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『LIGHTHOUSE』を観て

『LIGHTHOUSE』を観て、もっと共感できるかと思った。しかし、正直な話、私はそこまで共感できない話も多かった。正確にいうと、私にはない経験が多かった。

そこで、私はずいぶん幸せな人生を送ってきたのだということを自覚した。番組を見ながら、自分自身の人生を振り返ると、「社会性がない」と悩むだとか、漠然と生きづらいみたいな感情(気づかないようにしてるのかもしれない)を持ったことがさほどないことに気が付く。

なんとなく、ずっと自分は「そっち側」の人間だと思っていた。周囲から浮き、自分の世界があり、そしてそこで孤独を抱えているような人間だと思っていた。

しかし、彼らの話を聞きながらいろんなことを振り返っていると、それなりに社会と折り合いをつけ、また新しい人と付き合うことも苦ではなく、またそういったことがそれなりにできている人間だったのだと気が付いた。

よりはっきり言ってしまえば、自分自身が無色透明になることがそれほど苦ではないのである。社会に溶け込めていない、浮いていると思っていた自分自身は、確かに多少変わり者ではあるものの、帳尻合わせて溶け込む力があり、上手くやれていた。そのことに気が付けたのはちょっとした自信になった。

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番組の制作が発表されてから、おそらくこれは、間違いなく観る事になる番組だろうと思った。自分自身の「文脈」のようなものや、理想像からして避けて通れないと感じた。

純粋な楽しみが9割を占めていたが、正直なところ、この番組を見ることは同じくらい怖かった。彼らが特に自らの生活、人生、芸術その他自分を取り巻くあらゆるものについて深く考える「研究者」であることは前々から知っていたし、そうしたところが好きだし、憧れでもある。

しかし、その一方で「私は彼らほど葛藤しながら生きているのか」ということが不安であり、長らく他人に対して抱くコンプレックスであり、そうした劣等感を強烈に掻き立てられるのではないかと不安だった。「「悩みがない」ことが悩みです」と言語化できているならまだいい方で、その手の悩みさえないのは「生き方が温い」からではないのかという悩みがあった。

「生き方が温い」と他人に指されるのが一番怖いし、嫌だった。どのような温度感で生きていくのか、ということこそ生きる上で一番他人に任せてはいけないと思っているし、そこに口を出されることほど苦痛なことはない。結果的にこの番組を観る事で、そうしたことをある種非難されるのではないかという恐れがあった。

そうした恐れを持ちつつ、この番組を観た今の感想は「悩みが無くても生きていても普通」「温く生きることも意志があってやってるなら普通」ということである。

無い悩みは無くて普通なのである。正直、今、悩みは無い。今の生活がそれだけフィットしているということであり、いい生活を送れているということである。悩みが出来たら初めて悩んだらいいのであり、悩めていない自分を恥じる必要ななく、それこそ悩みたかったら悩めばいいし、そうでないならそうでないだけで、そこに「他人の目」など関係ないのである。ましてや、どちらが偉いとかはないのである。

この番組を観た人で真面目な人ほど、彼らのように深く悩まなければ幸せになれないと錯覚してしまうだろうけどそうではないと私は感じる。彼らの自己実現のやり方が、たまたまそうしたものであって、そこにあるのは「あるクリエイターの歩んだ人生」であり、それを「トレース」することが彼らと同じ幸せを手に入れる術ではないという思いが、番組を見進めるにつれ浮かんできた。結局、今やっている事、やりたいことを磨いていくほかに何もないのである。

今の自分はほんとに幸せで穏やかで、別にそうやって普通に生きていることを否定する必要はないのだと改めて感じる。

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ここまで書いて気が付いたが、こんな気持ちになれたのはこの番組が制作され、彼らが自分自身の話をこれだけしてくれたからである。そして、もっと振り返れば、私はちょうど高校生の時に星野源の『そして生活はつづく』だとか『蘇える変態』の文庫版を読み、特に『蘇える変態』文庫版あとがきの、

「世間を面白くするには、世間をおもしろくしようとするのではなく、ただ自分が面白いと思うことを黙々とやっていくしかないのだと」

という一文を半ば座右の銘のようにして、乗り切ってきた節がある。

星野源のように生きることは、私には難しく、そしてこの番組や様々なところの語りを聞く限り、歩んできた人生が全く違うため、とても似た人間とは言えないし、今の私も彼を目指すというわけでもない。

しかし、私がある種生きる上で道を見失い、山の中で遭難して死にかけていた時に、幾度となく星野源という轍がたまたまあったことで、街に戻ってこれた経験があることは、自分が一番自覚している。本当に比喩ではなく、星野源が居なかったら私は死んでいたと思う。精神的にも生命的にも。

私は、彼らのようにはならないし、これからも自分がやってきたことを続けていくと思うが、少し自信をもって今の生活を続けようという気にさせてくれた両名には心から感謝する。

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彼らが最も「闇」と言っている、二十代の真っただ中に私はいる。苦しくなくあってほしい、楽しくあってほしいと思うが、それ以上に振り返って語れる話が多い時期にしたい、というのはなんとなく思っている。


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