でやることの限界を感じたからです。

共同創業者の大海くんは、大学こそ異なりますが学生時代からの仲間で、この挑戦に無くてはならない存在でした。(大海くんが首を縦に振らなかったら、絶対に会社は設立しない。当時からそう自分は心に決めていました。)

元々は、それぞれ異なるフィールドで活動していましたが、お互い家族を持ったり、改めて社会に対してインパクトのある成果をつくりたいといった想いやタイミングが重なり、創業に至りました。目下取り組むことは行政や地域、環境分野などが関係する公益的な側面が強い事業内容です。しかし、こういった活動こそボランタリーでは続かないし、しっかりと研究や新しい活動への投資ができる成長曲線を描けるような事業プランにしたいよねということで株式会社を選択しました。

美術への想いと、社会への想い。

自分は今でこそ会社を経営し、数年前までは行政の中で政策策定に携わるようなことをしていますが、元々は美術大学で彫刻を専攻し、いわゆる芸術家として生きていこうと思っていた人間です。“何かを生み出していくことを生業とする”という意味では、言葉は違えど当時から何も変わっていないと思って生きています。
そんな自分が美術という道を選択し今に至った経緯は、子どもの頃から抱えていた社会に対しての違和感だったと思います。小中学生の頃から色々と葛藤を抱えていたのですが、うまく解消できないまま高校に進学し、それでも結局社会における様々な制度や慣習など、納得のいかない事に対しての怒りがありました。それと同時に、どうする手立ても見つけられない自分自身に対しても葛藤を抱えていました。そんな中で出会ったのが美術の世界でした。
当時、自由に振る舞うことに対して抑圧されていると感じていた自分にとって、美術の世界は非常に寛容でした。また、何も無いところからモノを生み出していくための手法を学べる世界だとも感じました。明確な回答はないけれど、思考や表現を徹底して突き詰めていくことで、自身や人に対して心を揺さぶるまで訴えかける事ができる。ある種そこを追求することだけがルールのような世界が、違和感に対して徹底的に戦いたいと思っていた自分には非常に心地よく、ある意味救われるものでした。

そうした社会に対しての想いや違和感、美術との出会いが巡り巡って今の事業や合作の創業に繋がっていくのですが、この部分を書き出すと中々合作までたどり着かないので、またの機会にお話できればと思います。
もしご興味があれば、先日多摩美術大学で講演させていただいた時の内容が自分の原点にフォーカスしてくださった内容になりますので、ご覧いいただけたら嬉しいです。

(多摩美術大学 サーキュラーオフィス レクチャーシリーズ第一回)

「このまちは、なんかあるぞ」から、世界に広げていくために。

もう少し近しい話で、合作が今の形で創業に至ったきっかけの話をしようと思います。
2018年に初めて鹿児島県大崎町を訪れました。当時は、山梨県の富士吉田市で運営していた財団法人を後任に引き継ぎ、妻の活動拠点だった長崎県の対馬市に引っ越したばかりの頃でした。そんな時、以前からお世話になっていた慶應義塾大学の玉村先生から「学生のフィールドワークをやるんだけど、ちょっと講師で来てくれないか?」と呼ばれて訪れたのが最初のきっかけです。母が鹿児島出身のため県にゆかりはありましたが、リサイクルを始めとする大崎町の取り組みは恥ずかしながら知りませんでした。

そんな大崎町は良い意味で、とても「違和感」を感じさせる町でした。

それは、<町のみなさんが、当然のごとくリサイクルに協力し、行政職員も当然のごとく運営している様子>でした。自分が今まで培ってきた経験からすると、それらの取り組みは普通では中々なし得ないことです。
日本一の取り組みがさも当たり前のように実施されていることに対して、「なぜこれが出来ているのか全く理解が出来ない、、、本当にすごい。」という思いがありました。だからこそ、「このまちは何かあるぞ」と、とても惹かれるものを感じました。
そんな違和感に惹かれて、その後足繁く通うこととなりました。知れば知るほど大崎町は面白く、魅了され、最終的には対馬に引っ越したばかりだったというのに、半年後には大崎町役場の政策補佐監という立場に就任させていただきました。

政策補佐監時代は、いろんなことを試しました。
特に外部からの人材の導入を中心に、自分の感じていた手応えが他の人にも興味を持ってもらえるものなのか?大崎町に感じていた価値は社会に求められるものなのか?を検証していきました。
その結果、大崎町の取り組みにはとても反応がよく、関わりたいというニーズが多いと分かりました。でも、実際に多くの人に関わってもらうには、マネジメントや事業として運営できる仕組みにいろいろ課題がありました。地域内外における考え方の違いによってハレーションが起こりやすく、その部分を解決しないと前には進まない。それには役場の力だけでは叶わない部分があると感じました。
同時期に、大崎町の取り組みをただ"リサイクル率日本一”という結果ではなく、『リサイクルの町から、世界の未来をつくる町へ』と世界の課題解決や価値へ繋げていくというヴィジョンを役場の中で定めていました。
こうなるともう、自分ひとりの力では到底叶いません。だからこそ、実現できる体制が必要だと、合作株式会社は生まれました。

