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無人島で生活していて’’かっこいい’’という概念は生まれない気がする。

僕は、かっこいいと思う人が何人もいて、自分自身もそうなりたいと願って生きてきました。

しかし、そのかっこよさを未だに自分のモノに出来た経験もありません。

かっこいいという感情は、人から期待されて初めて生まれる感情

ここに僕は行きつきました。

僕はここに、他人の期待で自分の存在の認める怖さが含まれている事に気付きました。

仕事、友人関係等でかっこよく思われたい人達に向けて注意喚起を兼ねて記事を書いてみました。

期待から生まれるかっこよさ

仕事場「あいつは仕事の出来る奴だ」

友達「冷静でいつも笑っている素敵な人」

これらは、多くの信頼を得ている証拠ともいえる言葉で、自尊心を保つ素晴らしい言葉です。

自然にこういった評価をされる人であれば、勉強熱心であったり、思いやりが長けている事実を含んでいるので憧れる対象であると思います。

稀にこういった、かっこいい人達に出会うと「自分もこうなりたい!」と思います。

そうして、かっこいい人達の真似から始め、自分をかっこよくしたいと願うのです。

これが、とても危険なのです。

憧れで作るかっこよさ

かっこいい人に憧れて何が悪い?と言われれば、僕も沢山の人に憧れて真似をしてきた身なので何も言えないです

大事なのは

「あいつは仕事の出来る奴だ」

「冷静でいつも笑っていて人気者」

この言葉を言った人の本質を理解して、意味を履き違えない事なのです。

仕事の出来る奴=困った時に任せたいという他者期待

冷静でいつも笑っているひと=怒らず対応してくれるという他者期待

これを鵜呑みにすると、仕事が得意で、怒らず人ニコニコしている人格をかっこいいと判断しています。

これらは当事者でない(自分含め)他人が勝手に評価をしているだけなのです。

そして、他人の評価は残酷で、本人が意図しない所でレッテルを張るので、仕事で失敗する事や、感情を剥き出しにする事に対してハードルを上げてしまうのです。

かっこいいと評価されている人も、このレッテルにより他人評価のキャラクターから抜け出せずに苦しむ人達も多いです。

他人の期待でしか生きられない人達

人は、かっこいい事から外れる事を醜いと判断し、自己批判を始める生き物です。

人の期待に対して対応できない自分に、罪悪感を抱くのです。

仕事を頑張れず、すぐ怒る事が悪になるのです。

仕事を頑張れないのは、仕事が自分に合ってないからで、すぐ怒るのは、怒りの原因が解決してないだけなのに、他人の期待に答えられないと自己批判を始めるのです。

かっこいい=その空間での期待

単にこうである事を知っておくと、他人からの評価である’’かっこよさ’’に振り回されずに自分らしく動けるかと思います。

かっこわるい=不器用な自分らしさ

これが認められるようになってくると、かっこよさを越した爽快な感情が楽しめる様になってくるかもしれません。

最後に

転職を考えたり有給を取ろうとして罪悪感が生まれるのは、かっこよさを自分に求めている傾向があります。

大事なのは、かっこよさではなく、自分がやりたい事をやり進めるブレない芯でじゃないかな?と思います。

かっこよくなくても、進みたいと思える事に自分らしさを見い出し突き進む姿に、真のかっこよさが隠れているのではないかと僕は思います。

そして、周りの期待を裏切るほどのスピードで物事を突き進めばいいと思います。

Have a nice day!

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