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境をつくる香り

子供の頃から、一時期を除いて和室で寝ている。毎朝、布団の中でひとつの暗闇と化している私を、仏壇から漂う1本の線香の香りが包み込む。

その度に、当たり前の日常がスタートする事。今日も東の空から太陽が昇る事。目が覚めた事。生きている事を自覚する。清澄な朝の空気に馴染む白檀の香りは、私にとって朝と夜の境であり、また大袈裟に言えば生と死の境である。

最近になって、お供物としてだけではなく、読書をする時や書写を行う時に線香を置くようになった。普段は楽しみにとっておいて、1週間に1〜2本程度焚いている。

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本を選びながら、線香を選ぶ。さまざまな香りや、さまざまな色の物があって、物語に登場する草花や人物、世界をイメージしながら選ぶのが楽しい。そうやって選んだ線香をつけると、物語の世界が眼前に広がるような気がしてくる。

香りという見えない几帳が、日常のにおいが染み付いた部屋の景色を覆って、物語と現実との境を分ける。リラックスした時間と、集中する時間とを分ける。やがて静かに消えていく香りは緩やかに境を崩して行き、ふと気づくと物語の世界から、当たり前の日常へと私を引き戻していく。

他人と自分の境

香・香水というと、子供の頃は手の届かないような世界に生きる大人のものという漠然としたイメージがあった。しかし、一度香水を購入して以来、「これが今の私だ」と感じるもの一本は必ず所持していたいと思っている。

今所持している香水は、蓮をイメージしたひんやりと静かな香りで、喧騒の苦手な私にとってはお守りのような香りだ。外出する時、特に人と会話する時、こういった静かな香りを嗅いでいると喧騒の中でも気分が良くなるし、良い香りを纏っていると思うと人見知りの私でも堂々とできる。

服やメイクを他者に対する“武装”と形容することもあるが、香りを纏うこともまた、心の武装であると思う。柔らかくて目には見えないが、盾よりもつよいヴェール。それが私にとっての香水だ。

家と家の境

以前、フリマ・オークションアプリを使って購入した時、商品にタバコだかホコリの臭いが付いていたことがあった。その臭いは少し不快であると同時に、その商品の置かれていた環境のにおいであった。そして、日々ぼんやりと過ごしてきた私はその時まで、物には「におい」が染みつくということが、何となく頭から抜けていた。

よく考えれば、雨の日には濡れた草木やアスファルトの匂いが、秋の空気には金木犀の匂いが充満している。子供の頃遊びに行った友達の家にはその家ごとの匂いがある。

それに気づいた時から、昔購入して以来しまいっぱなしにしていた文香だとか詰め替え用の香を、フリマアプリで売る品物を包んだ袋に発送までの少しの間しばらく入れておくようになった。

自己満足ではあるが、ほんのりとわかるかわからないくらいの良い香りがしたら手にとってくれた人は嬉しいだろうと思った。また、よく馴染んだ我が家のにおいから、それとは異なった新しい香りをつけることで、かぐや姫の羽衣みたいに、私の家のにおいが物から消えるような気がした。

物に染みついた私の記憶が消えることは、寂しいことでもあるが、安心感もある。パソコンを初期化するみたいに、真っ新になった死蔵していた物たち。新しい場所でまた生かされて欲しいと願う、物に香りをつけている時間。それは私と、私の手から離れて新たな匂いを纏うことになる物との、さよならの儀式だ。

香りはかつて、聖と俗との境、時と時の境を表すことに使われていた。

出会うとき。さようならをするとき。

私が香りを使うとき、それは日々の生活、時間の中に緩やかな「境」を求めているときだ。

【連載】香りに恋をして
「あのときの、おもかげの香りが私の道標だ」全てのはじまりは、幼い頃手に取った一冊の本でした。お香初心者による、お香を巡る冒険の記録。
前回の記事:おもかげの香り、はじめての香席

【著者】蛇塚 巴詠

群馬県前橋市生まれ。服飾系大学を卒業。在学中の就活疲れや、就職した会社と合わず、メンタル面から体調を崩していたときに「文学」と「アロマテラピー」に心を救われる。現在は仕事を辞め、東京から「水と緑と詩のまち」にUターン。スローペースでアルバイトやボランティア活動をしつつ、香やアロマテラピー、文学、歴史について勉強中。

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