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保育・療育の正解とは?そして、私たちがプロであり続けるためには?

私たち保育・療育者は答えのない世界で日々答えを探しながら子どもたちと関わっている。
人が人を成長するために何かを伝えていくのだが、答えは本当にないのだろうか?
そして、私たちがプロであるという事はどういうことか?
そして、プロでありあり続けると言うことはどういうことか?

保育・療育者には生活という視点が求められる。
生活とは『総合力』であり『生きる力』である。

『総合力』であり『生きる力』というのは、定義が曖昧で文化や主観、歴史にも左右されてしまうので、答えがないといわれる由縁ではないかと思う。

しかし、本当に答えなはいのだろうか?
私はあると感じている。

どこに、その答えがあるのか?
それは、その子ども自身だ。

その子どもが感じていることが正解であり、それが全てではないかと思う。

なので、私たち保育・療育者が正解を導くのではなく、子どもの正解を読み解くのが仕事であり、それができるのがプロの仕事ではないだろうか?

では、プロの仕事とは何だろうか?

それは、対象である”子ども”のことを悩み続けることが出来るのがプロだと思う。

何故なのか?

それは、正解が変化するからである。

子どもの成長は著しい。

年齢がい低ければ低いほど変化が著しい。
そんな変化を捉えることが出来ているだろうか?
感じることが出来ているだろうか?
そして、その変化がどこからどうやって、何が原因でそうなっているのか理解が出来ているだろうか?

健常の子どもで、言語を持っていたとしても「何故自分たちが今こんな気持ち」なのかなんて、理解できないと思うが、私たちプロの保育・療育者は読み解かなければならない。

だから、悩み続けなければならない。

ベテランだから、経験値が高いからといって悩みのない保育・療育者はプロではない。
それどころか、退化すらしているとも感じる。

何故か?

生活は『生きる力』と書きましたが、『生きる力』とは今この時代で、今の環境で生き抜く力です。
時代も環境も刻々と変化をしています。
そんな変化も感じることが出来ない感性では、とてもプロとしては通用しません。

生活は幅が広く、曖昧でグレーゾーンが多く見えない物も少なくありません。
本当に知れば知るほど、考えれば考えるほど無限に疑問があふれかえってしまいます。

無限にあふれかえる疑問にも、果敢に立ち向かいあきらめず前進し続けることが出来る者だけが、保育・療育のプロです

ですので、一年目の職員でも本気で悩んでいるものは、間違いなくプロです。
しかし、悩みを持たない職員は10年目であってもアマチュアと同義だといえます。

何故なのか?

正解は子どもが持っているからです。


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