YAONNOMA~週末天使~
はじめに
言わずもがな、週末天使というのはtoconomaのことである。SUMMERSONICの真裏、日比谷野音に舞い降りたおじさん天使。私が勝手に言ってるのではなく、実際にMCでそんな文言をおっしゃっていたのを借用しているだけなので許してほしい。
インスト界のさだまさしかと思うほど軽妙なMCと、タイトな演奏で音楽堂をダンスフロアに変えてしまう彼らは、週末だけに舞い降りる。そして、今日が終わればまたフルタイムの会社員に戻る。
まるでセーラームーンのようなバンドに観客たちは全員本当に恋に落ちていたと思う。
いつも通り。ちょっとリッチ。
日比谷野音という場所は、非常にスペシャルな場所である。そもそも由緒正しい会場であることももちろん、インスト界隈に限って言っても、ジャパニーズインストの大ベテランSPECIAL OTHERSが度々公演していることで有名。
したがって、今回のYAONNOMAは結成15年目にして、実際にSPECIAL OTHERSを「兄さん」と慕う彼らが、一つ彼らに追い付いた記念碑のような公演ととらえることもできる。実際に、ティザー映像でも「十五年間働きながら、十五年間夢見た舞台。」という言葉が盛り込まれている事から、この野音に対する思いは尋常ではなかったのだろうと推察する。
しかし、今回の公演を経ての感想は「いつも通り」というものだった。野音だからといって何かが大きく変わるわけではなく、いつも通りのtoconomaがそこに居た。
いつもよりちょっと派手なステージ、ちょっと派手なライト、そしてショルキーとエレキギターで背中合わせしちゃったりしてるけど、いつものユーモラスでスタイリッシュなtoconomaのライブが繰り広げられた。
『the morning groly』で穏やかに、心地よく揺れる様子も、『relive』で一回ブレイクしたあと、「やぁやぁ」といった感じで石橋さんが前に出てきた時の歓声も野音になっても全く同じ密度だった。変な言い方だが、ライブハウスがそのまま大きくなったかのようだった。
「いつものtoconoma」を譲らないという気合
しかし、このことがどれだけ尊く、また凄まじいことかということか伝わるだろうか。会場が大きくなれば、それなりのやりかたもある。むしろ、やり方は変わってしかるべきである。
そうした中で、先ほど「ライブハウスがそのまま大きくなったかのよう」と言ったが、これには若干語弊がある。より正確に言うならば、「ライブハウスの熱量、密度を野音でそっくりそのまま満たすためのチューニングがされた」ということである。
本当にライブハウスの通りにやれば、それはやはりライブハウスサイズどまりだろう。野音で「いつものtoconoma」をするためには、そのための綿密な調整が必要なはずである。野音であることに乗じて、何でもかんでもスペシャルにすることだってきっとできるだろうに、あくまで「野音クラスになった大物バンド」ではなく、「いつもどおり」をするというある種のウルトラCを行うという気合。ここが本当にすごかった。
野音になっても派手になり過ぎず、また味気なくならないように考え抜かれた結果が例えばシャボン玉だったり、白いボールの演出だったのだろう。
ここでドンピシャで「toconoma味」を決めてくる仕事の丁寧さと精密さこそ、ミュージシャン一辺倒ではなく平日会社員をしている彼らならではのバランス感覚なのではないかと本気で思っている。
そしてtoconomaは続く
週末が終われば魔法は解けオフィスに戻っていく。このように書くと刹那的に聞こえるかもしれないが、むしろ私は「週末が来る限りは、toconomaはそこに居る」というメッセージに思えてならない。
次の週末が来るまで彼らも定時まで働き、きっと週末を楽しみにしているのである。生活がある限り、toconomaはそこに居る。それはどんなにバンドの活動規模が大きくなっても変わらない。そう確信できるような公演だった。
そして生活はつづき、そしてtoconomaも続く。そして、私の生活と、彼らの生活が交わったとき、再び「私たち」は踊るのである。そうして踊る日を楽しみに、明日からの平日を生きていく。
『Futurez』でクラップするために、『Highwind』の清水さんのハイハットに悶えるために、『vermelho do sol』の矢向さんのベースソロに悶えるために、『Underwrap』の西川さんのクラビに悶えるために、『relive』の石橋さんのカッティングに悶えるために生きるのである。
そんな人生のお守りのようなバンド、toconomaを私は愛している。
P.S U-NEXTで9/3まで見逃し配信されてるようなので、みんな見るんや!!!!!
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