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気を使ってくれているだけ。

人に優しくされてるなぁと思うことが多い。

会社員だったときの上司は、とにかく私のやり方を尊重してくれていたし。
後輩は文句も言わず、反論もせず、素直に話を聞きいれてくれた。

友達は男女共にそれなりにいて、あまり連絡をとらずとも、会うとなれば心の底から楽しい時間を過ごせる。

noteでは大したことも書いていないのに、読んでくれたり、スキやコメントをくださる方がいる。

なんといっても、一番そばにいる旦那は私を否定しない。ポンコツな私を叱ることはあるけど、感情や力で脅したり、突き放すことは一切しない。

とにもかくにもみんな私に優しい。

若いときから、それはずっと感じている。
理由は簡単。
母親の厳しさや、ヒステリック、干渉による窮屈さを経験したからこそ、あらゆる人の優しさに敏感なのだと思う。

人って、こんなに優しいもんなのか!?

社会に出て関わる人が増えると、改めて人の優しさに驚く。

もちろん、意地悪な人や損得勘定で生きている人にも出会ったけど。そう深く関わらないので、どうでも良いという感想。

あぁ、なんで私なんかに優しいの?

そんな風に考え出すと、何周かして良からぬ方向へいく。

わかった。
この人が、ただ優秀なだけだ

気を使ってくれているだけなんだ。

そこに着地すると、色々こじれていく。

もしかして、疲れさせてる?
もしかして、我慢させてる?
もしかして、ストレス感じてる?

妄想が加速して

めちゃくちゃ申し訳なくなる。

それは、何故か。
母親から怒鳴られたり、暴力をふるわれないために、逐一顔色を伺い、正解の発言や行動をすることが常識だったからだ。

気を使うことはストレス。

相手のワガママを聞き入れて我慢することや、理不尽に耐えることは、とてつもなくツラい。それを重々承知だ。

もしかして、私はそれをやらせているのか?

そんなことまで考えると、もう頭の中はカオス。しかも、素直にそのカオスを打ち明けると

そんなことあるわけないじゃん。
もっと堂々とすれば?
私が嘘つくと思う?
いい加減、素直に受け止めてよ!
疑われるの不快なんだけど!

終いには、ちょっと叱られる。
そして泣きそうになる。
いや、よく泣く。

認めてもらうことに慣れなすぎて、解釈が暴走しがちだ。そして、心底謝るし、もちろん感謝もする。

でも、しばらくすると、優しくされてザワザワする気持ちは蘇ってしまう。

どうしよう
どうしよう
どうしよう

だからこそ、私からも気持ちをかたちや言葉にする努力はする。
でも。

そんな努力意味ねーよ。

頭の中に、もう一人自分がいて常に否定をしているのだ。こいつがラスボス。
マウントポジションとって、ボッコボコにされる。

書き出してみると、非常にめんどくさい人間だ。でも、着地として優しい人間を大事にしたい。そのために、ラスボスには負けたくないなと思う。

ラスボスに負ける私は、優しい人を傷つけるのだから。

そう考えると、少しは人の優しさを受け止められるのかも。 

よく『もっと自信持ちなよ』と言われる。
でも、自己肯定感を上げるより、自分が何に価値を感じるかとか、原動力を探すほうが問題解決が早いなと思う。

別に目標立てとか、頑張ろう!っていう意識をしまくるわけではないけど。
不意にラスボス戦になったときは、この思考にHPMP全て費やしたい。

優しい人間はみんな僧侶だから大丈夫だ。
回復してもらう魂胆だけど許してね。

深いことを考えると、止まらなくなるあるあるでした。
今日もありがとうございました。





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