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必要な体験はベストなタイミングでやってくる

43歳を目前にRYT200(ヨガインストラクターの国際資格)取得のための学びを始めました。

20代にも取得を考えたことがありますが、ヨガに時間と労力、お金を投じることができず踏み出しませんでした。RYT200の取得を全く考えなくなった30代を終え、40代に突入してからむくむく学びたい気持ちが膨らみ、今年ついに一歩踏み出したのです。

結果、ヨガを学ぶのは今だったと痛感しています。

20代に取得していたら、それはそれでいい学びになったと思いますが、今だからこそ得られる視座、深まる知識があると感じます。

一歩踏み出せなかったり、変わりたいのに踏み出す先がわからないとき、焦りが募ります。でも、踏み出さないことも、方向がわからず迷う経験も時間と共に回収されていくものだろうな…と人生折り返しに近づき感じています。

何者かになりたい焦り

20代の頃は特に「何者かになりたい!ならなければ!」と焦りが大きくありました(今もゼロではないですが)。

20代の頃にヨガを学びたいと思った動機は、美容目的、憧れ、そして「何者かになれるかも」という期待だったと思います。
当時学んでいたら、おそらく手っ取り早く学べる講座を探し、知識が深まり切らなかったことが想像できます。

今回は、仕事や学びを深める中でヨガ哲学を学びたいと考えていたこと、さらに人が生きやすくなるためには体のアプローチも必要なのでは?という問いがたち、ヨガを深く学びたい気持ちが芽生えていったのです。

今もヨガが何か形になればいいとは思っています。
でも、それ以上に、問いがクリアになっていく喜び、人生経験が増えている分の納得感が大きく、人生の豊かさ、彩を添えてくれています。


何者かには一生ならない

自分の価値が感じていきたい=何者かになりたい
と考えて、「形になりそうなこと」を習得することに一生懸命だった20代、30代。もちろんこの体験も必要で、今の自分を形作ってくれた尊い経験。

でも40代に入り、「一生、何者にもなれないんだろうな」と思い始めたのです(遅いですか?恥)。これは諦めではなく、「ここで満足」なんて日は死ぬまで訪れないのだと思ったのです。満足したら、きっと人生面白くない。

一つの区切りとして「満足」はあってもまた次の「何か」を見つけるのが人間なのでは?なんてことを考えています。

そう思うと、「形にする」ことも大切ですが、人生に彩を添えてくれる体験をたくさん自分にさせてあげたいと思えるようになっています。

今回、RYT200の取得のための学びを始めたことで、人生が一層豊かになり、この考えが私の中で確かなものとなっていきました。

必要な体験はいいタイミングでやってくる

20代の頃にヨガを学んでいたら下心の方が大きく、豊かな体験に結びつけられたなかっただろうと思います。

今だからこそ得られた豊かさ、深い学びに繋がっています。

結果が出ないと焦ります。(ここでの結果とは自分が理想とする姿です。)

焦りも焦りに突き動かされた選択も、人生において必要であり、尊い経験。

でも、焦りが大きくなると、焦りを解消するために「どうにかしなくては」という解決策を見つけることに一生懸命になってしまい、望む結果と違う方向に進んでしまうことが起きやすくなるように感じます。

結果、自己嫌悪になって自己否定してしまう…これでは勿体ない。

でも、必要な体験はいいタイミングでやってくる

そのことを信じられると、不要に焦りに自分が乗っ取られず、どんと構えてられるようになり、また一つ生きやすくなるなと感じています。

いずれ必要なときに、いいタイミングで体験できる。
今はそのように感じています。

そのためには、「これだ」という感覚を逃さないように心を整えて直観力を鍛えておきたいと思っています。

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