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ひとりを味わうことで知れた自分の個性

友人のちびこさんが「ひとり」についてnoteを書いていたので、触発されて思い出した自分の話を。

ちなみにこちらの診断、わたしはファイター型ひとりでした。

ひとりにならないと好きがわからなかった

18歳まで実家で暮らし、大学入学とともに一人暮らしを始めました。一人暮らしをすることで、自分の価値観がどれだけ家族や他人に影響されているかに初めて気付いたんです。

たとえば、わたしの実家はお腹いっぱい食べることをヨシとする方針で、わたしは毎日満腹まで食事をしてました。お酒も本も旅の好みも、両親の影響を存分に受けていました。

大学に入ってからは、トレンドに振り回されました。実家暮らしのときは「よそはよそ、うちはうち」と言い続けてくれる存在が歯止めになっていたのですが、大学に入ってからは流行の服や映えるパンケーキのお店など、お金を湯水のように溶かしました。
自分らしいものはわからないし、自我が迷子のような感覚のまま、流行に流されるだけ。生意気な口は聞くくせに自分の意見もなにもない、空っぽの自分に気付いたのは大学四年生も半ばでした。

その頃から10年以上経って30歳を超えた今、やっと自分の好きが朧気ながらも見えてきた気がします。歯応えの多彩な食事、着心地が良くシルエットにメリハリのある軽い服、異世界に没入できるファンタジー小説。

それらは、これ本当に好き?好きってなに?どんなときに身体がゆるむ?とひたすら自分に問いかけ続けてやっと自覚が湧いてきたもの。コロナ禍で強制的なひとりの時間が増えたからこそ気付けたと思います。わたし実は人に会う時間以上にひとりの時間が必要だわ、とか。

ひとりのときに何を選ぶか、誰の目も気にしないで良いならどう生きたいか。好きってその積み重ねなんですね。

心から好き、と思えるものは少なくてよい、と思えたのは大人になった証かもしれません。嫌いな人はいないほうが良いとか、万人受けを目指さなくても良い、ニッチに生きてよいと今は感じています。

それでも、つい理想の在りたい自分とかけ離れたお金の使い方をしてしまったり、やっぱり流行に流されたりもしています。まだまだ修行が足りませんね。

そうして気付いた誰かと一緒の良さ

ひとりの良さに気付いた一方で、本音で好きなものについては、言葉を尽くして語りたいという気持ちもあります。

ひとりで味わうことも大切だけど、それを誰かとシェアできることもまた幸せ。そして、わたしの好きと違う好きを持っている人には、ぜひとも高い熱量で偏愛を語ってほしい。それによってわたしの好きが増えるかもしれないし、自分の好きに対する見方が変わったり、濃度が上がるかもしれない。

ひとりでは気付けないものに気付けるのが誰かと一緒の良さだし、お互いに影響を与え合うのもまた素晴らしい経験です。影響を受けて自分に取り込んでみて、合わなかったらまた距離をとったっていい。

人と違う価値観をもつことに対して、重く捉えずに軽やかにいられるようになったのが大人になってよかったことかもしれません。

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