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特殊な家庭に生まれたものとして

安倍元首相の事件の容疑者が、親がカルト宗教にのめりこんで家庭が崩壊したというような供述をしていることを受けて、わたしも社会問題を取材するライターとして、カルトやいわゆる「宗教2世」の文献やら情報やらたくさん集めたり、専門家に取材をしたり記事を書いたりということを、ここしばらくやっていた。

わたしは、そういった、いわゆる「社会問題」と向き合うことを、10年近くやっていた新聞記者を辞めたりもしたし、長らく避けてきた。

避けるというか、見えないように、距離を置こうとしてきた。それで、自分をどこそこ新聞のどんな問題を専門テーマに取材している記者であるとか、そういった肩書きをすべて捨て去ってしまいたくて、自分のことをなにも知らないし、おそらく知ろうともされないだろう、東北内陸のとある場所に移住して引っ込んで、「社会」そのものから距離を置こうとした。

その過程で、いろいろ病んでおかしくなって、精神科閉鎖病棟にも何度か入ったり、帰る家がなくなってシェルターに保護されたり、好きでもない人と契約結婚して生き延びようとしたりとか、ここに書ききれないくらいのハイリスクなトライアンドエラーをいろいろしながら、ほどほどな社会との距離ってどこなんだろうというところを、それからさらに10年以上かけて探してきた。

そんななかで、もともと記者時代から気になっていたわけだけど、自らが精神保健福祉領域で支援を受けた経験ももてたことで、それを自分でもやってみたいなと思って、浦島太郎から一転、ソーシャルワークの仕事に飛び込んだり、福祉の専門学校に入ったり、社会問題の取材がきついのなら、もっと自分の「正義感」や「正しさ」が削れなくてすむ、経済などにジャンルをそらした記者として、また記者に戻ってみたり、八ヶ岳に住み込みバイトしてみたりとか、いろいろした。

そういうことをしながら、一瞬でも、時間を忘れられる瞬間があったり、心地よい疲れを感じられることがあったりすると、「いまのわたし、ただ逃げてるだけじゃん」といつも自分のことを責めた。だけど、責めつつも、ほっとした。ああ、きょうも、なにかはわからないけれど、その「なにか」から逃れられたことに、ばんざい、と。

いまもだけど、なにが楽しいのかとか、これを幸せといっていいのだろうかとか、わかっているようで、なにもわかってない気がする。ずっとずっと、ふわふわしたままというか、そのふわふわ感は、Mさんと再婚して、それから小夏ちゃんという家族が増えて、あれだけわたしがいちばんほしかった「帰る場所」というのができれば、おさまるものだと思っていたのだけれど、ふわふわは増していくばかりだ。

だけど、変化があるとしたら、怒ることが減ったということだ。もちろん、年に1度くらい、ほんとうに気が狂ってしまうくらい怒るというか、これは自らが立ち上がって声をあげて怒らなければならないという事態があるけれど、それ以外は、どっちでもいいなと思っている。

社会問題を真正面から向き合って、新聞記者をしていた自分にとっては、それは信じられない変化だ。だけどあれから10年以上の月日が流れて、「正しさ」と「正しさ」をぶつけあったり、「正しさ」のためにたたかったとしても、それを役割以上のところでかかえこむことの危うさというのは、新聞記者という仕事に限らず、社会的に「善」とされる仕事だったり、「母親」というものだったりなにもかもにあって、ものすごく不毛なことだなと、果てしない気持ちになってしまうのだった。

だからいまのわたしは、どんな分野の話をするにしても、「なにが『正しさ』なんてわからないよね」ということを前提に話ができる相手であるとき、すごく楽だなと思う。そんなことわりをいちいち入れなくても、信じられればなおいいんだろうけど。

「正しさ」と「正しさ」がぶつかり合うことなんて、そんな世界に身を置くことなんて、もう二度とごめんだと思う。勝てればいいけど、数に負けた方が、果ては精神病院で身体拘束とかにしかならないし。どちらが正しいとかないのにさ。

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