合作の登記に訪れた法務局。

実は自分の中ではイメージができている。今も昔も1番大変なのは〇〇

合作をつくり、自分にとって大崎町でのプロジェクトは今年で6年目。その間に、合作だけでなく大崎町の循環型社会づくりの実行部隊として、役場や合作も参画する官民連携の組織『一般社団法人大崎町SDGs推進協議会』も設立し(合作で事務局を担当)、大崎町の取り組みは年々前進しています。それに伴い、関わってくださる人や地域も世界に広がるようになってきました。
結果だけ見ると順風満帆に見えるかもしれません。しかし、そんな万事うまく進んでいるなんてあるわけがない(笑)それはもう苦労だらけ、心が折れそうになることはいっぱいあります。

1番は組織のマネジメント、改めて大変だなと感じています。
ステークホルダーが本当に多く、それぞれバックグラウンドやこれまでの言語が異なる上に、新しいことをやってるので共通の認識がなかなか揃わない。ルールもない中で集まって1つのものをつくりあげるって、こんなに難しかったかと。当たり前にPDCAを回し続けて成果を出すことって簡単なことではないと痛感しました。
代表である自分は100%合作にコミットしていますが、役員間でも関与の量や住んでいる場所も違って、それはもう大変です(笑)でもだからこそおもしろい部分でもありますし、今でも大変で1番勉強している領域です。これからもアップデートし続けていかなければと思っています。

自分は先述の通りバックグラウンドとして美術、その中でも彫刻を勉強しており、考え方のプロセスにいつも彫刻的な考え方のベースがあります。美術と地域や町づくりがどう関係するのかイメージが湧きにくいかもしれません。しかし自分の中では、地域や社会の仕組みを捉えるときにも彫刻的なイメージがベースにあって、こうあったらいいよねという理想の状態は美しい関係性で決まると考えています。

適切なところに適切なものや人がいること。それぞれの関係性、量や質、距離などを適切なところへ調整したり動かしていくことで美しい状態ができていく。
例えば、環境のことだけを行き過ぎて考えるとそこで暮らす人々の生活は息苦しくなってしまう。循環型社会というのは資源だけでなく、経済や社会、人々の幸せも相互の関係性の中で成立できるように関係性を築いていくことが大切。

そんな美しい関係性とは何かを紐解いて、合作の事業は構築しようとしています。絵に描ききれるほど明確ではありませんが、自分の中にはある程度いつもイメージはできています。こうなったら世の中はもう少し心が動くような綺麗な関係性が成り立つんじゃないか、みたいなもの。そこに合わせていく、寄せていくような作業。そこに対してのプロセスに仮説を立てて検証を繰り返しているのが今だと思っています。

ただ、自分の中では答えは出ているし、整理されてるつもりなんですけど、これは他の人にはあまり伝わらないんだなということがようやく分かってきました(笑)そういった感覚がようやくわかってきたので、そこも踏まえて、このイメージを丁寧に共有しながら、チームで進めていくって大切だなと改めて感じています。

初めて社員採用を行って、着任してくれた初日の記念写真。
2人で立ち上げた合作に、関わってくれるメンバーも増えてきました。

すごく面倒くさい会社、だからこそコラボレーションは面白い。

「合作」の名前は社名でもありコンセプトでもあります。
それは大海くんとそれぞれの家族を交えた家族合宿で決まりました。自分たちはお互いに家族同士を交えて定期的に会議をしています。やっぱり家族あってこそ仕事ができているので、みんなで集まってこれからの仕事や生活のあり方などを話すようにしています。

その中で、大海くんから
「コラボレーションって中国語でなんていうの?」
「合作(Hézuò)だね」
という会話になり、それがそのまま社名になりました。

自分が中国に留学していたことがあってそうなったのですが、よく映画で「日米合作」「日中合作」とかありますよね。映画のエンドロールに最後「合作」で出てきたらどっちの意味だって面白いよね、合わせてつくるってそのままやりたいことだし、コラボレーションを訳したストレートな表現でもあり日本語かと思いきや実は中国語でって面白いね、という感じで決まりました。

そんな合作で大切にしていることの1つは、フェアネスです。
特に契約事のフェアネス。合作する時は常にお互いに対等な関係で仕事をしたいと思っています。単純な主従関係ではない契約です。お金を持ってる側に言われたことをやるのはただの受け仕事、それは合作ではない、僕らは楽しくない。僕らもやりたいことがあって、他にもやりたいことがある人がいて、それを持ち寄ってみたら思ってもみなかった面白いものが生まれるっていうのが合作の仕事です。 そう在るため、それをつくるための工夫などは力を入れているポイントです。

自分だけだと面白くないというか、自分のためだけというのはもともとあまり興味がありません。自分1人で考えたこと、自分の想像の範囲だけで収まるのが面白くない。見たことのないものを見たいし、聞いたことのないもの、思ってもみなかったものがあることで更にその先の面白いことに繋がっていくと思っています。それが自分自身の成長にも必要で、常にそういう仕事の仕方をしたい。
言われたことをやるのも嫌だけど、 自分の言ったことをそのままやってもらうのはもっと嫌みたいな、すごいめんどくさい会社ですね(笑) 
誰かと仕事をするときも、言われたことをただやっているとつい言いたくなります。「あなたと仕事するのが楽しいのだから、あなたのやりたいことを教えてほしい」って。あなたのいいって思うもの、僕に気づかなかったものを知りたいし、それが合わさるから、仕事してて面白いよねと。

そんな風にこれからも色んな人と合作していきたいと思っています。"思ってもみなかった面白いものを生みだす"合作をしたい方、ぜひご連絡いただけたら嬉しいです。

窓をホワイトボード代わりに、あーだこーだ議論をした役員合宿のひとコマ。

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