小中高の勉強と大学(大学院)の勉強の違い【高校生向け】

導入

高校までの勉強と大学以降の勉強では、勉強の毛色が少し違う。現在高校生の人は大学ってどんな勉強をするのだろうと気になっている人も多いかなと思ったので現役大学生の私がざっくり説明したいと思う。

小中高の勉強 事実(~である)の探求

小中高の勉強は事実(~である)の探求である。例を挙げよう
aフックの法則 ばねの伸びは引く力(荷重)に比例する(という事実を学ぶ)
b三平方の定理 直角三角形の斜辺の2乗が他の辺の2乗の和に等しい(という事実を学ぶ)
c1941年に太平洋戦争が勃発した(という事実を学ぶ)

これらはすべて事実(~である)である。小中高の勉強はすべてこれの延長線なので小中高の勉強(受験勉強も含め)は事実の勉強(探求)の形になる。


大学以降の勉強 規範(~すべき)の探求

一方大学以降の勉強は規範(~すべき)の探求である。事実の勉強も少しはするがメインは規範の探求である。大学で習ったことの例を挙げておく。

a個人主義 社会現象は諸個人の心理に還元して説明できる(すべき)という考え方。(哲学)
b全体主義 社会は個人の集合以上の存在者であり社会的な性質をもつ(べき)という考え方。(社会学,哲学)
c自由心証主義 裁判において、提出された証拠を事実と認定するかどうかは、裁判官の自由な総合判断に委ねられる(べきだ)という考え方。(法学)
d利己主義 人々の行動の唯一の動機は自己利益の追求にある(べき)という考え方。(経済学,哲学)

大学以降ではこれらのようなことを学習する。大学に入ると~主義という言葉がやたら出てくる。つまり~すべき(規範)という考え方を学ぶのが大学だ。
そしていろんな考え方(規範性)を学び、共感する考え方についてはさらに自分なりに説得力のある(矛盾のない)持論に深めていく。(高校までで培ってきた論理的思考力を用いて)。そして最終的に学士論文という形で教授に提出する。

まとめ

事実がないと規範的な事柄は議論できない。例えば【民主主義】という言葉の意味を理解できてない(事実の理解がない)と、【司法と民主主義は分離すべきだ】のような規範的な主張は出てこない。大学で規範的な事柄を学ぶ下準備としてもやはり高校生中学生のうちにしっかり事実の勉強はしっかりしておく必要がある。逆にいうと大学の勉強が1番面白い。今まで積み重ねてきた事実の理解を用いて(材料集め)自分のMy理論を構築する(実際に料理する)段階だからだ。だから最近メディアで大学なんて行っても意味ないとか言ってる人もいるが、それはとんでもない。むしろ大学まで義務教育にすべきだと思う。高校までの勉強は大学の研究(my理論の構築)をするための準備段階でしかないからだ。高校まで行って大学に行かないのは材料だけ集めて実際に料理をしないのと同じことだ。なので高校生の皆さんは世間の余計な声に惑わされず大学進学を目指し頑張っていただきたい。小中高の学びは大学以降の学習で必ず活きてくるだろう。


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