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パラドックスにもほどがある(褒めます)

前の投稿「タイムトラベルもの、名作の条件【追記あり】。」の続きです。

『不適切にもほどがある!』が完結して1週間が過ぎた。やや批判的な見解は散見されたものの概ね好評で、ひとことで言えば「令和日本のBTTF(バック・トゥ・ザ・フューチャー)」という感じ。さすがのクドカン・マジックで、面白いことこの上なし。

しかし、ですよ。SF的に見れば突っ込みどころ満載で、完全に世界線が破綻している。主人公の小川市郎(阿部サダヲ)は1995年に娘の純子(河合優実)とともに1995年に亡くなっているので、2024年にタイムスリップしても自分自身と遭遇することはないが、向坂サカエ(吉田羊)にいたっては1986年に戻って少女期の自分にアドバイスまでしてる。これで歴史が改変されないはずがないではないか。

ところが本作ではパラレルワールドは生じない。主人公が過去に戻って自分と娘を救おうとはしないからだ。作者がどのような意図でこの展開を選んだのか正確に指摘することはできないが、大変興味深い。

もう一度、時間SFのオールタイム・ベスト『夏への扉』を引こう。

古(いにしえ)の"分岐する時間の流れ"と"多元宇宙"の概念は正しいのだろうか? ぼくがその宇宙の構成に干渉したがために、ぼくは異なる宇宙に飛び込んでしまったのだろうか? リッキーとピートはいても? どこかに(あるいはどこかの時に)別の宇宙があり、そこではピート(猫)が絶望すするまで泣きわめき、打ち捨てられたまま、のら猫となってさまよいあるいているのだろうか? そしてその世界では、お祖母ちゃんといっしょに逃れることはならず、ベルの執念深い怒りに苛まれているのだろうか?
(「そんなことはない」と主人公のダニーは続ける。)
未来は過去よりよりよいものだ。悲観論者やロマンティストや、反主知主義者がいるにせよ、この世界は徐々によりよきものへと成長している、なぜなら、環境に心を砕く人間の精神というものが、この世界をよりよきものにしているからだ。両の手で……道具で……常識と科学と工業技術で。

夏への扉-新訳版

大分県在住の名ライター、藤原奈緒さんも本作のレビューをこう締めくくる。

 本作の特徴とも言える「テロップ」は最後に「2024年当時の表現をあえて使用して放送しました」と記載することで、その黒い画面に、さらなる未来、恐らくは小野武彦版井上が生きる「現在」であるところの2054年の未来を映し、その地点から昭和も令和も等しく俯瞰していた。

“終わらない”最終回の愛おしさ 連ドラだから許される奇跡|Real Sound

「過去は変えない(変えられない)、未来は(今から)変えられる。」
個人的にも、この一点において、高く評価したい2024年の連ドラであった。

※前回ご紹介したSF作家の山本弘さんが亡くなれた。お悔みします。
SF作家の山本弘さんが死去、68歳…「去年はいい年になるだろう」

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