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「自分らしさ」とは確固たる自分ではなく、誰かに強制られることなくいられる状態のことではないだろうか。

 「自分らしくってよくわかんない」この問いに共感する人はとても多いのではないでしょうか。

 僕もしまろくさんのポストを見て、あらためて「自分らしさ」ってなんだろうと考えさせられました。いまの時代は個性を大事にする風潮が一般的で、どこを見回しても「自分らしく」という言葉で溢れかえっています。

 僕自身も自分のサービスの説明をするときや、自分自身の生き方を説明するときに何気なく「自分らしく」なんて口にすることもあります。そして、その自分らしさみたいなものは、言われた側は何となく雰囲気で受け取ってくれて、「そうだよね、自分らしくいたいよね」なんて思ってくれる。自分らしさという器の中に何を入れるかは、個々の自由なのでその言葉の器の中に何が入っているかまでは誰も確認しないものです。

 でも、あらためて「自分らしさ」ってなんだろうなと、箱の中を覗いてみると、形があるような、ないような、ふわふわしたそれっぽいものしか見当たりません。あるのか、ないのか、自分らしさ…。

 自分らしい働き方。自分らしい生き方。自分らしい過ごし方。自分らしい選択。自分らしい文章。自分らしい服装…。

 そうは言っても自分の好みなんてその時々で違うし、確固たる自分なんてものはあるようで、別にない。仏教では自他の境界がいかに曖昧で、どこまでが自分で、どこからがそれ以外なのか、それすらわからないのだと言ったりもします。曖昧で、状況や環境によってアメーバのように姿を変える自分に「らしさ」なんてものはどのくらいあるものなんだろう。

 その自己の曖昧さを現代的によく表しているのが、平野啓一郎氏の「分人主義」です。

「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます

※ 分人主義

 妻といるときの僕と、仕事先の人といる僕は、同じ僕でも全く違う僕なわけです。しょせん自分らしさなんてのは、そのくらい曖昧なものなのかもしれません。

▶ 自分らしさとは、状態のことである

 ただ、自分らしさが何なのかはわからなくても、明らかに「自分らしくない」があるのも間違いありません。僕が自分らしくないと感じるのは「緊張を強いられている状態のとき」です。

 そして自分らしいなと感じるのは、「リラックスしている状態のとき」です。

 つまり、自分らしさとは、確固たる形(たとえば青色が自分らしいとか。絵を描くことが自分らしいとか)があるわけではなく、状態のことではないかと思うのです。

 誰かに強制されたり緊張せずに、リラックスして自分の行動を決めることができている状態。
その状態こそを「自分らしい」と言えるのではないでしょうか。たとえば「自分らしい選択」とは、A、B、Cのどの選択が自分らしいかではなく。A、B、Cを選択するときの状態が、誰かに強制されることなくリラックスした状態で選べているかどうかのことだと思うのです。

 「自分らしく働く」とは、定時で上がるとか、フレックスで働くとかってことじゃなく。リラックスした状態で働けるかどうか、ではないでしょうか。

 もしも自分らしさが、まだ見ぬ確固たる自分ではなく、誰かに強制されたり緊張せずに、リラックスできる状態のことだとしたら。何かをインプットすることよりも、緊張の元を真剣に排除していくことのほうが、自分らしさを手に入れる近道なのかもしれません。

では、また。

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