東日本大震災追悼集会『LOVE TO NIPPON』

アメリカでの初ライブはロサンゼルス市警察本部での、東日本大震災追悼集会『LOVE TO NIPPON』でした。

そこで歌った楽曲は洋楽のカバーでもなく、ふるさと北九州への想いを歌ったオリジナルソング「ひまわりの花」でした。
会場のアメリカの方々にはもちろん歌詞の意味は伝わっていなかったと思います。
それなのに、ひまわりの花が揺れて、最後には人生で初めて経験するスタンディングオベーションが返ってきました。
それが何故だったかと考えたとき、誰もが持つ故郷や母国への想いが、音楽と、歌声のバイブレーションによって共鳴し伝わったからではないかと思います。

一斉に太陽を見上げて咲き誇るひまわりのように、前向きでポジティブな希望のパワーをこの歌に込めています。困難に直面したときに、寄り添い、もう一度共に立ち上がれるちからを。
その想いは東北へ伝わっていました。宮城県と岩手県に慰問ライブに行かせていただいたときのことです。被災後、NHKラジオから流れてきた「ひまわりの花」を聴いて涙が流れ励まされたと、声をかけてくださいました。
NHK北九州放送局80周年“きたきゅうのうた”の大会が、2011年3月12日を予定されており、震災により延期されたことは以前も記しました。その後2011年6月4日に開催され「ひまわりの花」が大賞をいただいたわけですが、その模様は全国放送もされ、NHKラジオ第一放送「ラジオ深夜便」にも出演させていただきました。ちょうどそれらの放送を聴いてくださっていたのだと思います。

ひまわりはその花が咲き誇る季節とも相まって、まるで少年や少女だった夏のように、純粋に青い空へ伸び行く気持ちを思い出させてくれるようにすら感じます。例え、その花の前に立つ人が人生においてどんなに難しい状況におかれていたとしても。
ひまわりの花は震災後の東北の地に咲き、ウイルスと戦う日々に咲き、そして戦乱の地にも。
TOKYOオリンピックでは東北で咲いたひまわりの花がビクトリーブーケとして贈られました。

ぼく自身、「ひまわりの花」を歌うときは、初めてこの歌が出来たときのように、きたきゅうのうたの大会のときのように、そして東北やアメリカで歌ったときのように、新しい気持ちで歌い続けています。決して慣れてしまうことなく、聴いてくださる方にとっても初めての気持ちが薄らぐことのないように。
何百回、もしかしたら千回以上歌ってきたかもしれません。
ですがこれからも、1回目に歌ったときと変わらぬ気持ちで歌い続けます。しかしその歌は毎回同じではありません。その歌の中には、歌うぼくにとっても、聴いてくださる方にとっても、北九州が、東北が、そしていま世界中で寄り添い共に立つ必要がある国が、浮かんでくるものだと思うからです。

いつも普遍的な歌を、根源的な歌を、自分に求めて創作してきたと言ってきました。
学問も、芸術も、宗教も、文化も、スポーツも、物事は等しく、その中心部や奥深くを掘り下げていくと共通の部分にたどり着きます。
それを歌ってきたから、2013年の3月11日にはロサンゼルスにひまわりの花が咲いたのだと思います。

そして、2022年3月11日、決して忘れてはいけない東日本大震災を振り返り、亡くなられた方々へ黙祷を捧げ、被災された方々へ想いを寄せるとともに、今この瞬間も戦争が起きている国に一日も早く平和が訪れるよう、世界が一つになるよう、『LOVE TO NIPPON』の動画を掲載します。

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